■法華宗本門流大本山・光長寺9(木くず・秘蔵抄は存在せず2)

 

私としては、沼津市ないしは沼津市教育委員会のほうで、光長寺の宝物等についてかなり詳しく学術調査をしているわけですから、直接、沼津市教育委員会に問い合わせました。

 

私は、沼津市教育委員会の文化財担当部署の担当者A氏に対して、岡宮・光長寺の宝蔵の中に、大石寺の「戒壇大本尊・彫刻の木くず」なるものや、大石寺僧・左京阿闍梨日教が出雲国の日尊門流寺院・安養寺から相伝したという「秘蔵抄」の写本が存在しているのかどうかを問い合わせました。

 

沼津市教育委員会の担当者A氏の話によれば、光長寺に蔵されている文化財の調査は行っており、古文書、曼荼羅をはじめとするその他の宝物について、国の文化財、静岡県の文化財、沼津市の文化財の指定を行っていること。

当然の如く、本物かニセモノかの鑑別も行っていて、ニセモノや贋作を文化財に指定するということはあり得ないこと。

そこで、「戒壇大本尊・彫刻の木くず」なるものや「秘蔵抄」の写本が、岡宮・光長寺宝蔵の中にあるかどうか、沼津市教育委員会で宝蔵を調査した時の資料を調べるので、1日だけ時間が欲しい、ということでした。

 

翌日、約束通り、沼津市教育委員会の担当者A氏から連絡が入って、正式な回答がありました。

その結果は、「戒壇の大本尊・彫刻の木くず」なるものや「秘蔵抄」の写本は、光長寺宝蔵の宝物の中には確認できない。国、県、市指定の文化財の中にも、そのようなものはない、ということでした。

つまり、沼津市教育委員会で光長寺宝蔵の中の宝物を調査した時に、「戒壇の大本尊・彫刻の木くず」や「秘蔵抄」の写本というものは、なかったということです。

岡宮・光長寺2・御宝蔵1

 

それから、宝物資料として、岡宮・光長寺が出版した正式文献としての冊子「日蓮大聖人の御伝教」「宗祖日蓮大聖人七百遠忌記念」「御法門御聞書」が三冊あるが、いずれの冊子の中にも、光長寺の宝物として、「戒壇の大本尊」の木くずや「秘蔵抄」の写本の記載はないとのこと。

つまり沼津市教育委員会に出した宝物に関する光長寺としての正式見解としても、「戒壇の大本尊」の木くずや「秘蔵抄」の写本があるという記載はないとのこと。

つまり岡宮・光長寺としても、光長寺の正式見解として「戒壇の大本尊」の木くずや「秘蔵抄」の写本があるとは言っていない、ということです。

沼津市教育委員会の担当者A氏が云く「こちらで確認できないものが、あると言われても、困りますねえ」とのこと。いずれにせよ、この調査により、光長寺の宝蔵には、「戒壇の大本尊」の木くずや「秘蔵抄」の写本も存在しないことが、はっきりしました。

 

 

日蓮正宗大石寺52世鈴木日霑が、北山本門寺との「両山問答」(霑志問答)での回答や、大石寺66世細井日達が著書「悪書『板本尊偽作論』を粉砕す」で、「岡宮光長寺に『戒壇大本尊』彫刻時の木くずがある」などと書いているのは、真っ赤なウソであるということです。

52世日霑

 

又、「秘蔵抄」なる文献は、日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨が岡宮・光長寺の学頭・大林日有氏から得たと、自らの著書「隠れたる左京日教師」の中で述べているものであるが、沼津市教育委員会の見解だと、そのような文献は「光長寺には存在しない」とのこと。

仮に、宝蔵の中に蔵されているとしても、光長寺は「正文書」として沼津市教育委員会に出していないと言うことです。裏を返せば、「秘蔵抄」なる文献が宝蔵の中にあったとしても、岡宮光長寺も「正文書」として認めていない、ということになる。

 

ではなぜ、岡宮・光長寺の学頭・大林日有氏が堀日亨に見せたのか、ということになるが、文書を見せたからと言って、全て「正文書」として見せたとは限らないことは、当然のことである。

「こんな文献もありますよ」ということで、見せたということも充分に考えられる。

岡宮光長寺に、「秘蔵抄」なる文献が蔵されていない、ということを考え合わせれば、岡宮・光長寺の学頭・大林日有氏は、「正文書」として堀日亨に見せたのではなく、堀日亨が富士門流だから、富士門流の参考文献として、見せたと考える方が「正鵠を得ている」(東佑介氏)と考えられる。