■福井・永平寺1(曹洞宗宗祖・道元禅師が開祖である永平寺)

 

永平寺とは、総持寺と並ぶ日本曹洞宗大本山として有名。日本曹洞宗の宗祖は、鎌倉時代に活躍した道元禅師(12001253)で、永平寺の開祖でもある。正式名は吉祥山永平寺。

現貫首は第79世 福山諦法猊下。

永平寺の境内は、約33haあり、かなり広大な境内が白山山麓に広がる。境内には樹齢約700年と言われる老杉が多数見られ、うっそうとした境内の中、大小70余りの堂宇があるとされる。

勅使門、山門、仏殿、法堂、大庫院、承陽殿、僧堂、傘松閣(さんしょうかく)、吉祥閣、浴室、東司、真陽閣、光明蔵、不老閣、 宝蔵等の七堂伽藍が全て回廊で結ばれている。

永平寺の開祖は、曹洞宗の宗祖・道元禅師で1244(寛元2)年の創建。1372(応安5)年に北朝の後円融天皇から「日本曹洞第一道場」との勅額を受けた。

その後、1539(天文8)年、後奈良天皇より「日本曹洞第一出世道場」の追認を受け、1591(天正19)年、後陽成天皇より「日本曹洞の本寺並びに出世道場」の綸旨を受けた。

 

最近、よく話題になるのは、鎌倉仏教ははたして朝廷公認の宗派になったのかどうか、という問題がある。飛鳥、奈良、平安時代には、朝廷公認の戒壇で授戒・度牒を受けた僧侶のみが、仏教僧侶として認められた。平安時代に官寺以外の公認戒壇として、比叡山延暦寺の戒壇が勅許されたが、天台宗vs真言宗、延暦寺vs園城寺等の紛争があり、延暦寺戒壇の分壇が朝廷から認められる。このあたりから「朝廷公認」ということに変化が見られ始める。しかしそれでも、鎌倉・室町時代でも、寺院宗派の「朝廷公認」とか僧侶の「戒壇授戒」を重要視する慣習は強かった。

道元も、中国から日本に曹洞宗を伝来せしめて、日本曹洞宗の開祖になったが、「曹洞宗を朝廷公認宗派にしたい」という考えは持っていたものと考えられる。それは、鎌倉・室町時代においても、朝廷公認か、幕府公認にならない限り、宗派としての生き残りが実質的に不可能だったからだ。

永平寺が、1372(応安5)年に北朝の後円融天皇から「日本曹洞第一道場」との勅額を受けたこと。1539(天文8)年、後奈良天皇より「日本曹洞第一出世道場」の追認を受け、1591(天正19)年、後陽成天皇より「日本曹洞の本寺並びに出世道場」の綸旨を受けたこと等は、こういった時代背景があったものと考えられる。

永平寺7 

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