松本修明・岩立修盛問題で、書き込みが遅れてしまったが、再度、東佑介氏の問題を取り上げたい。

「仏教宗学研究会」で、東佑介氏の説について批判を加えたところ、東佑介氏はブログにて、反論を試みようとしているようである。

 

「仏教宗学研究会に対する反論」

http://blog.livedoor.jp/naohito_blog/archives/51952340.html

「仏教宗学研究会への再度の反論」

http://blog.livedoor.jp/naohito_blog/archives/51955465.html#more

 

東佑介氏は、『大石寺教学の研究』『二箇相承の真偽論』『法華本門宗要抄の真偽論』『本尊三度相伝の真偽論』『産湯相承事の真偽論』『日興門流文書とその真偽論』『富士大石寺における本仏論の形成と展開』『西山本門寺の沿革と展開』『京都要法寺の沿革と展開』『初期日興門下に関する一考察』等々、著書の数だけは多いのであるが、その内容については、実に誤った説が多いのである。

大石寺教学の研究1


東佑介氏は、富士門流研究を自認しているようで、日蓮正宗大石寺の教学に関することについても、著述を残している。

それらの中で東佑介氏の誤った教説の代表的なものが、『大石寺教学の研究』なる本と、京都要法寺に関する説であり、「百六箇抄」は京都要法寺が偽作したとする要法寺偽作説である。

では、東佑介氏の何に関する説が誤っているのか、というと、

「本是院日叶(左京阿闍梨日教)」「百五十箇条」「秘蔵抄」「百六箇抄の後加文」「開迹顕本法華二論議得意抄・祖師伝をはじめとする要法寺13世貫首・日辰の著述の読み方」「上行院の文」「院号について」「百六箇抄本文と末文の読み方」「本門寺戒壇」「日興嫡嫡相承の曼荼羅の解釈」「要法寺・称徳符法本尊の偽作説の内容について」「仏教の戒壇について」「日蓮本仏義について」…

等々、実に多岐にわたっている。

こういうところから、東佑介氏は、偽作説等について誤った結論を導き出し、著書やブログで発表していることは、日蓮正宗大石寺教学への誤った批判を誘発することになる。そういう意味で、東佑介氏の誤った説は、正常な日蓮正宗批判を展開していく上で障害になっている、という言い方もできよう。

 

ところが反面、この東佑介氏の説は、「法華仏教研究」等の仲間を除いては、ほとんど誰からも相手にされていないのである。「東佑介氏の本を読んで日蓮正宗から離檀した」などという話しは聞いたことがないし、ましてや日蓮正宗からの反論は全くなし。それどころか、ちょっとでも日蓮正宗批判を見つけると過剰なまでに反応する、龍神ひろしをはじめとする日蓮正宗カルト信者のサイトやブログも、全く東佑介氏の説を無視し、相手にしていないのである。

 

又、東佑介氏自身も自らのブログで、日蓮正宗から全く相手にされていないことを認めている。

「迅速な対応と無反応」

http://blog.livedoor.jp/naohito_blog/archives/51950376.html

「私はもう随分と大石寺教学に批判的な論文を書いているが日蓮正宗僧侶から反論を戴いたことがない。日蓮正宗からしたら「アズマ?誰だね、それは。」といったところなのだろう。だから友人から「反論来たか?」と聞かれる度に「来てない。わしゃ無名だからねぇ。」と笑いながら答えている。」

 

東佑介氏の誤った説や反論について、いちいち斬ることは、たやすいことであるが、「仏教宗学研究会」のブログは、何も東佑介氏批判専門のサイトではない。

こういう誤った説を批判するに当たっては、まず全体像・全体観を示す中で、自ずとさまざまな誤った教説が明らかになっていくものである。よっって東佑介氏の誤った説批判も、こうした定石の元で行われるべきである。

よって、仏教宗学の全体像・全体観を示すために、少々、東佑介批判が遅くなっても、大した影響はないと考えられる。

 

むしろ、東佑介氏は、日蓮正宗側から全く相手にされていないことを寂しがっているくらいだから、仏教宗学研究会が東佑介批判を展開していることについて、大喜びで喜んでいるものと思われる。そのうち、感謝の菓子折でも届けられると思われるので、楽しみに待つことにしよう。