一般社団法人 仏教宗学研究会・公式ブログ

「一般社団法人 仏教宗学研究会」とは任意団体として2005年から活動している会の名称。2018年5月に一般社団法人登記。当ブログ名を「仏教宗学研究会のブログ」から「一般社団法人 仏教宗学研究会・公式ブログ」に改名。 「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判・糾弾は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」が管轄。「一般社団法人 仏教宗学研究会・公式ブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。「仏教宗学研究会」と「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」は表裏一体の同体異名。日蓮正宗、創価学会・SGI・顕正会・正信会、さらに富士門流執着軍団…らを批判する主旨は同じ。 (背景写真は高野山真言宗総本山・高野山奥の院灯籠堂参道)

Category: 長野・善光寺

■長野善光寺14(大勧進貫主解任騒動1)

 

□長野・善光寺大勧進・小松玄澄貫主に対し天台宗務庁から解任の辞令が送達

 

2018331日、セクハラ疑惑等々で揺れる長野・善光寺大勧進・小松玄澄貫主に対し、天台宗務庁から解任の辞令が送達されたというニュースが飛び込んで来た。

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善光寺大勧進小松貫主に解任辞令  3/31() 18:20配信

 

SBC信越放送

 

善光寺大勧進の小松玄澄貫主に対し、人事権のある天台宗務庁から解任の辞令が届き、大勧進は、瀧口宥誠副住職が貫主の代理を務めることになりました。

善光寺大勧進で、一山の住職や筆頭総代が会見を開き明らかにしました。

解任辞令は、天台宗の天台座主名で出され、小松貫主にきょう午後、直接手渡されました。

その際、小松貫主は、動揺する様子もなく黙って目を通していたということです。

一山の住職や信徒総代側は、瀧口宥誠副住職が次の貫主の候補が決まるまで特命住職として代わりを務めるとしています。

一方、小松貫主は、去年12月、天台宗務庁に辞任する届けを出しましたが、今年入り、辞意を撤回し、裁判所に、貫主としての地位保全を求める仮処分を申し立てています。

(yahooニュース)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180331-00325826-sbcv-l20

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善光寺大勧進貫主については、セクハラ疑惑等で、辞任、辞任撤回、告訴…で揺れており、310日には、こんなニュースが配信されている。

 

 

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■長野善光寺13(2016年・初詣2)

 

2016年春の長野善光寺初詣の時の御朱印

 

例年、正月三が日に行っていた参拝を、4月に繰り延べて参拝した2016年の長野善光寺

「初詣」の時の御朱印である。

 

 18参拝御朱印1








































18参拝御朱印2






















18参拝御朱印3























 

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■長野善光寺12(2016年初詣)

 

□「仏教宗学研究会・北陸支部」建設無事故祈願のお札を下附していただいた2016年・善光寺初詣

 

2016年の善光寺初詣は、例年、正月三が日に行っていた参拝を、4月に繰り延べて参拝しました。2016年は、「仏教宗学研究会・北陸支部」の建設工事があり、20164月初旬、すでに上棟式(いわゆる棟上げ・むねあげ、建前・たてまえ、建舞・たてまい)が終わっていた。

「仏教宗学研究会・北陸支部」が入る建物は、「仏教宗学研究会」管理人が所有する土地であり、建物も「仏教宗学研究会」管理人名義の建物である。よってこの建物建築工事の工事施主も、「仏教宗学研究会」管理人である。

日本の風習では、上棟式は、神式ないしは仏式の儀式を行うのが通例だが、「仏教宗学研究会」管理人は無宗教でもあることから、宗教的儀式は一切なし。しかしながら、2016年の場合、善光寺初詣と「仏教宗学研究会・北陸支部」建設工事の時期が重なったため、善光寺・大勧進で、建設工事の無事故を祈祷。大勧進で下附していただいたお札を、「仏教宗学研究会・北陸支部」が入る「仏教宗学研究会」管理人名義の建物の一角に、大工さんに備えつけていただいた。建物そのものは、20167月に落成しているが、この時のお札は、今も建物の一角に備えつけられている。-----お札は、大工さんが備えつけたので、「仏教宗学研究会」管理人は、お札が建物のどの部分に備えつけられているのかは知らない。------

さて4月の参拝では、善光寺境内に参拝人はそんなに多くない。ただし、普段の平日の東京・池上本門寺ぐらいの参詣人が来ていたように思う。内陣参拝、お戒壇めぐりを済ませ、大勧進へ。

