一般社団法人 仏教宗学研究会・公式ブログ

「一般社団法人 仏教宗学研究会」とは任意団体として2005年から活動している会の名称。2018年5月に一般社団法人登記。当ブログ名を「仏教宗学研究会のブログ」から「一般社団法人 仏教宗学研究会・公式ブログ」に改名。 「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判・糾弾は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」が管轄。「一般社団法人 仏教宗学研究会・公式ブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。「仏教宗学研究会」と「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」は表裏一体の同体異名。日蓮正宗、創価学会・SGI・顕正会・正信会、さらに富士門流執着軍団…らを批判する主旨は同じ。 (背景写真は高野山真言宗総本山・高野山奥の院灯籠堂参道)

Category:旅紀行 > 旅紀行・京都

■京都府2・京都2・「民宿・松井本館・花やしき浮舟園」1(宿泊)

 

□食事中に主人がトイレの汲み取りをはじめ部屋の中が糞尿の悪臭で充満した京都の民宿

 

京都に行って寺跡調査・寺院巡りをすれば、少なくとも京都で1泊ないしは2泊ぐらいはすることになる。私はそれこそ日本全国各地に寺院巡りの旅に行っているが、私にとっての寺院巡りの旅は、自宅を出た瞬間にはじまっている。だから私にとっては、寺院の中の出来事のみならず、電車やバス、車、航空機の旅からホテルの宿泊、食事、入浴からセックス、スナックやレストランに入ったことまで、全てが寺院巡りの旅の出来事に入ってしまう。これらの全てが、寺院巡りの旅の1ページになっているのである。

寺跡調査・寺院巡りの旅は一人旅ないしは二人旅。宿泊先は、大半がビジネスホテルやシティホテルになる。格安のビジネスホテルやシティホテルもJTBで予約が出来る。ビジネスホテルやシティホテルは、京都駅周辺や寺院仏閣が多い東山周辺でよく宿泊した。この場合は食事は、夕食は外のレストランで朝食はホテルのバイキングというパターンが大半。入浴は大浴場があるホテルと大浴場がないホテルがあり、大浴場がないホテルだと、部屋にある風呂に入らなければならない。男と女の二人旅だったら、この他にセックスが加わる。()

ここでは、食事付きの民宿、ホテル、料亭旅館に宿泊した時のことを書いてみたい。

私がまだ三十代のころの全国旅行で京都に来たとき、京都東山の慈照寺銀閣にほど近い民宿に宿泊したことがあった。ここは、二十年以上経っても、とても印象に残っている民宿。

というのは、車で民宿に着いた後、「さあ、どうぞどうぞ」とばかりに、部屋に案内された。民家の中にある狭い風呂に入った後、部屋で食事。料理が次々とテーブルの上に並べられ、ビールは何と大瓶のキリンビール。大瓶のビールが出てきたというのも珍しかった。

この民宿がもうひとつ特徴的だったのは、トイレが水洗式トイレではなく、昔ながらの汲み取り式トイレだったこと。私の実家もそうだが、昔からつづく民家は、みな汲み取り式のトイレだった。これが市町村の下水道事業が推進され、徐々に水洗式トイレに変わっていった。この時、すでに私の実家ですら、地元T町の下水道事業で水洗式トイレになっていたのに、京都市内にあるこの民宿が、まだ汲み取り式トイレだったので、「あれ、まだ汲み取り式トイレなの」と思ったくらい。

さらにこれには、オマケ話しがついた。私たちが部屋でビールをのみながら食事をしていた最中、何とこの民宿の主人が、汲み取り式トイレの糞尿の汲み取りをはじめたのである。これにより、汲み取り式トイレから糞尿のものすごいクサイ臭いが、食事をしていた部屋の中にまで立ちこめてきた。しかも主人の汲み取りが長時間にわたったため、食事をしていた部屋の中は、糞尿の悪臭で充満してきた。これではとてもビールや食事どころではない。二人で早々に部屋で寝たのだが、もちろん糞尿の悪臭が充満する中で寝ることになり、とてもゆっくり寝るどころではなかった。

