一般社団法人 仏教宗学研究会・公式ブログ

「一般社団法人 仏教宗学研究会」とは任意団体として1985年から活動している会の名称。2018年5月に一般社団法人登記。当ブログ名を「仏教宗学研究会のブログ」から「一般社団法人 仏教宗学研究会・公式ブログ」に改名。 「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判・糾弾は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」が管轄。「一般社団法人 仏教宗学研究会・公式ブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。「仏教宗学研究会」と「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」は表裏一体の同体異名。日蓮正宗、創価学会・SGI・顕正会・正信会、さらに富士門流執着軍団…らを批判する主旨は同じ。 (背景写真は高野山真言宗総本山・高野山奥の院灯籠堂参道)

カテゴリ: 日蓮正宗vs富士門流本山・日蓮宗の紛争・論争史

三祖日目の墓所が日蓮本宗・京都鳥辺山実報寺にある検証が気に入らない(??)人たちが、全く事実無根の虚偽コメントを寄せてきている。 ------------------------------------------------------------------ ①日目の遺骨は實報寺に無い!むしろ、垂井で茶毘した場所から ...

三祖日目の墓所が日蓮本宗・京都鳥辺山実報寺にある検証が気に入らない(??)人たちが、全く事実無根の虚偽コメントを寄せてきている。 ------------------------------------------------------------------ くだらない歴史を書き立てるより、血脈正統の日郷上人を認めれ ...

富士宗学要集に載っている古文献を元に、大石寺・京都要法寺・保田妙本寺・小泉久遠寺三祖日目の正墓が、京都鳥辺山・實報寺にあるという検証はすでに動画428で行っている。今回は、2009年に實報寺住職と英昭彦が会話をして、その会話からも日目の正墓が實報寺にあることが ...

大石寺には、日蓮の灰骨はない(動画132,133,134,141,394,396)、日興の灰骨はない(動画361)、そして日目の灰骨もないことが、ここに確定する。日蓮正宗では、三祖日目が美濃国垂井で1333年11月15日に遷化。随行の日尊、日郷が荼毘に付して、日郷が日目の遺骨を大石寺に持ち ...

1の理由・鎌倉日桜氏は日蓮正宗中枢から疎外されてきたことに強い不満を持っていたこと。(動画309で検証済み) 2の理由は、「大石寺が対等合併の約束を守らないから」というもので、これは1995年の日蓮正宗離脱以後、鎌倉日桜氏が日蓮正宗から保田妙本寺に移ってきた信者の ...

なぜ保田妙本寺51代住職・鎌倉日桜氏(1908-2009)は、日蓮正宗からの離脱を決断したのか。保田妙本寺が日蓮正宗から離脱したのは1995年5月4日のことだが、住職・鎌倉日桜氏は、1972年ころから日蓮正宗からの離脱に傾斜して行っていた。第一の理由は、鎌倉日桜氏が日蓮正宗か ...

保田妙本寺に日蓮真筆「万年救護の大本尊」が格蔵されているが、これを模刻した板本尊、紙幅曼荼羅は、西山本門寺、身延山久遠寺、佐野妙顕寺、谷中領玄寺、大石寺大講堂等々にある。1966年、鎌倉寛全氏が保田妙本寺住職になって6年後、「蓮悟空」事件が起こり、元民音職員 ...

保田妙本寺貫首は、日蓮正宗帰一以前は小泉久遠寺と両山一首制の時が多かった。教学では「万年救護の大本尊」日蓮本懐説、保田妙本寺貫首の血脈相承を唱えた歴代貫首はいない。1333~1405年まで大石寺vs日郷門流(保田妙本寺・小泉久遠寺)の72年紛争があった。1482年9月7日 ...

1334年から1405年までの72年間、大石寺門流と保田妙本寺・小泉久遠寺(日郷門流)の間で、大石寺東御堂、蓮蔵坊、西坊地等をめぐる所有権争いがあったことは歴史的史実。紛争の史料が「富士宗学要集」「富士日興上人詳伝」に収録されている。少なくとも大石寺は1338—1365年の ...

1587年の要法寺・大石寺の通用申合について、大石寺は「日蓮正宗入門」の中で「大石寺を本寺とし要法寺を末寺とする本末の関係が修復されました」と書いているが、これは全くのウソ。要法寺が大石寺の末寺になったことは一度もない。1587年の通用申合は大石寺から要法寺に申 ...