さすがに大勧進での護摩祈祷は、私一人だけであった。これが正月三が日だと、大勧進本堂に入りきれないくらいの参詣人がきて、一日何度も護摩祈祷が行われているところ。ちょっと寂しい気がした。しかし御朱印は、例年通り、いただいてきました。

善光寺4 



















(20164月参拝時の善光寺本堂)

 

善光寺2

















(20164月参拝時の善光寺山門)

 

大勧進1



















(20164月参拝時の善光寺大勧進)

 


 

4参拝御朱印1

 
















































(20164月参拝時の御朱印)

 

 

 

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■長野善光寺11(2003年・御開帳1)

 

□仏教宗学研究会の書庫の中から発見された2003年の善光寺「御開帳」参詣の時の写真

 

昨年、「仏教宗学研究会」の書棚・書庫に格蔵されている膨大な量の書籍・史料・写真等を整理していたら、2003年に長野善光寺「御開帳」に参詣した時の写真が発見されました。あの時も、新幹線を利用して長野に行った記憶があります。ホテルはどこに宿泊したのか、記憶がありませんし、メモも記録も日記も残っていません。彼の当時は、「mixi」も「GREE」もブログもやっていませんでしたし。もちろん、「仏教宗学研究会のブログ」の記事・投稿は、自分で筆記したメモ、記録、日記を元にして書いています。

2003御開帳2

















2003御開帳4



















2003御開帳3



















2003御開帳1



















長野駅32



















長野駅33




















 

 

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■長野善光寺10(2015年・御開帳3)

 

□私があまり好きではない「十割そば」(十割そば粉でできたそば)の店が並んでいた善光寺の参道

 

「御開帳」の日の夜は、長野市の繁華街・権堂のスナックに入る。私が宿泊したホテルの入り口カウンターに、「長野ナイトマップ」という名の小冊子があり、長野駅前から繁華街・権堂のスナック、ラウンジ、パブ、バー、居酒屋等々が載っていて、どういう店なのか、だいたいの予算はどれくらいなのか、等が一目でわかるようになっている。スナックに入っていくと、「ホテルに泊まっているんですか」「御開帳ですか」と声をかけられる。宿泊客であることが、一目でわかるらしい。

「一見さん(いちげんさん)は、だいたいホテルに泊まっている人なんですよ」…とスナックのママは言う。一見さん(いちげんさん)は、あるお店に何らの面識なく、初めて訪れた人のことである。

長野駅前、権堂界隈のスナックは、東京都内のスナックに比べて、安価で良心的、かつ利用しやすい店が多い。もっとも、高価なコニャックとか、スコッチとかをボトルキープすれば別だが、ビールを飲んで、つまみを食べて、カラオケをやって、5000円以内でおさまる店が多い。

その権堂の某スナックに入ったときのこと。そのスナックの客の中に、なかなか遊び上手な中年男性がいた。その男性、全国各地を旅して遊んだらしく、全国各地の特産品やら名物料理やら美味しい郷土料理やらホテルやらに、やたらと詳しい。私も全国各地を旅して歩き、いろいろな料理を食べたり、いろいろな所に宿泊したので、その男性と、遊び談義に話しの花が咲いた。そしてそ「遊び談義」が、そばの話しに。長野といえば「信州そば」「戸隠そば」が有名。戸隠(とがくし)そばとは、一般には、長野県長野市戸隠(旧戸隠村)の蕎麦をさす。岩手県のわんこそば、島根県の出雲そばと共に、日本三大そばの一つとされる。善光寺門前付近には、「十割そば」の店がたくさんある。十割そばとは、そば粉だけで打つ蕎麦で「つなぎ」を使っていない蕎麦のこと。そばを打つときは、「つなぎ」を入れるが、つなぎが無くて、そば粉だけが十割だというそばを強調する意味で「十割そば」という。つなぎとは小麦粉のことで、小麦粉に含まれているグルテンがつなぎの役目をする。基本的に蕎麦は十割では「つながらない」。そばには、本来つながるための成分が含まれていない。粉どうしをつながらせるためには、グルテンなど粘着力がある、「つなぎ」成分が必要。そこで、蕎麦にはつなぎ(小麦粉)を入れるのが主流になっている。つなぎ0なら蕎麦が十割なので、十割そば。つなぎ2割なら二八そば、つなぎ1割なら九割そば、という。おおまかな割合の目安になる。ところが、私は「十割そば」が、あまり口にあわない。小麦粉が混ざった「二八そば」のほうが口に合う。そうすると、遊び上手の男性や、スナックのママさんから「長野駅ビルMIDORI」に入っている、そば店は美味しいですよ、との推薦を受けた。翌日、ご推薦のそば店に入ってみたが、確かにこの店のそばは、小麦粉が混ざった「二八そば」系であった。

