仏教宗学研究会のブログ

「仏教宗学研究会」とは会の名称。「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判・糾弾は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」が管轄。「仏教宗学研究会のブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。「仏教宗学研究会」と「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」は表裏一体の同体異名。日蓮正宗、創価学会・SGI・顕正会・正信会、さらに富士門流執着軍団…らを批判する主旨は同じ。 (背景写真は高野山真言宗総本山・高野山奥の院灯籠堂参道)

「仏教宗学研究会」とは「アンチ日蓮正宗」管理人が設立した会の名称。この会の中で、「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄。
「仏教宗学研究会のブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。富士門流執着軍団批判は「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄だが、「日蓮正宗系」以外の富士門流寺院の調査・研究は「仏教宗学研究会のブログ」の管轄。
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興門・日蓮宗(本)伊豆実成寺

伊豆実成寺(7)~日蓮正宗を「日蓮せいしゅう」と発音していた伊豆実成寺・檀家の老人

■日蓮宗本山・実成寺7(日蓮せいしゅうと発音した檀家老人)

 

伊豆実成寺の旧檀家の老人は、まあいろんなことを私に話してくれました。

昭和5年に大きな地震があり、客殿は半壊になり、祖師堂は柱が傾いてしまったという。そこで客殿は、一旦、取り壊して新しく建て直したが、祖師堂は、傾いた柱の修復で復旧したという。

伊豆実成寺14祖師堂


祖師堂と客殿は、元々は屋根が茅葺きだったが、それからトタン屋根になり、さらに銅葺きの屋根になったのだという。

伊豆実成寺7客殿

 

私は、昭和2030年代に巻き起こった、富士門流本山の日蓮正宗併合問題について、この檀家の老人に質問してみました。

この時期、創価学会の強引・執拗な折伏活動により、富士門流本山が次々と日蓮正宗に併合されていきました。まず、四国の讃岐本門寺が、つづいて富士の下条・妙蓮寺が日蓮正宗に合流・併合される。さらに日郷門流の日向・定善寺が、千葉の保田・妙本寺が日蓮正宗に合流・併合になり、さらに富士の西山本門寺まで、日蓮正宗に合流。

北山本門寺と小泉久遠寺は、合流しなかったものの、北山本門寺の末寺である妙泉寺が日蓮正宗に合流・併合されている。

西山本門寺の場合は、塔中・末寺・檀家の承認を得ないで、勝手に貫首が日蓮正宗に合流したとして、裁判になり、最終的に日蓮正宗が敗訴しています。

 

こういう動きの中で、伊豆実成寺の名前は全く出てこないわけです。これに関連する騒動はなかったのか、檀家の老人に質問しました。

すると、この界隈の実成寺檀家でも創価学会に入った家はないし、伊豆実成寺にも創価学会は来なかったといいます。

下条妙蓮寺・北山本門寺・西山本門寺・小泉久遠寺・保田妙本寺であったような創価学会絡みのトラブルも何もなかったといいます。

ところでこの老人は

「この寺は、日尊上人の建立の寺で、創価学会と同じ系統だからねー」

と言います。富士門流の寺だから、日蓮正宗・創価学会とは同じ系統だと言うわけです。

私が、「あれっ」と思ったのは、この老人が「日蓮正宗」のことを「日蓮しょうしゅう」とは発音せずに、「日蓮せいしゅう」と発音していたこと。

 

これは、昔の人、というか老人で「日蓮しょうしゅう」とは発音せずに、「日蓮せいしゅう」と発音する人をごくたまに見かけます。

私は、30年以上昔のことになりますが、創価学会員の勧誘で、創価学会の座談会に無理矢理引っ張り出されたときに、戸田城聖が指導しているのを録音したレコードを聴いたことがあるのですが、戸田城聖が「日蓮しょうしゅう」とは発音せずに、「日蓮せいしゅう」と発音していたことを鮮明に覚えています。

戸田城聖が「日蓮せいしゅう」と発音していたので、戸田城聖の質問会に来ていた創価学会員が

「日蓮しょうしゅうが正しいのですか。日蓮せいしゅうが正しいのですか」と質問していましたから。

それに対して戸田城聖がいろいろ答えていましたが、内容は忘れてしまいました。

 

今の若い人で、「日蓮せいしゅう」と発音している信者は、見かけないですね。なのでこの檀家の老人が、「日蓮せいしゅう」と発音していたのが、私にとっては、ちょっぴり懐かしいなと思いました。

