カテゴリ: 興門(大)西山本門寺
#74 西山本門寺の真実1・1957年に貫首の独断で日蓮正宗に合同したが合同反対の末寺・檀家側勝訴の最高裁判決で日蓮正宗から離脱した西山本門寺
西山本門寺とは富士門流八本山の一つ。西山本門寺には1980年代、90年代、そして2011年10月2日に訪問している。1957年に塔頭・末寺・檀家の承認なく西山本門寺49代貫首・由比日光氏の独断で日蓮正宗に合同。合同に猛反対する塔頭・末寺・檀家と日蓮正宗・西山本門寺貫首の間で ...
西山本門寺(22)~西山本門寺妙円坊で新住職入寺式・日産上人本葬が営まれる
■富士山本門寺(西山本門寺)22(妙円坊入寺式・日産上人本葬) 5月31日、西山本門寺塔頭・妙円坊にて、先代住職・岡田日産上人のご本葬・ならびにご子息の新住職入寺式が、西龍華・日蓮宗本山・立本寺97世・上田日瑞貫首猊下を来賓に迎えて行われた。 この「仏教宗学研 ...
西山本門寺(21)~西山本門寺51世・村田日敬貫首が遷化(死去)
■富士山本門寺(西山本門寺)21(51世・村田日敬貫首が遷化) 先日から西山本門寺・訪問記の日記を書いていましたが、ここで西山本門寺に関する大きなニュースが入りました。 複数の方から、メールにてお知らせいただきました。ありがとうございました。 先月の末 ...
西山本門寺(20)~「これでいいのか、西山本門寺」と言いたくなる西山本門寺の荒廃ぶり
■富士山本門寺(西山本門寺)20(これでいいのか西山) 西山本門寺訪問の最後の最後になって、「般若の面」の形相の、とんでもない貫首代務者に遭遇してしまったわけでしたが、しかし、訪問したことで、西山本門寺の実態がようやく明らかになりました。 そこで、西山本 ...
西山本門寺(19)~清掃は警備会社が行い、什宝は全て富士宮市博物館に収めている西山本門寺
■富士山本門寺(西山本門寺)19(什宝は富士宮市博物館) さて「般若の面」状態の西山本門寺貫首代務者・浄円坊住職・山口亮祐氏に、私が強く抗議すると、山口亮祐氏は、斜め前に、うつむき加減になり、目がうつろ状態になって、こんなことを言い始めました。 (浄円坊 ...
西山本門寺(18)~般若の面のような形相で出てきた西山本門寺貫首代務者・浄円坊住職・山口亮祐氏
■富士山本門寺(西山本門寺)18(般若の面のような形相) さて、私が浄円坊・庫裡のインターホンを鳴らしたと同時に、玄関口に現れた西山本門寺貫首代務者・浄円坊住職の山口亮祐氏。 ところがこの山口亮祐氏の態度たるや、「誰だ、オマエは」とばかりの、ものすごい剣 ...
西山本門寺(17)~ハプニング的に実現した西山本門寺貫首代務者・浄円坊住職・山口亮祐氏との会見
■富士山本門寺(西山本門寺)17(ハプニング的に実現) さて、客殿・庫裡の裏手にある「信長の首塚」の見学を終えて、再び、客殿前に戻ってくると、先程の掃除の中年女性がいて、こんなことを言ってきました。 「いろいろとここのお寺のことをお聞きになりたいので ...
西山本門寺(16)~なぜ西山本門寺に「信長の首塚」があるのか2
■「富士山本門寺(西山本門寺)」16(なぜ信長首塚を築いたのか) □なぜ西山本門寺は「信長の首塚」を築いたのか では、なぜ西山本門寺は「信長の首塚」を築いたのか、ということになります。 これについて、織田信長と本能寺、法華宗との信仰上の繋がり、ないし ...
西山本門寺(15)~なぜ西山本門寺に「信長の首塚」があるのか1
■「富士山本門寺(西山本門寺)」15(信長の首塚の真偽) 西山本門寺にある「信長の首塚」の記事を書いたところ、多数のご意見を頂戴しましたので、個別ではなく、一括し、まとめて見解を書きたいと思います。 □「信長の首塚」の真偽について 首塚とは、合戦 ...
西山本門寺(14)~富士宮市教育委員会の案内板がない西山本門寺の「信長の首塚」
客殿前で掃除をしていた女性の話しを聞いた後、私は、庫裡・客殿の裏側にある「信長の首塚」のあるところに行ってみることにしました。 「なんで西山本門寺に、信長の首塚があるのか」という疑問があり、「教育委員会が建てた、何らかの案内板でもあるのかな」と思いつつ ...
西山本門寺(13)~本山貫首は住んでおらず、本山檀家も全くいない西山本門寺
西山本門寺の境内を散策していると、一人の中年女性が、境内の掃き掃除をしているのを見つけました。「これはちょうどいい、あの人に聞いてみよう」 と思い、その中年女性にいろいろ聞いてみることにしました。 この掃除をしていた中年女性は、私からの質問に、割と快く ...
