■奈良法隆寺8(未公開の寺宝)

 

□塔頭の塀に落書きを消した痕跡があった世界遺産の寺院・法隆寺

 

私が、法隆寺の案内役員にいろいろ質問して得た回答の中に

「法隆寺は創建以来、1300年以上有るため、現在公開されている寺宝・重宝の他にも、倉庫・宝蔵の中には、まだ未公開の寺宝・重宝・古文書が眠ったままになって保管されている」

というものがある。

どこに格蔵・保管されているかというと、法隆寺の中の「大宝蔵院」「工芸収蔵庫」「収蔵庫」「北倉」「中倉」「南倉」という堂宇に保管されているというわけである。

この中でも、「大宝蔵院」は、中で見学できるようになっていて、国宝中の国宝と言われる百済観音立像や飛鳥時代の工芸の枠を集めた玉虫厨子などが、間近で見学できるようになっている。

 

百済観音(くだらかんのん)とは、法隆寺が所蔵する飛鳥時代作の木造の観音菩薩像。日本の国宝に指定され、指定名称は「木造観音菩薩立像(百済観音)1躯」。

日本における木造仏像彫刻の古例として貴重であるとともに、大正時代以降、和辻哲郎の『古寺巡礼』、亀井勝一郎の『大和古寺風物誌』などの書物で紹介され著名になった。

 

ただし、この百済観音は、法隆寺の古い記録にはこの像に当たるものが見えないことや、作風の違いから、造像当初から法隆寺にあったものではなく、後世、他の寺院から移されたものと思われる。いつ、どこの寺院から、いかなる事情により移されたかについては諸説あるが、正確なことは不明。

この百済観音は、現在は法隆寺大宝蔵院の百済観音堂に安置されているが、明治時代初期には金堂の北面に安置され、明治時代後期~昭和時代初期には奈良帝室博物館(現奈良国立博物館)に寄託されていた。

もっとも百済観音が、元から法隆寺にあったなら、これが金堂の中心本尊になっていただろうが、そうなっていないことからして、後世、他の寺院から移されたものとする説は説得力があります。

法隆寺の実質的な中心本尊は、夢殿の救世観音立像。

法隆寺は、聖徳太子が創建した寺であり、救世観音=聖徳太子として夢殿の救世観音立像が造立されたとなれば、当然、そうなるのでしょう。

法隆寺17東大門
 

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