 

 

伊豆実成寺(6)~貫首不在で一年に二回しか行事が行われていない伊豆実成寺

■日蓮宗本山・実成寺6(貫首不在で衰退)

 

実成寺の祖師堂も客殿もカギが閉まったままになっていますし、貫首はふだん不在で、留守居の僧侶が1人いるだけ。塔中坊もなければ、修行僧・所化僧も一人も居ない。これじゃあ、行事を行うことが不可能ですね。実際に、行事が行われている形跡が見られないわけです。

伊豆実成寺12祖師堂


そこで旧檀家の老人に質問したところ、今は年中行事としては、820日か8月の最終日曜日に行っている霊宝のお風入れ法要と、1013日の御会式のみだという。

「お風入れや御会式には、たくさんの人が参詣に来られるのですか」

と質問すると、昔はたくさんの参詣者が来て、実成寺の周辺には的屋の露店が賑々しく建ち並んだが、今は的屋の出店はないという。

 

「じゃあ、檀家さんは減ったのですか」

と質問すると、昭和5年ころには、檀家が70世帯くらいだったが、今は100世帯くらいあるという。

なぜ昭和期に檀家が増えたのかというと、この近辺に人口が増えたから、自動的に檀家も増えたというのです。

まあ確かに、終戦直後ぐらいから高度成長期にかけて、日本の人口は増えましたねえ。昭和期に、この実成寺の近辺にも他所の土地から檀家が引っ越してきたのだと言います。それでは、末寺の檀家が実成寺近辺に引っ越してきたのか。

あるいは他の日蓮宗寺院の檀家だった家が、実成寺檀家になったということか。

 

しかしそれなら、行事の参詣者が減ったというのは、おかしいですね。

そうするとこの旧檀家の老夫婦は

「今は、昔と違って、お寺と檀家の結びつきが薄くなったでしょう。今の若い人は、昔からの伝統を守ろうとか、そういうことを考えないでしょう」

という、なにやら言い訳っぽい。

そういえば、西山本門寺を訪ねた時に、話を聞いた掃除の中年女性も、同じようなことを言っていたのを思い出しました。衰退している寺院の檀家は、同じようなことを言うのでしょうか。

 

まあ、旧檀家の老夫婦が言っていることも、わかるような気がしますが、それを言うなら、日蓮宗の寺院でも、年中行事をたくさん催し、たくさんの参詣人を集めている寺院は、けっこうたくさんありますねえ。日本の仏教寺院全てが、西山本門寺や伊豆実成寺のように衰退していっているわけではありません。日蓮宗の中を見ても、行事のたびにたくさんの参詣者が集まる寺院は、けっこうたくさんあります。

今の若い人が昔からの伝統を守ろうとしないからだ、と言うなら、全国の寺院が衰退していっているはずですが、そうはなっていません。実成寺の衰退は、実成寺に原因があるということです。

 

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伊豆実成寺(5)~普段は蓮慶寺に居て実成寺には住んでいない実成寺貫首

■日蓮宗本山・実成寺5(実成寺には住んでいない貫首)

 

伊豆実成寺の境内は、黒門、祖師堂、客殿、庫裡、宝蔵、墓苑、大見平三家政の墓です。本山なのに、塔中坊がひとつもありません。

敷地としては、そんなに広くはないですね。庫裡を訪ねてみたのですが不在の様子。庫裡とは言っても、外から見ると、普通の民家に見えます。外来者の受付があるわけではありません。

伊豆実成寺2庫裡

 

「これじゃあ、せっかくここまで来て、もの足りないなあ」

と思っていたところ、境内に老夫婦がいるのを発見。この老夫婦に話を聞こうと声をかけました。

男性のほうは80歳を超えているようですが、喋りはしっかりしていました。

なんでもこの男性は、伊豆実成寺の宝蔵の中にある長持のカギを持っているのだとか。昔から実成寺の近所に住んでいる古参檀家のようでした。

伊豆実成寺5宝蔵


男性は、私の質問に快く答えてくれました。

 

さてこの檀家さんの話しによると、塔中坊は昭和5(1930)以前までは浄蓮坊という名前の塔中坊が1ヶ坊あったのですが、昭和5年の大地震で倒壊し、再建されないままになっているのだという。この昭和5年の地震というのは、年表等々を調べても載っていません。

