日蓮本宗本山・要法寺20(謎の本尊・附法の曼荼羅)

 

京都要法寺には、「称徳符法の曼荼羅」の他にも、「附法の曼荼羅」「付法第一の本尊」「大日本国護衛の本尊」といった、謎めいた本尊が格蔵されている。

中でも「建治二年(1276)正月元日」の日付がある「附法の曼荼羅」は、要法寺では日蓮から日興への「血脈付法の真印」と位置付けられている本尊ということである。これについては、富谷日震の著書『日興上人正伝』において、

「(三)付法の曼荼羅

建治二年(一二七六)正月元日、本尊を図し重ねて師に賜う。脇書に云く、付法沙門日興授与之 称徳付法の曼荼羅と共に両幅三元の本尊と称し奉る、これ血脈付法の真印として日尊上人相伝し、これまた京都・要法寺に蔵す。」(『日興上人正伝』p31

と書いている。「血脈付法の真印」という位置づけは、ここから来るようである。

 

「附法の曼荼羅」の曼荼羅の相については、かつて要法寺機関紙『要法』406号の2面に載ったという「附法の曼荼羅」の写真を、東佑介氏がブログに載せている。

附法漫荼羅1


「京都要法寺所蔵『附法漫荼羅』について」

http://blog.livedoor.jp/naohito_blog/search?q=%C9%ED%CB%A1%A4%CE%D2%D8%E8%B8%CD%E5

 

この写真を見る限り、曼荼羅の相はあまりにも不鮮明で、判読は不可能に近い。そういう不鮮明な曼荼羅の相から、東佑介氏は、強引に曼荼羅の相を判定して偽筆説を導き出そうとしているが、これはあまり説得力がない。

「仏教宗学研究会」も「建治二年(1276)正月元日」の日付がある「附法の曼荼羅」は偽筆であるという説には賛意を表するが、東佑介氏の偽筆説の組み立て方は、誤りであるという見解である。

「仏教宗学研究会」の「附法の曼荼羅」偽筆説は、以下の通りである。

 

1 日蓮は弘安5(1282)10月、死去の直前に六老僧を決め、その序列を「不次第」としている。少なくとも、日蓮は日興一人に附属しておらず、日蓮の死後を六老僧に託している。

この史実からすれば、建治二年(1276)の段階で、日興一人を日蓮が法を附属するなどということをするばずがない。

2康永3(1344)68日、日尊が日印に授与した付弟状、要法寺14世日賙、15世日性、16世日恩、18世日陽の要法寺相承目録の中に、称徳符法の本尊も附法の曼荼羅も出てこない。

附法の曼荼羅が「血脈付法の真印」であるならば、康永3年の付弟状、要法寺相承目録の中に、称徳符法の本尊も附法の曼荼羅も出てこないというのは、明らかな矛盾である。

3 要法寺中興の祖・13世広蔵院日辰の著書「祖師伝」の日蓮伝、日興伝をはじめ、いずれの僧の伝記にも、称徳符法の本尊も附法の曼荼羅も全く出てこない。もし本当に「血脈付法の真印」という重大な曼荼羅が実在していたならば、日辰が書き残さないはずがない。

 

この三点において、要法寺の附法の曼荼羅が、13世日辰、14世日賙、15世日性、16世日恩、18世日陽より後の時代、江戸時代に入ってからの偽筆曼荼羅であることが明らかである。