 

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■「京都国立博物館2(日蓮と法華の名宝展の見学2)

 

□日蓮真筆曼荼羅・日蓮真筆遺文の拝観で開催の意義が大きかった「日蓮と法華の名宝展」

 

「日蓮と法華の名宝展」では、注目される展示が多数あったため、私も、館内で見学していたとき、一生懸命、メモ帳にメモをとっていました。すると館内にいた係員から「ポールペンでのメモは遠慮して下さい」とのこと。じゃあ、鉛筆でメモをとるしかないじゃないか、ということで、鉛筆を係員から借りてメモをとっていました。

「日蓮と法華の名宝展」見学が終わった後、京都国立博物館のミュージアムショップに入ったのですが、そこに、「日蓮と法華の名宝展」に出展された全展示物の写真と解説が載っている分厚い本「日蓮と法華の名宝」が売られていましたので、それを買いました。これに私が館内で懸命にメモっていた解説文が全部載っていた。

日蓮真筆の大漫荼羅本尊や遺文は、各々格蔵している寺院の虫払法要や宝物館の展示で拝観できるケースが結構ある。千葉県市川市・中山法華経寺の聖教殿のお風入れでは、国宝の「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」「立正安国論」及び、重要文化財61巻他の日蓮真筆遺文が拝観できるし(---ただし近年は中止されている---)、静岡県の岡宮・光長寺や北山本門寺等々の御虫払い法要では、日蓮真筆本尊数点が拝観できる。しかし、複数の寺院に格蔵されている日蓮真筆の大漫荼羅本尊や遺文が展示されるのは、こういう企画展での展示のみでしょうね。

しかも寺院のお風入れや虫払い法要と言うことになると、参詣者が制限されたりしますが、企画展は、広く一般に公開されるものです。そういう意味で、京都国立博物館で開催された「日蓮と法華の名宝展」の意義は、まことに大きかったと思います。「日蓮と法華の名宝展」の主催者の方、後援の方々に対して、甚々の感謝の意を表したいと思います。

ただ、2003年に東京国立博物館で行われた「大日蓮展」、そして2009年に京都国立博物館で行われた「日蓮と法華の名宝展」もそうですが、出展された展示は、そのいずれもが日蓮宗系の寺院に格蔵されている大漫荼羅、遺文、坐像、画像等々ばかりで、日蓮正宗の寺院に格蔵されているものがひとつもないばかりか、富士門流の寺院に格蔵されている物すら、ひとつもありません。

日蓮聖人門下連合会には、唯一、富士門流の日蓮本宗(要法寺門流)が加盟していますが、今回、日蓮本宗から出展されたものは、ひとつもありませんでした。日蓮正宗に至っては、過去の日蓮に関する企画展で、自らが格蔵している大漫荼羅、遺文、坐像、画像等を出展したというのを、見たことがありません。否、出展どころか、日蓮聖人門下連合会にも加盟していません。自ら加盟しないのか、加盟できないのかは、わかりませんが。

日蓮正宗は、というより、創価学会、顕正会を含めて日蓮正宗系は、同じ日蓮門下の他宗と交流を持とうとしない。わずかに、正信会系の興風談所や創価学会系の元日蓮正宗僧侶・松岡幹夫氏、元日蓮正宗僧侶の花野充道氏あたりが、他宗と交流を持っているだけですね。

興風談所は、教学誌「興風」を発行するなどして、他宗と交流しており、日蓮正宗大石寺を離脱した松岡幹夫氏も、東京大学の博士号をとって、各所で講演するなどしている。

 

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■「京都国立博物館1(日蓮と法華の名宝展の見学)

 

2009年の日蓮・立正安国論奏進750年記念で京都で開催された「日蓮と法華の名宝展」

 

