■法華宗本門流大本山・光長寺8(木くず・秘蔵抄は存在せず)

 

大石寺の「戒壇大本尊・彫刻の木くず」なるものや「秘蔵抄」という古文書が、本当に光長寺宝蔵の中に格蔵されているのか。まず確認する手段としては、光長寺に電話して僧侶に聞いたわけですが、その回答は「そういうものは、聞いたことがない」というものでした。

明治時代、日蓮正宗大石寺52世法主・鈴木日霑が「伝説」と称して言っている「大石寺は『戒壇の大本尊』を格蔵しているが、板本尊の墨で書いた文字を削り取ったので、宗祖日蓮の法魂は木屑のある岡宮・光長寺にあることになる。大石寺にあるのは、蝉(せみ)の蛻(ぬけがら)だけみたいなものだ」という話しについても、「そんな話しは聞いたことがない」「今の光長寺は、そういうことは言っていません」とのこと。

光長寺20本堂

 

光長寺の僧侶の回答は、かくなるものでしたが、「そういうものは、聞いたことがない」というのは、「本当は存在しているのに、その僧侶が知らない」という解釈も成り立たないわけではない。

そこで光長寺に行って、しかるべき役僧に質問してみたいと思ったわけですが、行って見ると塔中坊から僧侶があわただしく出てきて、車に乗ってどこかに行ったり、あるいは車に乗った僧侶が境内にすべり込んできて、車からあたふたと降りて、あわただしく塔中坊に駆け込んでいったり…。

あるいは塔中を歩いている僧侶に私があいさつすると、「どーも」とは言うのですが、鞄を片手にあたふたと急ぎ足で境内のどこかに消えていった僧侶もいました。

私の顔が見慣れない顔のせいなのか、どこか僧侶のほうが避けているように見えました。外で見かけた僧侶は一見して、年寄りの僧侶ではなく、若手の僧侶に見えましたが。

 

私としては、何とかして光長寺の僧侶の話を面談にて聞こうと思い、庫裡・方丈に行き、方丈にあった受付の窓口らしき所にあったインターホンを鳴らしてみたのですが、誰も出てきません。

何度、インターホンを鳴らしても全く応答なしでした。

境内を僧侶が歩いている姿を見かけるので、方丈に誰もいないはずがないと思うのですが。どこかに防犯カメラでも設置されていて、見知らぬ顔の来訪者だと、出てこないのかなと勘ぐりたくもなります。

 

そこで私としては、別の方法をとることにしました。というのは、光長寺宝蔵の前には、沼津市教育委員会が建てた、下記の立て看板が立てられています。

 

 

「岡宮・光長寺 御宝蔵 国登録文化財

 

この御宝蔵は昭和4(1929)に落成し、沼津市内に現存する鉄筋コンクリート造りの建造物としては最古のものです。関東大震災で旧宝物殿が激しく損傷したため、建て替えに当たって災害に強い構造が採用されました。

反りの大きい尖塔状の六角屋根が特徴で、鉄筋コンクリート造りでありながら、和風の伝統様式である虹梁、水鼻、蟇股、大瓶束などの簡素な装飾を向拝柱や外壁に施しています。

宝蔵という性格から二重壁で造られており、床下に約2メートルの空間を設け、さらにその下部に数メートルの木炭層を設置するなど、宝物保存のための工夫がなされています。

御宝蔵の中には、国の重要文化財に指定されている『宝物集巻第一』、県指定文化財の『しゅう字法華経』『法門聴聞集』など、学術的、宗教的に価値の高い約400点が納められています。

 

平成131月   沼津市教育委員会」

光長寺14宝蔵

 

つまりこの立て看板によると、沼津市教育委員会で光長寺宝蔵の中に収められている宝物について学術的な調査をし、学術的、宗教的に価値の高い約400点の中から、国の重要文化財、県指定文化財に指定されているものがあるということです。

つまり、光長寺宝蔵の中の宝物については、沼津市教育委員会が学術調査を行っているわけですから、大石寺の「戒壇大本尊・彫刻の木くず」なるものや「秘蔵抄」という古文書が、本当に光長寺宝蔵の中に格蔵されているのかどうかを確認するには、直接、沼津市教育委員会に問い合わせた方が早いということになる。

又、沼津市の公式ウエブサイトを見ると、光長寺の歴史について、法華宗本門流の公式ウエブサイトよりも、詳しく書いてあります。こういうことからして、沼津市ないしは沼津市教育委員会のほうで、光長寺についてかなり詳しく学術調査をしていることが明らかなわけですから、直接、沼津市教育委員会に問い合わせました。