 

伊豆実成寺44代貫首・日包氏は200810月に死去し、その後は伊東・川奈にある実成寺末寺・蓮慶寺住職の田中智海氏が貫首代務者になっているのは、ネット情報でも出てきていますが、檀家の話では、田中代務者は、普段は蓮慶寺に住んでいて実成寺にはいないとのこと。

しかし庫裡は無住ではなく、若い僧侶が一人、留守居として庫裡に居るが、この僧侶も千葉県成田市の寺の住職で、成田の寺に妻子がいるため、土曜・日曜は成田に帰ることが多いという。

貫首は末寺の輪番制になっているとのこと。

 

檀家が「成田のお寺」と言ったので、私も帰ってから調べてみたのですが、千葉県成田市に伊豆実成寺の末寺はない。ということは、日興門流ではない他門流の日蓮宗寺院から来ているんだろうか。

 

田中貫首代務者は、ふだんは蓮慶寺にいて、実成寺で法要があるときには実成寺に来るという。

その他は、時折、実成寺に来ることがあるとか。

私が行った日も、午前中は貫首代務者が居たということですが、午後になって若い僧侶に送られて蓮慶寺に帰ったのではないか、とのことでした。この檀家さんは、田中貫首代務者のことを「御前様」と呼んでいました。正式に貫首として晋山したんでしょうかねえ。

 

現在、実成寺にいる僧侶は、実質的に成田市の寺から来ているという留守居の僧侶だけ。

本山という格付けなのに、修行僧もいなければ所化僧もいない。

 

檀家の話によれば、昭和初期まで浄蓮坊があったときは、修行僧が1人~2人はいたかもしれないが、浄蓮坊が倒壊した後は、修行僧も所化僧もいないとのことです。

 

 

伊豆実成寺(4)~文永年間本尊を模写彫刻した板漫荼羅が祀られていた実成寺客殿

■日蓮宗本山・伊豆実成寺4(文永本尊模刻の板漫荼羅)

 

その祖師堂と客殿は渡り廊下で繋がっており、祖師堂と客殿の間に日蓮の銅像が建っています。

伊豆実成寺8日蓮像



この日蓮の銅像は、池上本門寺、北山本門寺、鎌倉の日蓮宗寺院に建っている日蓮の銅像よりも、一回り小さいサイズのように見えました。

祖師堂の隣に立っている客殿は、日蓮宗新聞社が刊行している「日蓮宗本山めぐり」という本の中では、客殿の名前ではなく、「本堂」として紹介されています。

客殿を実質的な本堂として使っている、ということのようです。客殿を本堂代わりに使っているのは、日蓮正宗大石寺、妙蓮寺、西山本門寺、小泉久遠寺と共通しています。これは富士門流の慣習として、今日まで残っているようです。

伊豆実成寺7客殿


 

さて客殿(本堂)の中を見てみようとしたのですが、ここも祖師堂と同様に内側からカギがかかっていて開きません。ところがこの入り口の戸の一部がガラス窓になっていて、そこから中の様子が見えました。

中は灯りが消えているので、まことに薄暗くなっていましたが、須弥壇の本尊のまわりは、灯りがついたままになっているのか、明るくなっていました。

伊豆実成寺6客殿



客殿(本堂)の須弥壇に祀られていたのは、黒漆に金文字の板漫荼羅本尊でした。その前に日蓮の木像があったかどうかまでは、はっきり見えませんでした。なかったような気がしたのですが…。

その板漫荼羅の相は、日蓮の文字と花押が左右に大きく離れている文永年間の漫荼羅であることが、見えました。特に板本尊に向かって左下にある花押の金文字が目立って見えました。

私がガラス窓越しに見た感じとしては、文永十一年の万年救護の大本尊の相によく似ているような気がしましたが、確定的なことは言えません。

日蓮真筆本尊では、保田妙本寺の万年救護の大本尊が有名ですが、真偽未決本尊を含めれば、これとよく似た本尊としては、京都要法寺の称徳符法の本尊があり、さらにこの伊豆実成寺にも、立正安国会の御本尊集に載っていない日蓮図顕の漫荼羅と伝承される本尊が格蔵されているということですから、これだけで客殿(本堂)の本尊を断定できません。

 

