一般社団法人 仏教宗学研究会・公式ブログ

「一般社団法人 仏教宗学研究会」とは任意団体として2005年から活動している会の名称。2018年5月に一般社団法人登記。当ブログ名を「仏教宗学研究会のブログ」から「一般社団法人 仏教宗学研究会・公式ブログ」に改名。 「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判・糾弾は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」が管轄。「一般社団法人 仏教宗学研究会・公式ブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。「仏教宗学研究会」と「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」は表裏一体の同体異名。日蓮正宗、創価学会・SGI・顕正会・正信会、さらに富士門流執着軍団…らを批判する主旨は同じ。 (背景写真は高野山真言宗総本山・高野山奥の院灯籠堂参道)

Category:天台宗(総)比叡山延暦寺 > 伝教大師自作の薬師如来像

■東叡山寛永寺2(比叡山延暦寺と同じ最澄自作の薬師如来像)

 

寛永寺の根本中堂は、当初は1698(元禄11)に建立。間口25(45.5m)、奥行き23(42m)、高さ32mもある大伽藍だったという。

しかし1868(慶応4)の彰義隊戦争の際に全山を焼失。現在の寛永寺・根本中堂は1879(明治12)に、川越・喜多院の本地院(寛永15年に徳川家光が建立)を、寛永寺子院・大慈院の地に移して、寛永寺の本地堂の用材も加えて再建したもの。

根本中堂の正面に掲げられている「瑠璃殿」の額は、東山天皇御宸筆の勅額。この勅額と境内の二つの大水盤は、戦火を免れて、創建当時の面影を伝える。

寛永寺境内には、徳川幕府四代将軍家綱霊廟の梵鐘、中興の学僧・慈海僧正の墓、日本最初の講義を伴う公開図書館・勧学寮を設立した名僧・了翁禅師の塔碑、座像、その他多数の史跡がある。

寛永寺根本中堂中央の大きな厨子に祀られているのが、平安時代初期に造像された等身大の立像・薬師三尊像で秘仏になっている。中尊の薬師如来像は日本天台宗宗祖・伝教大師最澄の自作と伝承されている。

比叡山延暦寺根本中堂の秘仏・薬師如来像も伝教大師最澄自作の像と伝承されている。寛永寺は「東の比叡山」である東叡山だから、根本中堂の本尊は、延暦寺と同じく伝教大師最澄自作の像でないと、つりあいがとれないということだろうか。

寛永寺の薬師如来像は、古くは近江(滋賀県)・石津寺(せきしんじ)に祀られていた像であったが、寛永寺の根本中堂建立に際して、石津寺から寛永寺に移されたという。

もともとは、伝教大師最澄が1本の木から彫った2体の薬師如来像のうち、1体を比叡山延暦寺の本尊として祀り、1体は石津寺を建立して石津寺の本尊として祀ったと伝承されている。

石津寺の本尊・薬師如来像は、江戸時代初期に天海僧正によって上野寛永寺に移されて、寛永寺の本尊として祀られている。現在の石津寺は、重要文化財の本堂だけが残る無住のお寺となっている。

左右の日光・月光の両菩薩像は、同時に山形県・立石寺(山寺)から移された像。寛永寺の見解によれば、薬師如来像は近江・石津寺から、日光・月光の両菩薩像は、立石寺から移された像であるにもかかわらず、最初から三尊仏として造像されたかのように釣り合いが取れている、となっている。須弥壇上・本尊厨子の両脇には、四天王像、十二神将像等が祀られている。

寛永寺14根本中堂 

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■比叡山延暦寺3(根本中堂)

 

根本中堂というのは、天台宗総本山・比叡山延暦寺の総本堂であり、東塔にある。延暦寺の根本中堂(国宝)は、伝教大師最澄が建立した一乗止観院の後身になる。東塔の中心となる根本中堂は、延暦7年(788)に伝教大師最澄がこの地に草庵を結んだ場所とされる。

とは言っても、私なんかは、はじめて比叡山延暦寺を訪ね歩くまで、延暦寺の本堂とは戒壇のことだと勘違いしていたくらいで、延暦寺に行って、はじめて比叡山延暦寺の総本堂=根本中堂だと知ったくらいでした。

比叡山坂本からケーブルカーで比叡山に登っていくと、東塔に到着するので、ケーブルカーの駅から根本中堂までは、そんなに離れてはいない。

根本中堂の入り口からは回廊を歩いていき、伝教大師最澄自作の薬師如来が祀られている根本中堂に入っていく。回廊には、延暦寺のあちらこちらの伽藍、修行僧の様子などを写した写真が展示されている。

ここにはけっこう観光客が来ていて、根本中堂の中は、信者と言うより、観光客であふれかえっているという感じ。私を含めた観光客に対して、延暦寺の尼僧がいろいろ細かく説明してくれる。

根本中堂中央の厨子には最澄自作の伝承がある薬師如来立像が祀られているが、しかしこの本尊は秘仏になっていて、普段は公開されておらず、参拝客が根本中堂で目にする薬師如来像は、仏師が彫刻した「前立」本尊ということである

秘仏になっている最澄自作の薬師如来立像は、延暦寺開創1,200年記念の1988年、その後、2000年、2006年に開扉されたことがあるというなぜこのときに開扉されたかというと、天皇陛下が比叡山延暦寺に御親拝になられたので、秘仏の薬師如来像を開扉したのだという。

つまり天皇陛下の御親拝といった特別なことでもない限り、秘仏の開扉はなされないのだという。

せっかくなので、私も尼僧にいろいろと質問をした。

秘仏になっている最澄自作の薬師如来立像と、参拝者が目にすることができる仏師彫刻の「前立」本尊である薬師如来立像は、全く同じ造りになっているのかどうか、ということだが、尼僧の話によると、これが「全く同じではない」という。

これはどういうことかというと、仏師というのは、いわば「彫刻のプロ」なので、いろいろ細かいところまで、微に細に彫り込んであるが、伝教大師最澄という人は、彫刻のプロではないので、最澄自作の薬師如来立像は、きわめてオーソドックスな造りになっているという。

なるほど。しかし、はるばる比叡山延暦寺の根本中堂まで行って、秘仏・最澄自作の薬師如来立像にお目にかかることができないというのは、まことに残念という意外にない。

根本中堂2
 

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