 

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■長野善光寺9(2015年・御開帳2)

 

12年ぶりに参詣した2015年春の長野善光寺前立本尊・御開帳の時の御朱印

 

御朱印の受付も、長蛇の行列になっている。番号札を渡されての順番待ち。ここにも若い人が、大勢詰めかけている。これは、長蛇の行列に並び、さらに番号札までもらった末に、ようやくいただいた善光寺前立本尊・御開帳の時の御朱印である。

2015御開帳御朱印1

























2015御開帳御朱印2

























2015御開帳御朱印3

















































 

(2015年の善光寺御開帳の時の御朱印)

 

 

 

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■長野善光寺8(2015年・御開帳)

 

2003年の御開帳以来、12年ぶりに参詣した2015年春の長野善光寺前立本尊・御開帳

 

2015421日~23日の日程で、長野・善光寺2015年前立本尊御開帳に参詣した。今回も北陸新幹線・あさま号で長野へ。前回11日の初詣の時は、314日の金沢延伸開業以前であり、名称も「長野新幹線」だが、今回は「北陸新幹線」。かがやき号で行けば、東京から長野までは約1時間20分ぐらいで着いてしまうのだが、まあ特に急いで行く必要がなく、北陸新幹線になってから、長野は終着駅ではなく、途中駅になったため、車内で寝てしまって、長野駅を通過してしまうという事態も避けたい。というわけで、東京発・長野行きの「あさま」号に乗車。この列車、各駅停車なので、何と東京から長野まで1時間50分くらい、かかってしまった。長野駅に着いてみると、「御開帳」一色。長野市内や駅周辺には、「善光寺御開帳」のポスターが所々に貼られていたし、長野駅のコンコースには、「歓迎 善光寺御開帳」の横断幕が吊されていた。

長野1

















御開帳1

















 

(長野駅のコンコースに吊されていた「歓迎 善光寺御開帳」の横断幕)


御開帳10





















































(長野市内の所々に貼られていた「善光寺御開帳」のポスター)



さて前日まで関東甲信越地方は雨で、天気が心配だったが、当日、雨はあがり、長野市内も晴れていた。今回も私は一週間前に、JTBのビジネスパック(出張応援価)で、東京・長野の往復新幹線乗車券・特急券と2泊分のホテル宿泊券を予約。長野駅前のホテルで2泊する。このホテル、大浴場が9階にあり、長野駅から市内を見下ろせる展望風呂になっている。こういう風呂は、かつて九州旅行をしたときに、鹿児島のホテルで入った記憶がある。

翌朝、私は長野駅前からタクシーに乗って善光寺へ。善光寺御開帳に来るのは、2003年の御開帳以来、12年ぶりのこと。善光寺山門には「祝善光寺御開帳」の文字が見える。また、善光寺門前には「前立本尊御開帳」「前立本尊遷座式」を伝える木製の立て札が立てられている。


2015-2



















 

(善光寺山門に見える「祝善光寺御開帳」の文字)


御開帳5






















































(善光寺門前の「前立本尊御開帳」の木製立て札)


2015-4




















































 

(善光寺門前の「前立本尊遷座式」の木製立て札)




そして善光寺本堂前には、巨大な回向柱が建てられている。これは前立本尊御開帳の象徴のようなものです。参詣の人たちが、回向柱を手で触っている。私も回向柱を手で触ってきました。


2015-6


















2015-7



















































 

(善光寺本堂前の巨大な回向柱)

 

 





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■長野善光寺7(2015年初詣3)

 

□舞い上がる護摩の炎、迫力ある僧侶の叩く太鼓の音、迫力満点の善光寺本坊大勧進護摩祈祷

 

