富士宗学要集に載っている古文献を元に、大石寺・京都要法寺・保田妙本寺・小泉久遠寺三祖日目の正墓が、京都鳥辺山・實報寺にあるという検証はすでに動画428で行っている。今回は、2009年に實報寺住職と英昭彦が会話をして、その会話からも日目の正墓が實報寺にあることが明らかにわかる。

□住職「そうですか。それで目師(日目)のお墓が大石寺にあると、日蓮正宗では言っているのですか」

○「そうです。『大石寺案内』という小冊子には、日目上人の正墓は、大石寺のすぐ近くにある大石寺末寺・下之坊にある、と書いてあります。又、日蓮正宗の僧侶は、自分の寺の信者には、大石寺墓苑の三師塔が日目上人の正墓だ、などと教えています」

□住職「そうですか。まあ、むこう(日蓮正宗)では派手にいろいろな本を出したり、新聞を出したりしておりますからねー。それでむこう(日蓮正宗)は、むこうで、こちら(日蓮本宗・要法寺)のことを、いろいろと批判したり、いろいろ書いているようですが、だからといって、こちらは、むこうに反論する本を出すということは、しておりません。尋ねられれば、お答えはしておりますが」

○「では率直にお尋ねしますが、日目上人の正墓は、ここ京都・鳥辺山にあるのですか。大石寺にあるのですか」

□住職「ご承知のように、目師(日目)は、京都に天奏に出られた旅の途中、美濃国(岐阜県)垂井で御遷化になられました。それで目師のお供をしていた尊師(日尊)と郷師(日郷)は、目師を荼毘に付されて、尊師は目師の御遺骨を奉じられて京都に来られました。郷師は、大石寺に帰られたわけです。尊師は、京都の鳥辺山に来られたわけですが、このあたりに延年寺というお寺がありまして、その延年寺の墓地の一角に、目師の御遺骨を葬られたのです。その後、延年寺が鳥辺山から出て行ったため、尊師が目師の墓地の一角を買い取られたのです。そして尊師が御遷化になられた後、尊師もここに葬られました。その後、目師のお墓の周りに、墓地ができて、今日に至っているという次第です。まあ、京都での富士の門流と言っても、ウチ(要法寺)だけですけれども」

○「それでは、日目上人、日尊上人の正墓は、ここ実報寺さんにあるわけで、日蓮正宗大石寺にはない、ということで、よろしいわけですね」

□住職「正墓というのは、どういう概念で言っておられるのですか」

○「人が亡くなって、葬儀を執り行い、遺体を荼毘に付して、遺骨をどこかに葬る場合、通常は、その人の遺骨をお墓に納めますね。そこが正墓と言うことです。その後、分骨をして他にも墓を建てる場合がありますが、そこを正墓とはいいませんねえ。通常なら、正墓というのは一カ所しかありませんね。」

□住職「それならば、目師(もくし・日目のこと)の正墓は、ここ(實報寺)にあるということになります」

○「では、あそこ(實報寺の墓苑)にある正墓には、日目上人、日尊上人の真骨が納められている、ということですね」

□住職「日目上人は、こちらに葬られたことは史実ですが、しかし、それから何百年も経っていますので、今は土に還っているかもしれません」

○「日目上人は、ここ鳥辺山に葬られて、ここに正墓があるわけですから。ここ以外で、日目上人の正墓だと称している所は、ニセモノということになりますね。もっとも、要法寺さんや實報寺さんのほうで、大石寺に日目上人の遺骨を分骨していれば、話しはべつですが」

□住職「大石寺に分骨はしていません」

○「ならば日蓮正宗が大石寺・下之坊にあると称している『日目上人の正墓』はニセモノということになりますね」

□住職「まあ、そういうことになるのかもしれませんけども、ただ、むこう(日蓮正宗)が、そういうことを言っているとしても、こちら(實報寺)は、それはちがうよ、ということも言いませんけどね」

この中で、實報寺住職は

□京都鳥辺山にあった延年寺に日目の灰骨が葬られて正墓が建てられたこと

□その後、延年寺が鳥辺山から出て行き、富士門流で日目の正墓がある墓域を延年寺から買い取ったこと

□その買い取った日目の正墓の墓域が、今の實報寺であること

□實報寺に日目の正墓があること

□大石寺に、日目の遺骨の分骨をしていないこと

以上のことを明確に認めた。實報寺住職の話しは、富士宗学要集の古文献に載っており、裏付けがある話しである。大石寺の見解は、ぜんぜん裏付けがない。しかし、住職の話しっぷりは、日目の正墓のことで、實報寺が日蓮正宗と対決するような事態になることは避けたいという、意向を持っている(??)ようにも思えた。終わり頃になって、住職が私にこんなことを言いました。

□住職「あなたのような人は、よくここに来ますよ」