日蓮本宗本山・要法寺18(謎の称徳符法の大本尊2)

 

日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨が編纂した『富士宗学要集』8巻によれば、要法寺に格蔵されている「称徳符法の曼荼羅」の顕示年月日は、「文永九年太才壬申正月元日」。

授与書は「問答第一行戒智徳筆蹟符法沙門日興授与之」となっており、仏滅讃文は

「仏滅度後二千二百二十余年之間 一閻浮提之内 未曾有之大曼荼羅也」

となっている。授与書が日興に宛てられていることから、通称名は「称徳符法御本尊」と古来から言うようである。

東佑介氏は自らが所蔵しているという「称徳符法本尊」の形木本尊の写真を著書で公開している他、ブログで東佑介氏はオスカー氏から入手したという図版も公開している。

東佑介・称徳符法の本尊1

 

この「称徳符法の本尊」の最大の問題点は、これが本当に日蓮の直筆なのか、という点である。

この本尊の諸尊勧請の曼荼羅の相は、文永十年七月八日の佐渡始顕本尊以降の相であり、さらに仏滅讃文が入っている本尊は、文永十一年七月の本尊以降である。

文永九年に日蓮が図顕した本尊で、これだけの諸尊勧請の曼荼羅は、他に例がない。

東佑介氏は、ブログ「京都要法寺所蔵『称徳附法漫荼羅』について」において

「『称徳附法漫荼羅』が日蓮聖人の御筆と認められるかというとそうは思われない。日蓮聖人は文永八年十月九日より御本尊を図顕されるのであるが、この時期の御本尊とは根本的に相違している。下記に文永九年の御本尊を掲げよう。典拠は『御本尊集』第二番である。

安本No.2は文永九年六月十六日、つまり、『称徳附法漫荼羅』が図顕されたと伝わる五ヵ月後の御本尊である。にもかかわらず、安本No.2は『称徳附法漫荼羅』の如くになっていない。そもそも、文永初期の御本尊(~安本No.7)は①首題②釈迦多宝③不動愛染という特徴がある。けれども、『称徳附法漫荼羅』はこうした初期の御本尊の範疇に入らない。」

と書いて、「称徳符法本尊」を偽筆と断じている。

http://blog.livedoor.jp/naohito_blog/archives/51073585.html

 

これに対して真筆説は、日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨で、自らが編纂した『富士宗学要集』8巻に、日蓮真筆本尊として所収している。

東佑介氏が指摘しているように、曼荼羅の相について、数多くの疑義があるにもかかわらず、堀日亨が「真筆」としている根拠は、おそらく筆跡ではないかと思われる。形木本尊の写真で見る限り、この本尊の筆跡が日蓮のものに見えなくもない。

しかし筆跡が日蓮のものだと仮定しても、他の日蓮の本尊から模写した可能性もあるわけで、筆跡のみで真偽を判定することはできない。しかし現存する日蓮真筆本尊の中に、この「称徳符法本尊」の曼荼羅の図形と合致する本尊はない。

 

ちなみに、警察等の科学捜査では、東京高裁・平成121026日判決がきっかけになり、それまで行われてきた「鑑定人による勘と経験に頼る伝統的筆跡鑑定法」と決別し、調査や実験データなどを利用する客観的な鑑定法へ移行している。そして現在では、近代統計学に裏付けされた客観的判断基準となる数学的な数値解析法へと進化して行っているという。

「筆跡鑑定」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%86%E8%B7%A1%E9%91%91%E5%AE%9A

 

現在の所、筆跡を根拠にした偽筆説のほうが説得性が高いと考えられるが、筆跡のみで偽筆説で確定させることにも疑問符がつく。

さらなるこの本尊の鑑定が必要と思われる。