仏教宗学研究会のブログ

「仏教宗学研究会」とは会の名称。「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判・糾弾は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」が管轄。「仏教宗学研究会のブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。「仏教宗学研究会」と「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」は表裏一体の同体異名。日蓮正宗、創価学会・SGI・顕正会・正信会、さらに富士門流執着軍団…らを批判する主旨は同じ。 (背景写真は高野山真言宗総本山・高野山奥の院灯籠堂参道)

「仏教宗学研究会」とは「アンチ日蓮正宗」管理人が設立した会の名称。この会の中で、「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄。
「仏教宗学研究会のブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。富士門流執着軍団批判は「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄だが、「日蓮正宗系」以外の富士門流寺院の調査・研究は「仏教宗学研究会のブログ」の管轄。
「仏教宗学研究会」への誹謗中傷に対する反撃・糾弾は「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄。
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興門・日蓮宗(本)小泉久遠寺

小泉久遠寺(13)~2005年に行われた小泉久遠寺65代吉田日綱貫首の晋山式

■富士山久遠寺(小泉久遠寺)13(65代吉田日鋼貫首の晋山式)

 

日蓮宗宗務院からの辞令授与ののち、2005424日、小泉久遠寺にて65代吉田日綱貫首の晋山式が行われており、以下は新貫首晋山式の模様を伝える日蓮宗新聞の記事です。

 

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「富士宮市 本山小泉久遠寺 法灯継承晋山式」

「第六十五世吉田日綱貫首晋山『給仕第一を心に…』宗風宣揚に精進誓う」

静岡県富士宮市の本山小泉久遠寺で、424日、第65世吉田日綱貫首の法灯継承晋山式が営まれ、桜花爛漫の青空の下、僧侶檀信徒約600人が参列した。

午前11時半から晋山行列が行われ、稚児70人と共に式衆・檀信徒が撃鼓唱題しながら、久遠寺の黒門から本堂までを練り歩いた。

午後1時から富士駿河雅楽会による越天楽の調べに乗せて晋山法要が始まり、はじめに静岡県中部宗務所の武田真良所長から辞令伝達がなされた。続いて旭日重前貫首から吉田新貫首に法灯継承の証として法華経一部と久遠寺過去帳の相承が行われ、吉田新貫首発声のもと玄題三唱した。

式中、行列に参加した稚児による献香、献花、献灯が行われ、天童祭文が声高らかに読み上げられた。

吉田新貫首は奉告文の中で、久遠寺開山の宰相阿闍梨日郷上人から連綿と伝わる由来、宗門随一の大太鼓を納める太鼓堂の建立と参道整備を行った63世日隆上人の功績、64世日重上人の伝道布教等の偉業を称え、さらなる寺門興隆、宗風宣揚に精進していくことを誓った。

法要の後、武田所長、本間日諄大本山北山本門寺貫首、永倉日侃本山鎌倉本覺寺貫首、地元管区の遠藤是秀宗会議員が祝辞を述べた。

最後に吉田新貫首が、「法縁各聖ならびに総代各位の御推挙を受け、 63世日隆上人の育てた桜並木のもと、64世日重上人に導かれて65世の法統を継承するという不思議な仏縁を感じております。浅学非才の身ではありますが、給仕第一を心に刻み、この重責を全うしていく覚悟です。なにとぞご指導ご鞭撻を賜りますよう、お願い致します」と決意を延べ、法灯継承晋山式を終了した。

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この記事の内容も、なかなか興味深いものがあります。

吉田日綱氏の先代の貫首・旭日重氏は、この後、北山本門寺49代貫首に晋山しており、吉田日綱貫首の晋山式に、北山本門寺48代本間日諄貫首が祝辞を述べています。

この本間日諄貫首は、2009年(平成21年)1128日に93才で遷化(死去)していますので、この時は89才だったということになります。高齢を押しての出席だったということでしょうか。

小泉久遠寺13客殿


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小泉久遠寺(12)~日蓮宗宗務院から本山貫首辞令が渡された吉田日綱貫首

■富士山久遠寺(小泉久遠寺)12(日蓮宗から本山貫首辞令)

 

2004年に、新しい小泉久遠寺65代貫首に吉田日綱(顕綱)氏が晋山しているのですが、2004517日に日蓮宗宗務院で行われた辞令授与式の模様を伝える「日蓮宗新聞」の記事がとても興味深いので、ここで紹介したいと思います。


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「本山小泉久遠寺貫首に吉田顕綱師」

『歴史と伝統を受け継いで護法護持に努めます』

静岡県富士宮市の本山小泉久遠寺の貫首に吉田顕綱師(静岡県長泉町圓蔵寺代務住職)が就任、517日、東京・大田区池上の宗務院で辞令交付式が行われた。

岩間湛正宗務総長から辞令を手渡された吉田新貫首は『歴史と伝統を受け継いで、護法護持に勤めて参ります』と抱負を語った。

久遠寺は、日蓮聖人の孫弟子にあたり六老僧日興上人の門下である宰相阿闍梨日郷上人が建武元年(1334)に開創したもので、日興上人を派祖とする富士門流の有力本山の一つとして発展した。山号に富士山と冠する通り、霊峰富士を仰ぐ景勝の地に建ち、山門と本堂と富士山が一直線に望める。山梨県の総本山身延山久遠寺と区別して富士山久遠寺とも称される。」