長野・善光寺本堂に参拝した時は、必ず「お戒壇めぐり」をすることにしており、今回も、あの真っ暗な回廊の階段を降りていった。この「お戒壇めぐり」とは、本堂内々陣に蔵されている瑠璃壇(須弥壇)下に設けられている真っ暗な回廊を通り、極楽の錠前を探り当てて、善光寺如来と結縁するというもの。最初にこの「お戒壇めぐり」の真っ暗闇の回廊を手探りで歩いて行ったときは、何が何やら、さっぱりわからない。どこが極楽の錠前なのかもわからない。真っ暗な回廊を手探りで歩くだけで、せいいっぱいだった。ところが何度も善光寺本堂に参詣し、「お戒壇めぐり」をするうちに、だんだんと要領がよくなってきた。最初のころは、私は自分の肩や胸の高さのあたりを手探りしながら歩いていた。だが、これだと極楽の錠前を探り当てることはできない。そうではなく、腰の高さぐらいの所を手探りして歩いて行くと、極楽の錠前を探り当てることができる。「お戒壇めぐり」の入り口前には、昭和13(1938)6月、タイ国王室より寄贈された仏舎利(釈迦如来の遺骨)と釈迦如来像が祀られているお厨子がある。ただしこの時は、釈迦如来像は「修復中」ということで、厨子の中にはなかった。

さて2015年も、新年護摩祈祷をしてもらおうと、善光寺本堂の参拝ののち、大坊大勧進に参拝。善光寺は、天台宗と浄土宗の共同運営される無宗派の寺院。天台宗側の本坊が大勧進である。大勧進護摩堂前にはテントが張られていて、護摩祈祷の受付をしている。申し込みをする人でテントの中は大混雑。護摩祈祷も12時、13時、14時、15時と、1時間毎に行われている。今年も3000円で護摩祈祷を申し込み、ギリギリで12時の護摩祈祷に間に合った。護摩堂の中に入ってみると、参詣者は堂内の3分の2ぐらい座っている。12時に合わせて大勧進貫主が出仕。護摩が焚かれて約30分ぐらいの間、護摩祈祷が行われた。僧侶の読経の声、導師の祈祷、護摩の炎、僧侶が叩く太鼓の音…いかにも祈祷をしているという感じである。2014年の初詣護摩祈祷の時は、ものすごい火柱と火の粉が舞い上がり、火災報知器のベルが鳴ってしまうというハプニングがあった。が、2015年はそういうハプニングはなし。しかし堂内で拝観していると、護摩祈祷というのは、なかなか迫力がある。私個人的には、この善光寺大勧進の護摩祈祷が好きなのです。

祈祷中に、願主の名前と祈祷内容を僧侶が読み上げるのだが、参詣者が多く、これだけでかなり長い時間がかかった。護摩祈祷後、参詣者が護摩祈祷の煙を手で煽り、不動明王像前で参拝した後、別室でお札を受け取る。不動明王像前に賽銭入れが3つあったが、どれも百円玉や十円玉で山盛りになっている。中には、千円札が数枚入っているのが見えた。

大勧進7

















大勧進5

















 

(善光寺本坊大勧進)

 

 

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■長野善光寺6(2015年初詣2)

 

□普段の本堂の朝時(朝の勤行)や法要でも拝することができない絶対秘仏・善光寺如来

 

午前中から善光寺境内は、ものすごい人出の大混雑ぶり。そして午前中から、善光寺本堂へはロープ規制になるほどの、ものすごい数の参詣者がいて、今か今かと入場を待っている。ロープ規制で、入場待ちをしている中、善光寺大本願の善光寺上人が赤い番傘の下をしずしずと本堂に出仕。大本願の上人は、尼僧である。

さて私は、本堂に入ったあと、外陣で参拝した後、内陣参拝券を買って内陣に参拝。外陣は立ったまま参拝するが、内陣は畳が敷かれていて、座って参拝する。すでに内陣に多くの参詣人が座っていて、午前11時の修正会が内々陣ではじまった。内々陣とは、内陣の奥にある僧侶席。善光寺の僧侶がゾロゾロと内々陣に出仕。最後に善光寺上人が出仕して修正会が奉修される。

別に法要の時刻にあわせて善光寺に足を運んだわけではないが、たまたま私が善光寺本堂に着いた時刻と、修正会の時刻が合致した。私もいろいろ仏教寺院を訪ね歩いているが、私が寺院に到着して後、法要がはじまって、後ろの席にひょっこり座って法要の一部始終を見聞したことは、何度もあった。今回も、このパターンである。

