日蓮本宗本山・要法寺19(謎の称徳符法の大本尊3)

 

日蓮本宗・本山要法寺の重宝・称徳符法の大本尊の伝承の経緯を調べていくと、さまざまな疑問点が噴出してきます。

称徳符法の大本尊が、日蓮、日興、日目、日尊から歴代要法寺貫首に相承されてきたというなら、上古の附属状に「称徳符法の大本尊」が出てきてしかるべきなのだが、これが全く出てこない。

康永3(1344)68日、日尊が日印に授与した付弟状には、次のように記されている。

 

「宰相禅師日印に授与する 本尊壱鋪 日興上人の御筆 元応三年正月十三日

大聖人の御影壱鋪

右付弟として授与する件の如し

康永三年甲申六月八日 法師日尊在判 日慧在判 日大在判 日堯在判 日禅在判 日従在判」

(日蓮正宗大石寺59世法主・堀日亨編纂『富士宗学要集』5p44)

 

この日尊付弟状は、要法寺13世広蔵院日辰が著書「祖師伝」の中で引用しているものであるが、正本が存在していないという。この中に、日尊から日印へ日興筆の曼荼羅と日蓮御影を授与するとは書いてありますが、称徳符法の本尊については、何も記されていない。

『富士宗学要集』を編纂した日蓮正宗大石寺59世法主・堀日亨も

「同山(要法寺)の重宝と称する称徳符法の本尊は何師が相伝を受けられしや未だ記文を見ず」

(『富士宗学要集』8p101)

と書いている。

富士宗学要集9

 

堀日亨は、『富士宗学要集』8巻の中で、日尊付弟状につづいて、天正14(1586)の聖主院日顕から要法寺14世日賙、慶長13(1608)の要法寺14世日賙から15世日性、16世日恩から18世日陽への要法寺相承目録を載せている。それを見ると

 

「日賙在判 天正十六戊子年五月初三日之を許可し了ぬ。

当流相承の諸大事 

嫡弟日陽に授与せしめ候

慶長十三戊申年六月十三日 日性在御判追って之を許す」

「一 授戒式法相承

 一 御本尊書写御代々の相承の如し 付り守符

 一 本因妙抄相伝 付り二箇御相承

 一 百六箇の本迹相伝

 一 五人所破抄相伝、興師御作日順御右筆

 一 八通の御切紙相伝

 一 廿六箇条の御遺誡相伝

時に天正十四丙戌年二月七日  日顕

大教坊日陽 謹んで授与し畢ぬ  十六代日恩 在御判」

(『富士宗学要集』8p101102)

 

このように要法寺14世日賙、15世日性、16世日恩、18世日陽の要法寺相承目録の中に、称徳符法の本尊の名前が出てこない。

つまり開祖・日尊から18世日陽の相承の中に、称徳符法の本尊の名前が出てこないということになるわけで、もし本当に日蓮・日興・日目・日尊から歴代要法寺貫首に称徳符法の本尊が相承されたとすれば、要法寺相承目録の中に出てこないのは、明らかな不審点です。

こういったことから、普通に考えれば、要法寺の「称徳符法の大本尊」なる曼荼羅は、18世日陽の代までは存在しておらず、18世日陽以降、江戸時代になってから、偽作された曼荼羅と考えるのが至当ではないだろうか。

要法寺22本堂3