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小泉久遠寺13客殿


 

まず私が興味深いと思ったのは、日蓮宗本山貫首の晋山に際して、日蓮宗宗務院から辞令が交付されたということ。

日蓮宗総本山法主、大本山、本山貫首の人選は、その門流のやり方や時代性、状況等によって異なっていると聞いています。

仏教各宗派の中には、今でも総本山法主(座主・長吏)の専政体制になっていて、本山貫首や末寺住職は全て総本山法主が任命する体制になっている宗派もあります。日蓮正宗なんかはそうです。

しかし日蓮宗の場合はそうではなく、どちらかというと、各門流の連合体に近い体制になっていて、日蓮宗管長を身延山久遠寺法主が兼任する場合もあるし、兼任しない場合もある。法主専政の体制ではありません。

日蓮宗宗務院も、身延山久遠寺ではなく、大本山・池上本門寺にあります。

本山貫首も、各門流で選ぶ場合もあれば、人選が難航した場合は、宗務院で人事調整する場合もあると聞いています。

小泉久遠寺65代吉田日鋼貫首が、どういう経緯・手続きで選ばれたのかは知りませんが、こうして貫首として決まった場合は、日蓮宗宗務院が、辞令を出しているというのは、興味深く読みました。

 

小泉久遠寺(11)~小泉久遠寺・寺跡調査にご協力をお願いします

■富士山久遠寺(小泉久遠寺)11(寺跡調査にご協力を)

 

小泉久遠寺の客殿に隣接して、太鼓堂という堂宇が建っています。これは小泉久遠寺63世貫首・日隆氏の建立ということで、この中には、宗門随一の太鼓が納められていると言うことです。

ここもカギがかかって、中を見ることはできませんでした。

 

小泉久遠寺は、黒門を表門として、かつて旧塔中坊があったところを、全て境内として推定したとしても、そんなに広いという印象はないですね。

小泉久遠寺境内には、「富士宮市・歩く博物館コース」と題する、富士宮市教育委員会が建てた案内板が建っていて、そこには次のように書いてあります。

 

「富士五山(富士山麓日蓮宗五大寺)の一つに数えられる大きな寺で、広い山内と参道正面の本堂跡の礎石、南に真っ直ぐに延びた広い参道に、かつての大寺の面影を留めている。

また現在は、参道に沿って大乗坊があるだけだが、盛時には十二ヶ坊、八門が参道沿いに並んでいた」

小泉久遠寺17富士宮市


 

十二ヶ坊というと、今の大石寺の表塔中とほぼ同じと言うことになるが、大石寺旧境内、北山本門寺旧境内、西山本門寺よりも、こちらのほうが狭いと思われます。

「そんなに大きな寺院だったのかな」と思ってしまうくらいです。

 

小泉久遠寺の寺跡調査・訪問記は、最初の回に書きましたが、まだまだ途上です。

この寺院の寺跡調査に関し、皆様方のご協力をいただけたら、幸いです。

よろしくお願い申し上げます。

 

 

 

小泉久遠寺(10)~大石寺、北山本門寺等、富士門流本山と堂宇の並び方が共通している小泉久遠寺

■富士山久遠寺(小泉久遠寺)10(堂宇の並び方が共通)

 

黒門から境内の入り口までの間、かつて塔中坊があったところは、今は民家が密集しており、境内には入っていない。そのためか、小泉久遠寺の境内は、そんなに広く感じない。

 

小泉久遠寺の境内にある堂宇は、向かって左側から、庫裡、客殿、開山堂(旧本堂)というふうに並んで建っています。この並び方は、日蓮正宗大石寺、富士妙蓮寺、北山本門寺、伊豆実成寺、小泉久遠寺、讃岐本門寺に共通しています。

さらに客殿の裏手には、宝蔵が建っており、これも大石寺、西山本門寺と共通しています。

大石寺と小泉久遠寺は、蓮蔵坊紛争以来、同じ富士門流の中で対立関係にありながら、伽藍・堂宇の配置が、ほとんど同じであるというのは、なんとなく見ていて奇異に見えます。

 

境内の中央にあるのが、客殿。日蓮宗新聞社刊行「日蓮宗本山めぐり」という本によると、この客殿を「本堂」と紹介しています。

小泉久遠寺6客殿


本堂は火災で焼失しており、仮本堂はあるものの、今は客殿を、本堂として使用しているようです。中を見ようとしたのですが、内側からカギがかかっていました。

 