京都要法寺とは富士門流八本山のひとつで日蓮本宗の本山。要法寺貫首は日蓮本宗管長・代表役員である。1536年の天文法華の乱で上行院、住本寺が焼失。1550年、広蔵院日辰が両寺を合併して復興したのが京都要法寺である。要法寺は開創から寛政の法難まで造仏読誦義であった。 ...

西山本門寺とは富士門流八本山の一つ。西山本門寺には1980年代、90年代、そして2011年10月2日に訪問している。1957年に塔頭・末寺・檀家の承認なく西山本門寺49代貫首・由比日光氏の独断で日蓮正宗に合同。合同に猛反対する塔頭・末寺・檀家と日蓮正宗・西山本門寺貫首の間で ...

松本勝弥氏とは創価学会を経験した人で、はじめて創価学会批判本を出版(「変質した創価学会」「訴訟された創価学会」)、創価学会を相手取って裁判(正本堂供養金返還訴訟)を起こした人。松本勝弥氏の著書「変質した創価学会」「訴訟された創価学会」は、1960—70年代の宗創関 ...

■中谷山妙本寺(保田妙本寺)4(保田妙本寺・松本勝弥グループ潰しの謀略戦争2)   □室町時代の頃から大石寺9世日有偽作教学のお追従をしてきた保田妙本寺歴代貫首   保田妙本寺では、室町時代に11世日要、14世日我等の学者貫首を輩出して、冨士門流でも独自の妙本寺教 ...

■中谷山妙本寺(保田妙本寺)2(鎌倉日桜貫首と檀徒の会話を電話盗聴)   □保田妙本寺51代鎌倉日桜貫首と檀徒の会話を電話盗聴していた創価学会・山崎師団   1970(昭和45)~1972(昭和47)年にかけて、松本勝弥氏は「大石寺の『戒壇の大本尊』はニセ物であり、保田妙本寺 ...

■中谷山妙本寺(保田妙本寺)1(松本勝弥・万年講事件)   □1995(平成7)年に再び日蓮正宗から離脱独立して単立になった保田妙本寺と末寺2ヶ寺   東京駅からJR内房線の特急さざなみ号に乗り、JR保田駅で下車。国道を2キロほど道沿いに南下。JR内房線の妙本寺踏切をわた ...

■天母山2(日教の天生ヶ原戒壇説と日辰の天母山戒壇説)   □なぜ大石寺僧・左京阿闍梨日教の文書「類聚翰集私」にはじめて「天生原」が出てくるのか   日蓮、日興の教説にない天母山戒壇説を、なぜ大石寺僧侶・左京阿闍梨日教(本是院日叶)や京都・要法寺13世貫首・広 ...

■天母山1(戒壇論争で登場する天母山)   日蓮正宗、創価学会、顕正会、正信会の関係者であれば、この「天母山」という名前は、一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。これは天母山と書いて、「あんもやま」と読みますが、これは日蓮正宗、創価学会、顕正会の間で ...

■上井出・御穴3・大石寺52世鈴木日霑と北山本門寺34代玉野日志の霑志問答に出てくる御穴調査3   私は、車で人穴から富士宮市役所に行き、市役所の駐車場にすべり込んで車を停め、市庁舎の中に入っていきました。入っていったのはいいのですが、さて、どの係の、誰に聞 ...

■上井出・御穴2・大石寺52世鈴木日霑と北山本門寺34代玉野日志の霑志問答に出てくる御穴調査2   日蓮正宗大石寺が「戒壇の大本尊」偽作を秘匿・隠蔽するためにデッチ上げた「御身代わり板本尊」の「御穴伝説」を、日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨が、否定しているから面 ...

■上井出・御穴1・大石寺52世鈴木日霑と北山本門寺34代玉野日志の霑志問答に出てくる御穴調査1   富士宮市の「人穴」と言うと、「何ですか、それは」と言われてしまいそうですが、この人穴は、日蓮正宗大石寺の「戒壇の大本尊」偽作問題に関連する調査活動の一環として ...

■日蓮本宗・鳥辺山實報寺10(禅寺に葬られ親鸞の隣りで眠る日目)   私は、實報寺住職との長時間に及ぶ単独会見を終えたのでしたが、私にとっては、大きな成果のある實報寺訪問と言うことになりました。實報寺住職は □ここ鳥辺山にあった延年寺に、日目が葬られて正墓 ...