日本の国立博物館は、東京、京都、奈良、九州と四カ所あるのですが、このうちの京都国立博物館には、2009年の日蓮・立正安国論奏進750年「日蓮と法華の名宝展」が開催された時に行ってきました。ちょうど、私が日蓮本宗本山・要法寺末寺・實報寺の住職との単独会見と實報寺墓苑墓苑にある日目正墓等々の写真撮影を終えて、このまま京都国立博物館に足を運んだ。この京都国立博物館のある所は、京都・東山七条で、東山五条の鳥辺山・實報寺からは、そんなに遠くない所にある。この地は、近世までは方広寺の境内の一部だったところで、1870年から1876年までは恭明宮(明治の神仏分離後、それまで御所の御黒戸に安置されていた仏像や歴代天皇の位牌を安置していた施設)があった所。方広寺・豊国神社とは、となりあわせになっている。

日蓮に関する展示は、今までも何度か博物館で開催されてきており、私も見学に行っていますが、京都で行われた展示に見学に行ったのは、この時がはじめて。20031月~2月にかけて東京国立博物館で、日蓮・立教開宗750年記念「大日蓮展」があり、私も見学に行っている。この時の展示で印象に残っているのは、日蓮真筆の観心本尊抄、立正安国論、臨滅度時の本尊等でした。こういう企画展で、なにが印象に残るかというと、こういう日蓮真筆の展示である。有名な画家の誰それが描いた画とか壺が出展されていましたが、そういうのよりも、日蓮真筆の大漫荼羅であり、日蓮真筆の遺文(御書)です。ただし、日蓮真筆の観心本尊抄、立正安国論については、千葉県小湊の誕生寺で、日蓮真筆のレプリカが拝観できますけどね。

さて「大日蓮展」の主催者のひとつに、日蓮聖人門下連合会というのがありましたが、京都国立博物館の「日蓮と法華の名宝展」の主催者に、日蓮聖人門下連合会が名前を連ねていました。これに加入しているのは、日蓮宗、顕本法華宗、日蓮本宗、法華宗陣門流、法華宗真門流、法華宗本門流、本門法華宗、本門仏立宗、日本山妙法寺、国柱会、京都日蓮聖人門下連合会の11団体。これは、1960年(昭和35年)、国柱会が日蓮門下の連携を目指して主催、発足させたもので、各法華宗と多くの共同事業に携わっています。

主なものでは日蓮聖人降誕750年慶讃「聖伝劇日蓮」明治座公演(昭和46年)。

《日蓮聖人700遠忌記念事業》として 日蓮聖人劇・日蓮聖人展(昭和56年)。

1988年(昭和62年)、比叡山開創1200年記念法要、2003年(平成15年)、立教開宗750年記念事業「大日蓮展」、2009年(平成21年)、立正安国論奏進750年記念事業「日蓮と法華の名宝展」等があります。この日蓮聖人門下連合会には、富士門流の日蓮本宗(要法寺)が加入しているのが、目を引きます。現在、京都国立博物館では、平常展示館の解体と、平常展示機能を持つ百年記念館の建設工事が進捗中で、南門ミュージアムショップは完成していました。これによって、「日蓮と法華の名宝展」は、レンガ造りの特別展示館(旧・本館)で行われていました。

 

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■京都府1・京都1・「京都駅」1(西日本最大級のターミナル駅)

 

私はほぼ1年に1回、ないしは2年に1回くらいのペースで京都に行っている。もちろん主な目的は、仏教関連の寺跡調査だが、古都・京都には仏教寺院がそれこそ無数にあるばかりか、歴史史跡等も山のようにたくさんある。とてもじゃないが、1日や2日で全てを見学するなど不可能である。又、せっかく寺院に行っても、誰もいなかったり、充分な見学や調査ができないこともある。だから同一寺院を、何度も訪ねることだってある。

その京都へは、東京からは何十回と行っているが、実は実家のある北陸からも何度も行っている。東京から行く場合は東海道新幹線を利用することが一番多いが、自家用車を運転して東名・名神高速をかっ飛ばして行ったことも何度もある。上野駅入谷口、東京駅八重洲口から深夜バスを利用して行ったこともある。北陸から京都に行った時は、特急サンダーバード号(昔は特急雷鳥号)を利用したときと、自家用車で北陸道・名神高速をかっ飛ばしたときも何度かある。