客殿を「本堂」と紹介しているのは、現在、小泉久遠寺が日蓮宗に所属していることが大きいと思われます。

日蓮宗寺院の伽藍・堂宇は、寺院の本尊を祀る本堂と、宗祖・日蓮像を祀る祖師堂の二堂建てるのが、本来の日蓮宗の化儀ということです。

これは総本山・身延山久遠寺、大本山・池上本門寺、小湊誕生寺、清澄寺、中山法華経寺、京都本圀寺、京都妙顕寺等、みなそうなっています。例外は富士門流の日蓮宗大本山・北山本門寺で、こちらは祖師堂(御影堂)と本堂がいっしょになっています。

小泉久遠寺の場合は、富士門流で、元来、本堂と客殿の二堂あったわけですが、本堂を焼失してしまったため、客殿が本堂になったということです。

しかし富士門流共通の堂宇の建て方からすると、小泉久遠寺の旧本堂は、日蓮像を祀る御影堂(祖師堂)だったと考えられます。そうすると、仮に旧本堂(祖師堂・御影堂)が今に残っていたとしても、小泉久遠寺の場合は、客殿が日蓮宗の「本堂」に相当するということになります。

これは、伊豆実成寺の場合も、同じです。伊豆実成寺の場合は、祖師堂と客殿の二堂あるわけですが、日蓮宗では、客殿を「本堂」と紹介しています。

 

さらに小泉久遠寺と富士門流本山との共通性を言うなら、鶴丸の紋です。

小泉久遠寺2鶴丸


これも日蓮正宗大石寺、富士妙蓮寺、西山本門寺、小泉久遠寺、伊豆実成寺、京都要法寺の他、法華宗の岡宮光長寺も共通しています。

 

さて小泉久遠寺は、日蓮宗本山という格付けになっているのですが、日蓮宗寺院に共通している日蓮の立像が見当たりません。富士門流は、北山本門寺以外は、日蓮の立像は建てていないのですが、そうするとここは、日蓮宗ながら、富士門流としての寺院のやり方を蹈襲していると言うことか。

 

 

小泉久遠寺(9)~黒門、参道、開山堂、富士山が一直線に望める小泉久遠寺

■富士山久遠寺(小泉久遠寺)9(黒門、参道、開山堂、富士山が一直線)

 

さて、小泉久遠寺の堂宇・伽藍について話を進めて、まいりたいと思います。

 

黒門から参道を歩いて境内に入り、そのまま石段を登ると、仮本堂があります。

小泉久遠寺11本堂


この仮本堂というのは、明治13(1880)に花火の災禍で、本堂が焼失したときに、富士宮市上野にある東光寺の本堂を譲り受けて建てた堂宇です。

日蓮宗新聞社発行の「日蓮宗本山めぐり」という本によると、この仮本堂は「開山堂」という名前で載っています。

東光寺というのは、ちょうど日蓮正宗大石寺のとなりにある寺で、北山本門寺の末寺です。

大石寺と北山本門寺、富士宮道路・北山インターを結ぶ国道469号線沿いで、大石寺の並びにある寺院です。

小泉久遠寺の本堂が焼失したからと言って、なぜ北山本門寺の末寺の本堂を小泉久遠寺に移したのか、理由がはっきりわかりません。

 

ただ小泉久遠寺と北山本門寺は、中古の時代から、交流があり、立場的には「反大石寺」で共通しているものがあります。

日蓮正宗大石寺9世法主・日有が死去する直前、1482(文明14)9月、大石寺で行われた血脈問答は、大石寺vs北山本門寺・小泉久遠寺・保田妙本寺の組み合わせで、行われています。

小泉久遠寺・保田妙本寺14代貫首・日我の代、小泉久遠寺の代官・日義が日我に無断で、日殿と改名して北山本門寺貫首として晋山したため、日我が怒って日殿を破門にしたということがありました。

近代でも、日蓮宗・本門宗・顕本法華宗の三派合同の後、戦後も北山本門寺と小泉久遠寺は、日蓮宗に残留したままになっているし、創価学会の折伏大進撃の時代も、小泉久遠寺・北山本門寺は、日蓮正宗への合同を最後まで拒絶している。

先代の小泉久遠寺貫首・旭日重氏は、もともと北山本門寺の門流の人で、一時的に小泉久遠寺貫首になっていたが、その後、北山本門寺に戻って、貫首に晋山している。

 

このように小泉久遠寺と北山本門寺は、古くから交流があり、その関係で、東光寺の本堂が移されたのではないかと考えられる。

 

開山堂(仮本堂)の中を見てみようとしたのでしたが、内側からカギがかかっていました。

 

さて黒門から見ると、黒門、参道、開山堂(仮本堂)、富士山が一直線になるように、建てられています。

「日蓮宗本山めぐり」という本によると、額縁から覗くように見えることから「山門の富士」と呼ばれていたそうです。

小泉久遠寺19黒門
 

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