さて本堂内々陣の修正会のとき、内々陣の須弥壇の金襴の緞帳(どんちょう)が上がった。普段は、内々陣の緞帳は降りていて、朝時や法要が行われる時のみに、緞帳が上げられる。しかしながら緞帳が上がっても、拝観できるのは善光寺如来が蔵されているとされる宮殿(くでん)だけ。善光寺如来は、絶対秘仏であるため、拝することはできない。

一光三尊阿弥陀如来の名で知られる善光寺如来は、欽明天皇13(552)、朝鮮・百済国より日本に渡来。皇極天皇元年(642)に、信濃国水内郡、今の長野市に移る。孝徳天皇・白雉5年(654)、堂宇を勧請。これ以来、江戸時代の元禄13(1700)までの間、本堂は11回の火災で焼失。現在の本堂は、善光寺別当大勧進住職73世慶運大僧正が全国各地を行脚し、出開帳をするなどして募金を得。元禄16(1703)に着工。約5年の歳月を経て宝永4(1707)に落慶したもの。2015年で築308年になる。本堂は昭和28(1953)に国宝に指定されている。

本堂の須弥壇の中には、3基の灯籠があり、これは1300年不滅の常灯明とされ、永代不滅の常灯明(御三灯)とされる。これも須弥壇の緞帳が上がらないと、観ることが出来ない。

善光寺の「永代不滅の常灯明」も、比叡山延暦寺の「不滅の法灯」と、なんとなく似ている気がする。比叡山延暦寺の「不滅の法灯」は、開祖・伝教大師最澄の時代から灯明が消えていないと言うが、実際は、元亀2年(1571)の織田信長の比叡山焼き討ちで消えており、今の比叡山延暦寺・根本中堂の「不滅の法灯」は、織田信長の焼き討ち以前に、延暦寺の「不滅の法灯」から分灯した東北・立石寺の法灯から分灯したものである。これは、比叡山延暦寺が発行する正式文献に載っている史実である。

善光寺の場合も、火災や戦災に何度も遭遇しているわけだから、本当に常灯明が「永代不滅」なのかどうかは、研究の余地があると思う。

善光寺23






















 

(参詣者で大混雑している善光寺本堂前)

 

 

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■長野善光寺5(2015年初詣)

 

□北陸新幹線・金沢開業以前にJR東日本の新型車両E7系に乗車した2015年善光寺初詣

 

2015年の初詣は、2014年と同じ長野・善光寺。2014年は、15日に長野に行ったのだったが、今回は1231日の夕方、東京駅から長野新幹線・あさま号に乗って出発した。この当時は、北陸新幹線・金沢延伸開業以前のことであり、名称は「長野新幹線」だった。東京駅構内は、旅行カバンやキャリーバッグを持った人が大勢いて、大混雑。私は一週間前に、JTBのビジネスパック(出張応援価)で、長野往復新幹線の乗車券・特急券と2泊分のホテル宿泊券を予約していたのだが、当日の混雑状況がどうしても気になる。そこで東京駅新幹線乗り換え改札前にある「みどりの窓口」の電光板を見ると、東海道新幹線のひかり号・こだま号は全て×で満席。東北新幹線は、やまびこ、はやぶさ、はやて、こまち、つばさ号が軒並み×で満席。上越新幹線は、MAXとき号が、軒並み×で満席。ところが長野新幹線は、×印はひとつもなく、全て○印。かなり空席が残っている様子。これは、北陸新幹線・金沢開業後は、有り得ない話しで、年末になれば、東京~金沢のかがやき、はくたか号は、軒並み×印になっている。こういう情況を鑑みると、やはり北陸新幹線・金沢開業によって、乗客は大幅に増加したのは、なんとなくわかる。北陸新幹線・金沢開業以前のときに、東京から富山・金沢に行く人で、長野新幹線を使っていた人は皆無。上越新幹線の越後湯沢駅で、在来線特急・はくたか号に乗り継いでいた。JR東日本・東京駅の新幹線ホームは、年末ということもあり、東北・上越・長野新幹線は、臨時列車を増発していて、ホームにはひっきりなしに新幹線電車が入線してくる。そしてホームには、溢れんばかりの乗客が、自分が乗る新幹線列車の入線を待っている。私が乗車した長野新幹線・あさま号は、JR東日本の新型車両E7系。これは2015314日に北陸新幹線・金沢延伸開業に併せてJR東日本が新たに製造した新型車両。北陸新幹線は、金沢~上越妙高がJR西日本。上越妙高~長野~東京がJR東日本になるが、JR西日本の新型車両がW7系。E7系もW7系も車両は全く同じ形で、所属がJR東日本とJR西日本に分かれているだけである。しかしながら、W7系の営業運転は、2015314日の北陸新幹線・金沢延伸開業以降だが、E7系はすでに2014年後半から東京~長野で営業運転をしていた。というわけで、私は北陸新幹線の開業を前にして、一足先にJR東日本の新型車両E7系に乗車したというわけである。E7系は全て12両編成で、普通車10両、グリーン車1両、グランクラス1両。私は普通車指定席に乗車。東京を出てから、上野、大宮と停車して、どんどん乗客が乗ってきたが、普通車指定席は80%ぐらいの乗車率。意外と空席が残っていた。東京から長野までの所要時間は、約1時間半くらい。このとき、JR長野駅に降りたのは約1年ぶりだった。長野駅善光寺口は工事中。長野駅前から乗車したタクシーの運転手の話では、314日の北陸新幹線開業にちなんだ駅前整備工事で、314には完成しているとの話しであった。長野新幹線の終着駅として、長野駅を利用するのは、2015年の善光寺初詣が最後になる。長野駅の新幹線改札の電光板も、富山・金沢方面が「調整中」になっている。次回の「御開帳」や初詣で長野駅に来るときは、当然のことながら、北陸新幹線・長野駅になっている。富山・金沢方面の電光板にも、しっかり列車名・行き先が明示される。