新幹線、特急電車、深夜バスで京都に行くと、降り立つ所はJR京都駅。古都・京都のメインターミナルである。現在の京都駅の駅舎は、ものすごくモダンで立派な駅舎に生まれ変わっている。京都駅は、京都市街の南のはずれにあるが、駅のターミナルは北側と南側にある。北側は烏丸口。南側は八条口。烏丸口は主にバスターミナル、八条口は主にタクシー乗り場になっている。

東京から深夜バスで京都駅に着いたときも、烏丸口に停まりました。東京を24時ころ出た深夜バスは、京都駅に6時半ころ到着。運賃もなかなか手頃。かつて東海道線に「銀河」という寝台列車が走っていましたが、これも利用客が減少して廃止になった。単に運賃だけだと「銀河」も深夜バスもさほど変わらないのだが、「銀河」は運賃の他に特急券・寝台券を買わなくてはならないため、割高になった。

電車・深夜バスで京都に行き、さて京都市内を廻る交通手段として、京都駅烏丸口で1日乗車券を買ってバスを利用したことも何度もあった。たしかに1日バス乗車券は安いのだが、いかんせん、私は京都市内の路線バスがどうなっているのか、さっぱりわからない。だから例えば最初に京都御所に行き、次に金閣に行こうとすれば、どのバスにどうやって乗り継いで行っていいのか、さっぱりわからない。だからどうしたかというと、京都御所からバスで京都駅前に一旦もどり、それで京都駅烏丸口から金閣に向かうバスに乗ったという次第。さらに金閣から次の見学地に行く場合も同じ。だから1日バス乗車券を使って京都市内を廻ると、料金的には安いが、時間がえらくかかってしまう。「それじゃあ、京都御所に行ったのなら、その近くを見てまわればいいじゃないか」となるかもしれないが、そうすると、自分が行きたい寺院や旧跡に行けなくなる。だから京都市内の寺院巡りをするときは、京都駅近辺でレンタカーを借りるか、あるいはタクシーを乗り継いで寺院巡りになったこともかなりある。軽自動車をレンタカーで12時間借りても、ガソリン代や保険代、駐車料金を入れて8000円くらいかかってしまう。これだったら、タクシーを乗り継いだほうが安上がりになったケースが多々あった。

 

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日蓮本宗・鳥辺山實報寺5(鳥辺山に要法寺開山本廟を発見)

 

私は、とにもかくにも京都に行って、自分の目と耳で確認する以外にないと思い、京都・東山五条の鳥辺山に行くことにしました。2009年秋のことです。

私は、それまで京都の東山や東山三条、三条大橋周辺も何度も行っていますし、国道一号線や東山五条も、何度も通っているのですが、この「鳥辺山」については、全く気づきませんでした。

この時は、東京・上野駅前から深夜高速バスに乗って京都駅前に降り立ち、食事をして後、京都市営バスに乗って東山五条へ。すると「鳥辺山」と地図に書いてあった場所に行ってみるとビックリ。なんとそこには、浄土真宗の開祖・親鸞の廟があったのである。

「大谷本廟 親鸞聖人七百五十回大遠忌法要」と書いた立て看板がありました。

正式名はここに書いて有るとおり「大谷本廟」というらしい。せっかくここまで来たついでに、大谷本廟の中に入ってみましたが、朝の速い時刻だったにもかかわらず、何人もの参詣の人の姿が見えました。

「親鸞聖人七百五十回大遠忌」と書いてあったので、2009年がその年に当たるのかと思っていたら、そうではなく、親鸞は12621128日に入滅しているので、「七百五十回大遠忌」に当たる年は、2011年ということになる。

 

それにしても、京都・東山五条の鳥辺山まで来て、見つかったのは延年寺ではなく、親鸞の大谷本廟というのは驚いた。

親鸞の曾孫で本願寺第三世の覚如の『御伝鈔』に「鳥部野の南の辺、延仁寺に葬したてまつる」

と記されているということからして、親鸞も京都・鳥辺野に葬られたと言うことのようです。

親鸞は、鳥辺山に葬られていたとしても、日目の墓や延年寺はどうなったのか。私はなんとしても情報を得ようとして、大谷本廟入り口の脇にある、みあげもの店兼仏具店に入ってみました。