そこで私はデジタルカメラで、ガラス窓から、須弥壇の板漫荼羅本尊を撮影しようとしたのですが、露光不足で撮影できませんでした。

この日は、外は雲一つない快晴で、太陽の日差しがものすごく強い日で、方や客殿(本堂)の中は、灯りが消えていて薄暗く、どうにもうまく撮れませんでした。デジタルカメラでも無理でした。

逆に、外が暗くて、客殿(本堂)の中が明るかったら撮れたのではないかと思うのですが。

 

客殿(本堂)の内陣にある導師席は、正面の板漫荼羅本尊に向かい合って設定されていました。

大石寺の客殿のように横向きにはなっていません。

内陣・外陣の区別も、ふつうにあったように思いました。(中は薄暗かったですが)

 

伊豆実成寺の客殿(本堂)は、ネット情報によると、1844(弘化元年)に再建されたとなっており、日蓮正宗が出している「富士年表」にも、1844(弘化元年)の項目に

「○伊豆実成寺 客殿再建」

と書いてあります。

しかし、このあとの日記に出てくる伊豆実成寺の旧檀家の老人の話では、客殿は、昭和5(1930)の地震で倒壊し、翌昭和6年に再建した建物だと言っていました。

 

ちなみにこの旧檀家の老人は、客殿(本堂)のことを、本堂とは呼ばずに客殿と呼んでいました。

 

 

伊豆実成寺(3)~堂宇の並び方が大石寺や富士門流本山と共通している伊豆実成寺

■日蓮宗本山・伊豆実成寺3(堂宇の並び方が富士門流本山と共通)

 

現在、実成寺は日蓮宗本山になっていますが、元々は富士門流八本山のひとつであることから、境内にある堂宇の並びが、正面から見て庫裡~客殿~祖師堂(御影堂)というふうに並んでいます。これは日蓮正宗大石寺、妙蓮寺、北山本門寺、小泉久遠寺、讃岐本門寺に共通した並び方です。

富士門流の中でも、大石寺、妙蓮寺、讃岐本門寺と北山本門寺、小泉久遠寺は中世の頃から仲が悪いのですが、仲が悪いにもかかわらず、堂宇の並び方が共通しているというのは、なんとも面白く見えます。

それと実成寺の黒門に、鶴丸の紋があるのが見えました。これも富士門流本山の共通項です。

 

ただし日蓮木像を祀る堂宇を祖師堂と呼んでいること、日蓮の銅像が建っているのは、日蓮宗寺院の特色ですね。富士門流では祖師堂とは言わずにむ御影堂と言いますし、日蓮の銅像が建っていません。

日蓮宗全国本山会監修・日蓮宗新聞社発刊の「日蓮宗本山めぐり」という本には、伊豆実成寺の祖師堂については、「祖師堂(御影堂)」と書いてあります。

 

実成寺の黒門から祖師堂まで一直線に参道が伸びています。

伊豆実成寺14祖師堂


祖師堂の入り口の戸は閉まっていてカギがかかっていましたが、入り口の戸の一部がガラス窓になっている部分があったため、阻止堂の中を見てみました。

すると祖師堂の須弥壇の扉は閉まったままになっており、内陣・外陣の造りは、大石寺や北山本門寺の御影堂の造りに似ていなくもないですが、大石寺や北山本門寺の御影堂ほど広くなく、こじんまりした感じに見えます。

 

境内には、伊豆実成寺祖師堂の彫刻が有形文化財に指定されていることを告知する看板がありました。それには次のように書いてあります。

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有形文化財 実成寺祖師堂の彫刻

 

この祖師堂には、立派な彫刻が保存されている。作者は、松崎町江奈出身で石田富治郎、号を希道斎永秀と称した。狩野派の画法を修め名人といわれた人物である。

彫刻は祖師堂向拝正面に鳳凰の舞う姿、左右の木鼻には獅子と象、そして内側の手狭みには牡丹の咲き乱れる様子が彫られている。

堂内正面欄間一面に見事な透かし彫りがあり、松、竹、梅の林が浮き出し、その林間には神仙と童児が巻物を広げて楽しそうに話し合っている。

両側の欄間には五彩の雲間に鶴の舞い遊ぶ姿が彫られている。なお希道斎永秀は三島大社拝殿向拝にも作品を残している。

 

有形文化財指定日 平成六年十一月六日

伊豆市教育委員会

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 伊豆実成寺13祖師堂彫刻案内

 

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