長野駅26
















 

(北陸新幹線開業以前の長野駅新幹線改札の電光板「富山・金沢方面」は調整中)


長野4
















 

(北陸新幹線開業以後の長野駅新幹線改札の電光板「富山・金沢方面」に列車名・行き先が明示されている)

 

 

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■長野善光寺4(2014年初詣4)

 

2014年初詣で善光寺内陣にていただいた見事な『書の芸術』・善光寺御朱印

 

以前の当ブログにて、「善光寺御朱印の毛筆は、この上ない達筆。まさに『書の芸術』と言うべきもの。善光寺御朱印の毛筆は、あまりにも芸術的な書なので、見ていると思わず心が洗われるような気持ちになる」と書いたところ、「どんな御朱印なのでしょうか」とのお問い合わせをいただきました。というわけで、2014年善光寺初詣で、本堂内陣にていただいた善光寺御朱印をここにご紹介しようと思います。見事な『書の芸術』を御覧下さい。

2014御朱印1



2014御朱印2 

 

 

 

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■長野善光寺3(2014年初詣3)

 

□極楽の錠前を探り当てる真っ暗な回廊の『お戒壇めぐり』と回廊入り口に祀られている仏舎利

 

内々陣参拝の後は、内陣にある御朱印受付にて、善光寺の御朱印をもらった。ちょうど20134月末の東京両国・回向院での善光寺出開帳の時、善光寺御朱印帳を買い求めており、そこに御朱印をいただいた。数年前、ある所で、僧侶の毛筆が達筆かどうか云々ということが話題になったことがあったが、善光寺御朱印の毛筆は、この上ない達筆。まさに「書の芸術」と言うべきもの。善光寺御朱印の毛筆は、あまりにも芸術的な書なので、見ていると思わず心が洗われるような気持ちになる。これは、善光寺参拝のいい記念になりますね。ただし断っておくが、私はあっちこっちの仏教寺院で御朱印をもらわないと収まらないような、いわゆる『御朱印マニア』ではない。

御朱印のあとは、『お戒壇めぐり』の階下に降りていった。内々陣の右側を通って奥に進むと『お戒壇めぐり』の入り口がある。これは、善光寺如来(一光三尊阿弥陀如来)像が格蔵される瑠璃壇下の真っ暗な回廊を通り、極楽の錠前を探り当てて、絶対秘仏の善光寺如来(一光三尊阿弥陀如来)と結縁するという主旨のもの。2003年の御開帳で善光寺に参拝したときは、『お戒壇めぐり』の真っ暗な回廊には入っていないと思います。20134月末の東京両国・回向院での善光寺出開帳の時、はじめて『お戒壇めぐり』を知ったくらいでしたから。

