■身延山久遠寺4(西谷の日蓮草庵跡1)

 

身延山久遠寺の山門をくぐらず、麓の山道を歩いていくと、「西谷」と言われている山林の中に、鎌倉時代の昔、日蓮が住んだ草庵跡が残っている。

身延山久遠寺5・草庵跡


まさにここが、日蓮が起居していた草庵の跡であり、久遠寺発祥の地である

日蓮は足かけ9年にわたり、ここに自らがむすんだ草庵にて法華経の読誦と門弟の教育に終始したと言われている。

私がここの草庵跡を見た印象としては、そんなに広くもなく、さりとて狭くもなく、といった感じか。

ここには外側に囲いがしてあるが、この囲いいっぱいに、日蓮の草庵が建っていたとは思えない。

この日蓮草庵跡には、身延町教育委員会の立て看板が建てられています。

日蓮・草庵跡5


身延町教育委員会の見解では、この草庵跡は、18.18メートル四方となっています。

おそらくは、1281(弘安4)年に建てられた十間四面の堂宇も含めての広さなのではないか。

ただ、ここで日蓮が、多くの門弟たちを育成していたというが、日蓮を筆頭にたくさんの門弟が起居し、修行するには、ちょっと狭くはないかな、と思う。

草庵のたたずまいも、日蓮一門の当時の極貧状態の生活から推するに、かなり質素なものだったであろう。

 

又、ここには身延町教育委員会の看板よりも古い時代に建てられた石碑も建てられています。

日蓮・草庵跡4


当然のことながら、ここが日蓮の草庵跡として、学術的にも証明されているということである。

 

草庵跡全体は、石でできた囲いで囲まれているので、相当古い時代から、ここが「草庵跡」として保管されてきたことがうかがい知れます。

日蓮・草庵跡3

 

この草庵跡では、毎年617日午前11時から、身延山久遠寺法主大導師のもと、山内支院僧侶出仕のもと、身延山開闢会法要が営まれ、式中、日蓮遺文(御書)「身延山御書」が奉読される。

さらにこれに先んじて午前9時より、日蓮の身延入山を記念した身延山開闢の御入山行列が、総門から三門までの約1.5キロの門前町を練り歩くお祭りが行われる。

 

さてもうひとつの研究課題である、大石寺の「戒壇の大本尊」の問題を重ね合わせてみる。

多くの門弟が起居し修行したこの質素な日蓮草庵で、どこに、総重量200キロ以上にもなんなんとする「戒壇の大本尊」なる板本尊を安置できたのだろうか?という最大の疑問が涌く。

 

大石寺の「戒壇の大本尊」日蓮真筆説を調べると、日蓮はここの質素な草庵に、総重量が二百キロ前後もある巨大な「戒壇の大本尊」を、人目に知れずに秘蔵していたことになるが、これはどう考えても不可能である。

 

日蓮正宗は「本門戒壇の大御本尊」は「広宣流布の暁までは蔵の中に秘蔵して公開しない」などと言っているが、それならばこの草庵跡を含め、身延山久遠寺のどこかに「本門戒壇の大御本尊」を秘蔵していたという蔵か、ないしは穴蔵みたいなものがなくてはならないが、身延山久遠寺のどこを探しても、そんなものは存在していない。

いろいろな実地調査や取材を積み重ねていくことによって、日蓮正宗の教学が、いかにデタラメ極まりないものであり、ウソ八百を言っていることが、明白になっていくと言えよう。