16          文永11.12. 万年救護の大本尊         保田妙本寺

1 千葉大学大学院人文社会科学研究科教授・佐藤博信氏(文学博士)著書

「安房妙本寺日我一代記」その他に載っている。 1660(万治3)年に貫首として保田妙本寺に入った日濃(--1682・天和2年死去)の時代に起きた。保田妙本寺格蔵「万年救護の大本尊」以下の重宝類(重宝日蓮真筆曼荼羅六幅並びに消息十八枚)を日濃が寺外に持ち出して質入れする重大事件である。 佐藤博信氏「この混乱時に『御宝物箱』にあった多くの中世以来の曼荼羅本尊・古文書・典籍類が保田妙本寺から失われた可能性が高い」(P195)と言っている。

 1660年当時の大石寺・17世日精・19世日舜が隠居・当代法主は20世日典・日精が江戸常在寺に健在していた。当時の大石寺17世日精の事跡は

6 1659年 大石寺六壺板本尊造立 大石寺客殿日蓮像造立

1660年 大石寺客殿日興像造立 江戸常泉寺板本尊造立

1662年 富士門家中見聞(家中抄)完成

1676年 日精が宝物散逸について書状を保田妙本寺へ(歴全2-P319)

 大石寺の古文書・正式文献の中に「万年救護の大本尊・質入れ事件」について記したものは見あたらない。 現在身延山久遠寺格蔵・1935(昭和10)年に奉納された「弘安三年(1280)卯月日」日蓮曼荼羅本尊は此の時に保田妙本寺から流出した本尊だと言われている。

 万年救護の大本尊が西山本門寺へ渡り、西山本門寺と保田妙本寺の所有権争いになった。

保田妙本寺は万年救護の大本尊を取り返そうとして様々な工作・万年救護の大本尊を模写彫刻の板本尊(レプリカ)を造立・各地の寺院にある板本尊がその時の板本尊だとされている。

最終的に寺社奉行の裁決で保田妙本寺22代日達の時(?1704)に保田妙本寺に戻っている・日濃は除歴されている。 毎年10月の虫払いの時のみ万年救護の大本尊は奉掲される。2000年代に創価学会、日蓮正宗をやめて保田妙本寺に行った信者で「保田妙本寺貫首の血脈相承」を言った者が居た。こういう歴史を見れば、保田妙本寺に血脈相承などないことは明らかに判る。