一般社団法人 仏教宗学研究会・公式ブログ

「一般社団法人 仏教宗学研究会」とは任意団体として2005年から活動している会の名称。2018年5月に一般社団法人登記。当ブログ名を「仏教宗学研究会のブログ」から「一般社団法人 仏教宗学研究会・公式ブログ」に改名。 「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判・糾弾は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」が管轄。「一般社団法人 仏教宗学研究会・公式ブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。「仏教宗学研究会」と「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」は表裏一体の同体異名。日蓮正宗、創価学会・SGI・顕正会・正信会、さらに富士門流執着軍団…らを批判する主旨は同じ。 (背景写真は高野山真言宗総本山・高野山奥の院灯籠堂参道)

Category: 仏教寺院・仏教遺跡

□釈迦如来の生誕年が従来の主流学説から約100年ほどさかのぼる可能性も

 

1126日、mixiニュースで、久しぶりに仏教遺跡に関するニュースが流れた。まずはここにニュース配信記事を引用します。

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「世界最古の仏教寺院発見、ネパール」20131126 19:10

世界最古の仏教寺院がネパールで発掘された。紀元前550年ごろの遺跡で、釈迦(しゃか)の生年が従来の主流学説から100年ほど遡る可能性があるという。発掘現場のネパール中南部、ルンビニ村は、釈迦(ゴータマ・シッダールタ)の生誕地として知られている。

研究チームのリーダーで、イギリスにあるダラム大学の考古学者ロビン・カニンガム(Robin Coningham)氏は、「分析の結果、世界最古の仏教寺院と判明した」と話す。

古代の木造遺跡は、毎年数十万規模の巡礼者が訪れる寺院のレンガ構造の地下に埋もれていた。後年その上部に建立されたレンガ造りの仏教寺院は、古代のレイアウトを複製している。「つまり、仏教の聖地としての連続性を示している」とカニンガム氏は解説する。「釈迦の生年については論争が絶えないが、とりあえず紀元前6世紀には仏教寺院が存在していたことが確定した」。

◆釈迦の生誕地

 仏教は世界三大宗教の1つで、信者は東アジアを中心に35000万人以上に及ぶ。

 開祖である釈迦の生年は不明で、ネパール当局は「紀元前623年」説を支持するが、ほかにもさまざまな伝承があり、「紀元前400年前後」とする説も有力だ。いずれにせよ、古代インドのアショーカ王が巡礼を行った紀元前249年の段階で、ルンビニが仏教の聖地として尊ばれていたことは誰もが認めている。その後に寂れてしまうが、釈迦の母マーヤー・デーヴィーの名を冠したマーヤー・デーヴィー寺院などの遺跡が1896年に発見され再び表舞台に登場、現在は世界遺産(文化遺産)に登録されている。巡礼者や観光客による損傷を懸念したユネスコは、ネパール政府や日本政府の協力の下、カニンガム氏を中心とする国際的な研究チームを結成してルンビニ遺跡の状態を調査。今回の地下遺跡の発掘につながった。

◆古代の木造寺院

カニンガム氏は、「レンガ造りの寺院の地下に、柱穴が見つかった。欄干が木造寺院を囲んでいた証拠だ。また、地上よりも古いレンガ構造も埋もれていた」と語る。

柱穴から採取した木炭を、複数の年代測定法(放射性炭素法と光ルミネセンス法(OSL))で調査したところ、紀元前550年前後に遡ると判明。

「さまざまな発掘品から判断すると、この地で耕作が興ったのが紀元前1000年前後で、紀元前6世紀までには仏教僧のコミュニティーが出来上がっていたと考えられる」。

◆学界の反応

イギリスのレスター大学の考古学者ルース・ヤング(Ruth Young)氏は、「非常に興味深い成果で、アショーカ王の時代よりも数世紀前に仏教が勃興していたことになる」と評価する。

 

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■奈良法隆寺8(未公開の寺宝)

 

□塔頭の塀に落書きを消した痕跡があった世界遺産の寺院・法隆寺

 

私が、法隆寺の案内役員にいろいろ質問して得た回答の中に

「法隆寺は創建以来、1300年以上有るため、現在公開されている寺宝・重宝の他にも、倉庫・宝蔵の中には、まだ未公開の寺宝・重宝・古文書が眠ったままになって保管されている」

というものがある。

どこに格蔵・保管されているかというと、法隆寺の中の「大宝蔵院」「工芸収蔵庫」「収蔵庫」「北倉」「中倉」「南倉」という堂宇に保管されているというわけである。

この中でも、「大宝蔵院」は、中で見学できるようになっていて、国宝中の国宝と言われる百済観音立像や飛鳥時代の工芸の枠を集めた玉虫厨子などが、間近で見学できるようになっている。

 

百済観音(くだらかんのん)とは、法隆寺が所蔵する飛鳥時代作の木造の観音菩薩像。日本の国宝に指定され、指定名称は「木造観音菩薩立像(百済観音)1躯」。

日本における木造仏像彫刻の古例として貴重であるとともに、大正時代以降、和辻哲郎の『古寺巡礼』、亀井勝一郎の『大和古寺風物誌』などの書物で紹介され著名になった。

 

ただし、この百済観音は、法隆寺の古い記録にはこの像に当たるものが見えないことや、作風の違いから、造像当初から法隆寺にあったものではなく、後世、他の寺院から移されたものと思われる。いつ、どこの寺院から、いかなる事情により移されたかについては諸説あるが、正確なことは不明。

この百済観音は、現在は法隆寺大宝蔵院の百済観音堂に安置されているが、明治時代初期には金堂の北面に安置され、明治時代後期~昭和時代初期には奈良帝室博物館(現奈良国立博物館)に寄託されていた。

もっとも百済観音が、元から法隆寺にあったなら、これが金堂の中心本尊になっていただろうが、そうなっていないことからして、後世、他の寺院から移されたものとする説は説得力があります。

法隆寺の実質的な中心本尊は、夢殿の救世観音立像。

法隆寺は、聖徳太子が創建した寺であり、救世観音=聖徳太子として夢殿の救世観音立像が造立されたとなれば、当然、そうなるのでしょう。

法隆寺17東大門
 

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