■日蓮本宗・鳥辺山實報寺9實報寺に日目の正墓があると断言2   一通りの住職からの回答があった後、私と住職の問答になった。   ○「それでは、日目上人、日尊上人の正墓は、ここ実報寺さんにあるわけで、日蓮正宗大石寺にはない、ということで、よろしいわけですね ...

■日蓮本宗・鳥辺山實報寺8(實報寺に日目の正墓があると断言)   實報寺住職の方も、言いたいことを言って少し気持ちが晴れたのか、ようやく少しは心を開いて喋り始めました。   □住職「あなたはサイトを主宰しておられるのですか」 ○「そうです。『アンチ日蓮正宗 ...

■日蓮本宗・鳥辺山實報寺4(鳥辺山から消えた延年寺)   鳥辺山實報寺については、要法寺発行の「私たちの要法寺」には 「鳥辺山御廟所 本山御歴代の貫首上人の墓所は、東山五条上ルの鳥辺山実報寺にあります。 鳥辺野は、すでに王朝時代から無常所として都の人々の墓 ...

■日蓮本宗・鳥辺山實報寺3(下之坊に日目の遺骨はない)   日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨編纂『富士宗学要集』8巻p69~71に収録されている、京都・東山の延年寺墓地に葬られた日目の墓地を、富士門流が延年寺から墓地を四度にわたって買い取って、墓域を拡張した四通の文 ...

■日蓮本宗・鳥辺山實報寺2(日目墓域を買収・拡張を記した古文書)   日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨編纂『富士宗学要集』8巻p69~71に収録されている、京都・東山の延年寺墓地に葬られた日目の墓地を、富士門流が延年寺から墓地を四度にわたって買い取って、墓域を拡張し ...

■日蓮本宗・鳥辺山實報寺1(日目の正墓がある京都・鳥辺山御廟所)   實報寺(じっぽうじ)という寺院は、正式には多寶山實報寺といい、日蓮本宗本山・要法寺の末寺。つまり富士門流八本山・日尊門流の祖山である京都・要法寺の末寺。 要法寺が発行している小冊子「私たち ...

■富士山久遠寺(小泉久遠寺)5(保田妙本寺と両山一寺制2)   これを見ると、日蓮・日興・日目から19代貫首までは、小泉久遠寺も保田妙本寺も全く同じです。 その後も多少の相違は見られるものの、昭和の時代に、小泉久遠寺と保田妙本寺の貫首が完全に別人になるまで、ほ ...

■日蓮宗本山・実成寺7(日蓮せいしゅうと発音した檀家老人)   伊豆実成寺の旧檀家の老人は、まあいろんなことを私に話してくれました。 昭和5年に大きな地震があり、客殿は半壊になり、祖師堂は柱が傾いてしまったという。そこで客殿は、一旦、取り壊して新しく建て直 ...

■法華本門寺根源(北山本門寺)19(大石寺と厳しく対峙・対立)   北山本門寺が、自山を「大石寺を含む日興門流の祖山である」「本門戒壇建設運動発祥の根本道場」というふうに定義づけているということは、日蓮正宗大石寺が、日興門流の祖山・総本山であることを明確に否 ...

■法華本門寺根源(北山本門寺)14(北山本門寺の日興正墓)   北山本門寺の開山堂の前を通って納骨塔に突き当たり、左に曲がって狭い道を歩いて行くと、「御廟所」にたどり着きます。ここに、日興の正墓、日蓮正墓遙拝廟、本門寺歴代貫首廟所があります。北山本門寺では、 ...

(西山本門寺第五十世貫首・森本日正氏)1975(昭和50)年、裁判は、檀家側の勝訴で最終決着。これにより吉田義誠(日勇)氏は、西山本門寺から退出。旧門末・福正寺の森本正明(日正)氏が正式に50代貫首として晋山。西山本門寺は、日蓮正宗から再び離脱し、法華宗興門流を公称。 ...

■「富士山本門寺(西山本門寺)」2(昭和以降の複雑怪奇な歴史) 西山本門寺とは静岡県富士宮市西山671(旧富士郡芝川町)にある法華宗興門流の本山。西山本門寺とは、通称名で、正式には「富士山本門寺根源」といい、これは北山本門寺の正式名と全く同じ。 そもそも西山本門 ...

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