東京両国・回向院での『お戒壇めぐり』は、にわかづくりの『お戒壇めぐり』だったが、今回は善光寺での『お戒壇めぐり』。真っ暗の回廊を手探りで歩いて行ったが、全く何も見えない。私の後ろから、4人家族連れが歩いてきて、真っ暗な回廊の中で、ガヤガヤと喋りまくっている家族連れ。

この家族連れも、真っ暗な回廊の中で極楽の錠前を探していたようなのだが、歩いている途中で、若い男の子が「コレだ、コレだ」と、ガチャガチャと音をたてながら元気な声をあげていた。しかし回廊は真っ暗で何も見えない。「本当かね?本当にそれが極楽の錠前?」と、半ば狐につままれたような気持ちになった。

さてその『お戒壇めぐり』の入り口前には、釈迦如来像と仏舎利(釈迦如来の遺骨)を納めた厨子が祀られている。この仏舎利は、善光寺発刊の資料によれば、タイ国から日本に寄贈された仏舎利だという。タイ国から寄贈された仏舎利は、善光寺の外、全国各地の寺院にも格蔵されている。

さて再び本堂の外陣に出ると、外陣中央にものすごい人だかりができている。何事だろうかとその人だかりの所に行ってみると、びんずる尊者像のまわりにできていた人だかりだった。びんずる尊者像は、東京両国・回向院での善光寺出開帳の時にも来ていた。が、2003年の御開帳の時に参拝した記憶がない。ただし回向院の善光寺出開帳の時には、びんずる尊者像は白色のホータイでぐるぐる巻きになっていたが、善光寺本堂外陣では、ホータイはなし。びんずる尊者像参拝の長い行列に並んだ後、賽銭を入れて像を撫でて参拝。参拝の人は、全員がびんずる尊者像に触って撫でていた。像をよく見ると、かなり撫でられた痕跡が見られる。

善光寺18 



















(善光寺本堂)

 

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■長野善光寺2(2014年初詣2)

 

□天台宗・大勧進と浄土宗・大本願が共同管理する『無宗派』の寺院・長野善光寺

 

善光寺の正式名は定額山善光寺。善光寺は天台宗大勧進と25院、浄土宗大本願と14坊によって護持・運営されている。大勧進住職は貫主とよばれ、天台宗名刹の僧が務める。大本願住職は善光寺上人とよばれ、代々公家出身者を住職として迎えている。善光寺住職は大勧進貫主と大本願上人の両名が勤める。このように独自の運営が為されている善光寺は、「無宗派」の寺院とされ、日本で仏教が諸宗派に分かれる以前からの寺院であるため宗派に関係なく宿願が可能とされる。天台宗、浄土宗塔頭による共同運営の無宗派寺院といえば、宇治・平等院がある。また無宗派寺院といえば、仏舎利を奉安する名古屋・日泰寺も、十九仏教宗派の共同管理になっている無宗派の寺院である。そして昔から女人禁制があった仏教界で、上古の昔から善光寺が女人救済の寺院であったことも、特色の一つである。

善光寺の入り口に、浄土宗が管理する大本願があり、大本願の向かい側に浄土宗側の塔中が建ち並ぶ。常円坊、淵之坊、兄部坊、正智坊、白蓮坊、堂明坊、堂照坊、浄願坊、正信坊、随行坊、寿量院、善行院、玄証院、甚妙院、常行院、徳行坊、野村坊、鏡善坊、向仏坊である。

そして仁王門をくぐると「仲見世」と呼ばれる売店街があるが、その「仲見世」の裏側に、天台宗側の塔中がある。それが良性院、宝林院、長養院、本覚院、徳寿院、最勝院、玉照院、円乗院、威徳院、常住院、世尊院、蓮華院、尊勝院、常智院、教授院、吉祥院、福生院、常徳院、光明院、薬王院である。駒返り橋を渡ると左側に天台宗が管理する大勧進がある。

大勧進に入ってみると、ここにもたくさんの人が参詣している。大勧進の護摩堂の前では、テントが張られ、新春護摩祈願の受付をしていた。ここで午前10時からの護摩祈願を申し込む。

時刻はまだ午前9時で、護摩祈願の時刻まで約1時間の余裕がある。この間に本堂参拝をしてこようと、本堂に向かった。すでに本堂前にも本堂の中にも、ものすごい数の参拝客が来ている。本堂前では、10代後半くらいの若い人たちの野球チームだかサッカーチームの団体さんが記念撮影をしていた。現在の善光寺本堂は、宝永4(1707)に再建された堂宇で、国宝に指定されている。間口24m、高さ30m、奥行き54mある本堂は、東日本最大の堂宇なのだという。