西山本門寺(12)~全ての戸と窓が閉め切られ、内側からカーテンが閉められていた西山本門寺の庫裡
西山本門寺は、庫裡と客殿が並んでいて、渡り廊下で繋がっている様子でした。 しかし、庫裡とは言っても、受付もなければ書院もない。年中行事の案内もなければ、僧侶がいる気配が全くない。 西山本門寺の庫裡といったら、本山貫首の住居であるはずなのだが、外から見る ...
西山本門寺(11)~日興真筆・日蓮遷化記録をはじめ数々の重要文化財が蔵されている西山本門寺
西山本門寺という寺は、古くからの古文書、漫荼羅本尊が多数格蔵されており、平たく言うと、文化財の宝庫のようになっています。 客殿前に建っている「西山本門寺略縁起」と書かれた案内板の記述によれば 日蓮真筆本尊、日蓮生母頭髪、日蓮所持の念珠、日蓮消息文・和漢 ...
西山本門寺(10)~「日目上人正嫡の由緒と本因妙大本尊の発見」に書いてある西山本門寺客殿の中の様子
西山本門寺客殿は、とても大きな建物であり、江戸時代に権力の庇護のもとに栄えた西山本門寺の繁栄ぶりがうかがえます。 私としては、ぜひともこの客殿の中を見てみたいのですが、いつ来ても、この客殿の入り口の戸は閉まったまま、内側からカギがかけられています。そう ...
西山本門寺(9)~西山本門寺の中心堂宇で、本堂替わりに使っている巨大な客殿
西山本門寺・黒門から、石段を登って、延々と参道を登っていくと、塔頭坊の前を通り過ぎて、ようやく客殿の前にたどり着きます。客殿は、参道の西側にありますが、参道の石段は、さらに客殿の北側へと延々と続いています。 西山本門寺の中心堂宇は、客殿です。かなり大き ...
西山本門寺(8)~一見して僧侶もおらず、行事も行われている痕跡が全くない西山本門寺
西山本門寺の境内は、とてつもなく広々とした境内なのですが、延々と長い階段がつづく参道のまわりは、鬱蒼とした木々が生い茂っていて、境内の大半は、山林と化してしまっているのではないかと思ってしまうほど。 黒門から客殿に向かって参道を歩いていると、かつて塔頭 ...
西山本門寺(7)~黒門から2キロ以上も延々と続いている西山本門寺参道
さて、下馬の禁札が立っている西山本門寺・黒門から客殿にむかって一直線に、参道が伸びているのですが、この参道が、西山本門寺独特の参道なのです。 参道は、黒門から客殿方面に向かって、延々と登り坂になっていて、おそらくは1キロ以上はつづいていると思います。しか ...
西山本門寺(5)~富士門流・西山本門寺の近年の歴史と西山本門寺僧侶・松本修明氏
□富士門流・西山本門寺の近年の歴史と西山本門寺僧侶・松本修明氏 今、日蓮正宗や創価学会の元信者筋では、ちょっと有名な松本修明氏が西山本門寺僧侶を名乗っています。 住職をしている滋賀県大津市の富士山蓮華寺、松本修明氏が主管をしている東京・世田谷区の東 ...
西山本門寺(4)~西山本門寺の昭和以降の複雑怪奇な歴史と塔頭・末寺
(西山本門寺第五十世貫首・森本日正氏)1975(昭和50)年、裁判は、檀家側の勝訴で最終決着。これにより吉田義誠(日勇)氏は、西山本門寺から退出。旧門末・福正寺の森本正明(日正)氏が正式に50代貫首として晋山。西山本門寺は、日蓮正宗から再び離脱し、法華宗興門流を公称。 ...
西山本門寺(3)~黒門前に「下馬の禁札」が建てられている西山本門寺
西山本門寺という寺院は、富士宮市芝山の雑木林というか、鬱蒼とした松林の中にあり、山林の中に隠れてしまっているため、外からは西山本門寺の堂宇は見えません。 しかし西山本門寺の境内は、ものすごい広さで、資料によると360町歩あるといいます。 1町=99aなので、単 ...
西山本門寺(2)~昭和以降、まことに複雑怪奇な歴史をたどった富士門流本山・西山本門寺
■「富士山本門寺(西山本門寺)」2(昭和以降の複雑怪奇な歴史) 西山本門寺とは静岡県富士宮市西山671(旧富士郡芝川町)にある法華宗興門流の本山。西山本門寺とは、通称名で、正式には「富士山本門寺根源」といい、これは北山本門寺の正式名と全く同じ。 そもそも西山本門 ...
西山本門寺(1)~閉鎖的体質は日蓮正宗大石寺と同じ?か、それ以上にひどい西山本門寺
■「富士山本門寺(西山本門寺)」1(大石寺と同じ閉鎖的体質) 西山本門寺(にしやまほんもんじ)とは、1343年(康永2年)日代の開山として静岡県富士郡芝川町西山671にある法華宗興門流の本山で、日蓮正宗大石寺、重須(北山)本門寺、日蓮正宗妙蓮寺、小泉久遠寺とともに富士 ...