■法華宗本門流大本山・光長寺5(火災後に植えられた楠木)

 

光長寺の楠が、いつからここに生育しているのか、ということが問題になってくる、というのは。具体的には、どういうことなのか。

つまり、光長寺の楠木が鎌倉時代から生育している巨木なら、少しは関連があるのかもしれないが、そうではないのである。

光長寺の歴史については、法華宗本門流ウエブサイトや光長寺ウエブサイトには、詳しく載っていないのですが、これが何と沼津市公式ウエブサイトに載っている。

「沼津市ウエブサイト・沼津市>市政情報>沼津市の文化財>沼津の寺院>光長寺」

http://www.city.numazu.shizuoka.jp/shisei/profile/bunkazai/jiinn/kouchou.htm

 

「本堂は延慶4年(1311)日春の時に建立され、その後いくたびかの修理を経て大伽藍となったが、慶長年間(15961615)に火災にあい堂宇は焼失してしまった。その後、江戸時代を通して再建が続けられたが、明治23年に再び火災にあい、山門と本堂を残したのみで、他のほとんどが焼失してしまった。この本堂は茅葺・入母屋造り、柱はすべて棒丸柱で一部の柱には漆が塗られ、天井の一部は格天井で彩色が施されていた。外観の素朴さの中に荘重さがみられ、桃山様式の影響を受けたもので、木造建築としては市内最古の建造物の一つだったが、昭和38年に解体され、昭和40年に現在の鉄筋コンクリート造りの本堂となった。」

「光長寺には、長い歴史の中で多数の文化財が所蔵され、寺宝の多くは火災で失われてしまったが、今なお貴重な文化財を所蔵している。」

光長寺30

 

以上のことが書いてあります。つまり沼津市の公式ウエブサイトによると、江戸時代の慶長年間(15961615)に火災にあい、本堂をはじめ光長寺の堂宇がことごとく焼失している。

そしてさらに1890(明治23)年には、再び火災に遇い、山門と本堂を残したのみで、他はことごとく焼失してしまったという。したがって岡宮・光長寺の楠木も、少なくとも江戸時代の大火災以降、植樹された楠木であることが明らかである、ということである。

よって光長寺の楠木は、大石寺の「戒壇の大本尊」「最初仏」なるものとは全くの無関係ということになる。

光長寺3楠



このことは「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」の「戒壇大本尊は後世の偽作だ(26)~小泉久遠寺・岡宮光長寺の楠木は江戸・明治の大火以降に植樹されたことが明白」の他、mixi「アンチ日蓮正宗」コミュニティの「日蓮正宗大石寺の『本門戒壇の大御本尊』なる板本尊は日蓮真筆ではない。後世の偽作だ」PART1の検証26に書きました。

「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/

「大石寺の『戒壇大本尊』は後世の偽作だ」

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_161867.html

「戒壇大本尊は後世の偽作だ(26)~小泉久遠寺・岡宮光長寺の楠木は江戸・明治の大火以降に植樹されたことが明白」

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/3665093.html

「日蓮正宗大石寺の『本門戒壇の大御本尊』なる板本尊は日蓮真筆ではない。後世の偽作だ」

PART1(検証185)

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=66503912&comm_id=406970

 

 (以下、次回)