本堂の中に入り、まずは外陣の賽銭箱に賽銭を入れて参拝。それから500円の内陣参拝券を購入して内陣に入る。内々陣前の賽銭箱に賽銭を入れて参拝。大勢の参拝客の大半は、外陣で参拝してお終い。しかし内陣参拝する人も、けっこうたくさんいた。

内々陣の須弥壇を見ると、戸帳が降りていて中は見えない。資料によれば向かって左側に本尊が祀られていて、右側には本田善光と奥方、子息の像が祀られているという。「お朝事」と呼ばれる朝の勤行のときに、戸帳が上がり、本尊が格蔵されている宮殿を拝することはできるが、本尊の善光寺如来(一光三尊阿弥陀如来)像は、絶対秘仏であるために拝することはできない。

 

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■長野善光寺1(2014年初詣)

 

□マイナス5度の厳寒の長野市内の街中を歩いて参詣した2014年・善光寺初詣

 

2014年の初詣は、長野・善光寺に行ってきました。善光寺に行ったのは2003年の御開帳以来のこと。久しぶりに荘厳な善光寺の雰囲気を肌で感じることができた、私にとってはまことに有意義な初詣になった。今回は、東京駅1924分発の長野新幹線「あさま号」に乗って長野へ。21時かぎに長野駅に到着。長野市内のビジネスホテルに宿泊。東京からは長野新幹線「あさま号」を利用すれば、約1時間3040分前後で長野駅に到着する。長野新幹線は、もともとは北陸新幹線の一部区間で、2015年春には、長野から金沢が開通し、いよいよ「北陸新幹線」としてスタートすることが決まっている。長野新幹線開業以前は、JR信越線経由で在来線特急あさま号が上野~直江津、在来線特急白山号が上野~金沢を運行していた。名古屋方面からは、昔も今もかわらず、中央西線、篠ノ井線経由で在来線特急しなの号が長野駅に乗り入れている。

長野には空港がないため、長野市に行くには電車、バスを利用するか、ないしは自分で車を運転して行くしかない。善光寺の最寄り駅は、新幹線や特急が停車する長野駅で、しかも長野駅から徒歩で行ける距離にあるので、割とアクセスは便利だと思う。ただし長野新幹線の開業で、上野~直江津を走る在来線特急あさま号が廃止になり、新潟・富山・金沢方面から長野への交通が不便になってしまった。がしかしこれも2015年春の北陸新幹線の開業で不便さも解消するものと思われる。長野駅も、長野新幹線開業によって、駅舎が新築され、ずいぶんモダンな駅舎になった。

長野新幹線「あさま号」が関東平野を走り抜け、高崎駅を過ぎた所で上越新幹線と分岐。碓氷峠のトンネルを抜けると長野県に入る。長野駅新幹線ホームに降り立つと、寒さに思わず身が震えてしまう。夜21時の長野市の気温は、マイナス2度。寒いですね。しかし長野市内にほとんど積雪はない。雪無しの状態で気温が低いのである。翌朝の気温はもっと低く、何とマイナス5度。思わず「寒いなあ」と言うと、ホテルマンは「長野で、これくらいの気温は、当たり前ですよ」と言う。

東京でマイナス5度まで気温が下がったことは、私の記憶の中にはない。マイナス2度になったら、それこそ「異常低温だ」「寒波到来だ」と大騒ぎになるだろう。

朝は、ホテルのレストランで、バイキング式の朝食。ホテルから善光寺までは、徒歩で参詣しました。長野駅周辺から善光寺までは、歩いて行ける距離にある。長野市という街自体が、古刹寺院・善光寺の門前街と言うことができる。しかし気温はマイナス5度。吐く息が白い。寒さに震えながら、足早に善光寺へ歩いて行った。

善光寺大門から三門の間には、「仲見世」と呼ばれる売店街がある他、長野駅から善光寺に行く表参道の両脇にも、参拝客をあてこんだ飲食店や商店が建ち並ぶ。仲見世や表参道で目立つのは、手打ちそば店。長野は信州そばの本場ということもあり、そば店が軒を並べている。

正月初詣客が多い時期には、参道にテキ屋の露店も軒を並べる。

 

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