少々、買い物をした後、店の主人に質問。

「このあたりに、鳥辺山墓地とか鳥辺野墓地という名前の所はありませんか」

これに対して、店の主人は

「あー、それでしたら、この前の道をずーっと登っていった左側にありますよ」

という気軽な返事。

 

「あー、やっぱりこのあたりにあるんだな」と思い、その主人に丁重なお礼を言って、大谷本廟の脇の道の登り坂を登って行きました。

「ひょっとしたら日目の正墓が残っているのかもしれない」と思い、けっこうむ期待に胸を膨らませて、登って行きました。しばらく登って行くと、左側に墓地の入り口を発見。

「ここかな」と思って、その入り口から入ってみると、入り口の脇に石碑が建っていて、そこには

「要法寺開山本廟」

と書かれていました。入り口には「實報寺」という石碑が建っていました。

實報寺14石塔


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日蓮本宗本山・要法寺5(1994年の要法寺初訪問)

 

東京から京都まで、東名高速・名神高速を車で行くと約500キロ近くある。途中、休憩・食事をはさんだとして、時間にして約6時間半くらいだろうか。

早朝7時に車で出たとしても、京都に着くのは13時すぎになる。

私は東名高速を車でかっ飛ばして京都へ行くというのは、1993年の全国旅行で一度経験済み。

その時は、朝、東京を出て、途中、浜名湖、関ヶ原に寄り道をして、京都に行ったため、京都に着いたのは夕方を過ぎていました。

 

まあ、京都までは車で行けることは行けるが、問題は要法寺の朝6時の勤行である。これはいくら何でも時間が早すぎます。東京近郊だったら、早朝6時でも、なんとか行けないこともない。

しかし、東京から車をかっ飛ばして要法寺の早朝6時の勤行に滑り込むというのは、なかなか至難の業です。東京から京都へ行く道中に於いて、事故渋滞や工事渋滞にはまり込んでしまったら、たちまち間に合わなくなる。前夜、京都市内のホテルに泊まったとしても、要法寺の朝6時の勤行に駆け込むというのも、かなりむずかしい。

そもそも、それまで私は要法寺に行ったことがなく、場所すらも知らなかったため、要法寺の場所を把握しておく必要がありました。

 

それで私は、車で京都に着いた後、要法寺に直行して、場所等を掌握し、その日の夜は、ホテルに泊まらず、車の中で仮眠、というか野宿することにしました。

京都にたどり着いた私は、早速、要法寺に行って、下見をしてみました。この時が、要法寺の初訪問でありました。

要法寺は、京都の東山三条にあるのですが、JTBガイドブック等では、さも大通りに面しているように書いてあるが、実際には、大通りには面しておらず、少し引っ込んだところにある。駐車場が境内と隣接したところにあり、そこに車を停めて、要法寺境内を見学。

本堂、開山堂、庫裡、塔頭、寺務所等々が並んでおり、寺域としてはそんなに狭くはないのだが、しかし大石寺、東大寺、比叡山延暦寺、身延山久遠寺…といった大寺院ほど広くはない。

資料によると、要法寺の境内の面積は1.35haとなっています。大石寺が70haですから、51分の1。法隆寺の18.7haと比べても13分の1になります。

境内を一見して、信者を集めて法要・行事を行う堂宇としては、本堂と開山堂のみのように思える。寺務所が庫裡(大坊)と、くっついて建っていたので、中に入って僧侶の話を聞こうと思ったのですが、だれもいない。寺務所の受付には、特に何かの資料があるわけでもなく、中はガラーンとしていました。

要法寺10寺務所


今から16年前の1995年といえば、私も今以上に血気盛んでありましたので、

「ここまで来て誰も居ないというのでは納得できない」

と思いまして、受付の窓越しに「すいませーん」と大声で何度も呼んでみた。

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