カテゴリ: 日蓮宗(総)身延山久遠寺
#610 「日蓮本仏義」偽作の真実14・日蓮は佐渡期・身延山草庵・大坊(久遠寺)で大曼荼羅本尊と釈迦仏像を本尊として祀っていた・日蓮本仏義も戒壇の大本尊も偽作・完全崩壊
「抑宝塔の御供養の物銭一貫文白米しなじなをくり…此の趣御本尊法華経にもねんごろに申し上げ候」(文永12年・阿仏房御書・平成p792学会p1304遺文2-p1144) 「妙法蓮華経の御本尊供養候いぬ、此の曼荼羅は文字は五字七字…」(妙法曼荼羅供養事・文永10年・平成p689学会p1 ...
#141 日蓮宗総本山・身延山久遠寺の真実1・御真骨堂に日蓮灰骨が祀られ本堂には観心本尊抄に書いてある立体本尊が祀られている身延山久遠寺
日蓮宗では今でも総本山、大本山の呼称を使っており、身延山久遠寺を「日蓮宗総本山」と呼んでいる。日蓮草庵跡に、かつて日蓮草庵、1281年に日蓮が建てた大坊があった。日蓮廟所に最初は日蓮灰骨が葬られたのだが、身延山久遠寺11世行学院日朝の代に、現在、本堂、祖師堂の ...
身延山久遠寺(18)~身延山久遠寺の表玄関・身延駅としょうにん通り
■身延山久遠寺18(身延駅としょうにん通り) 身延駅とは、JR東海・身延線の駅で、山梨県南巨摩郡身延町のターミナル駅。特急「ふじかわ」を含む身延線の全列車が停車する。駅舎に接する単式ホーム1面1線と、奥に島式ホーム1面2線と2面3線の駅で、駅舎は、しょうにん通 ...
身延山久遠寺(17)~冬場はものすごい積雪になることもある身延山頂の奥の院思親閣
■身延山久遠寺17(ものすごい積雪になる思親閣) 私は、冬の2月に身延山久遠寺に行ったとき、身延山ロープウエイに乗って身延山頂の思親閣に行きました。ここは、日蓮が身延山の草庵で生活していたころ、毎日のようにここへ登山して、故郷の両親を偲び、孝養をつくした ...
身延山久遠寺(16)~今は祖廟から御真骨堂に収められている日蓮遺骨
■身延山久遠寺16(御真骨堂の日蓮遺骨) 本堂、祖師堂、報恩閣、仏殿などの堂宇の並びに、御真骨堂がある。今はここに日蓮の真骨が奉安されている。 日蓮祖廟は、西谷の地にあるが、身延山久遠寺が11世日朝の代の文明六年(1478)に、西谷の地から現在地に移転・増築さ ...
身延山久遠寺(15)~身延山久遠寺境内・山内の楠木調査3
■身延山久遠寺15(身延山久遠寺の楠木調査3) 身延山久遠寺における楠木の調査によって、身延山久遠寺にある楠木は、久遠寺祖師堂前の楠木だけであって、久遠寺の伽藍のある場所や身延山周辺には、現在でも楠木は何本も生息していないということが判明した。 ただ、徳 ...
身延山久遠寺(14)~身延山久遠寺境内・山内の楠木調査2
■身延山久遠寺14(身延山久遠寺の楠木調査2) 三門前の案内所の係員の人が渡してくれた地図をたよりに、三門前からしだれ桜の周辺、日蓮草庵跡、日蓮祖廟、千本杉…と、くまなく散策してみたが、楠木は見つからなかった。そこで、最後に案内所の係員の人が「祖師堂前」 ...
身延山久遠寺(13)~身延山久遠寺境内・山内の楠木調査1
■身延山久遠寺13(身延山久遠寺の楠木調査1) まだ季節的に温暖な秋ごろ、身延山久遠寺に「楠木」の調査に行ったことがありました。 それは私が取り組んでいる「戒壇の大本尊」関連の研究・調査課題のひとつだったわけですが、具体的にいいますと、日蓮正宗や創価学会 ...
身延山久遠寺(12)~「立正」の勅額が掲げられ日蓮祖師像を祀る棲神閣祖師堂
■身延山久遠寺12(立正の扁額と祖師堂の内陣・外陣の造り) 本堂と隣り合わせに建っているのが、棲神閣(せいしんかく)祖師堂。ここは日蓮祖師像を祀る堂宇。ここの須弥壇の扉は、普段は閉扉されていて、申し込みにより開帳が行われる。 身延山久遠寺の場合は、寺院の ...
身延山久遠寺(11)~身延山久遠寺の什宝の展示を行っている本堂下の宝物館
■身延山久遠寺11(本堂下にある身延山宝物館) 本堂の階下は「宝物館」になっていて、さまざまな身延山久遠寺の重宝類が展示されている。 かつての身延山久遠寺には、日蓮真筆の大曼荼羅本尊や遺文等の重宝をはじめ、財宝・什器など、げんぞんしていれば国宝や重要文 ...
身延山久遠寺(10)~立体本尊を祀る2500人の法要が執行できる身延山久遠寺本堂
■身延山久遠寺10(2500人の法要ができる本堂) 身延山久遠寺の本尊を祀る中心堂宇が本堂。ここの本尊は日蓮真筆大曼荼羅本尊を立体化した木像形式にしたものである。 一塔両尊四士と一般的に言われるが、中央に南無妙法蓮華経の宝塔があり、その両隣に釈迦如来像、多 ...
身延山久遠寺(9)~287段もある石でできたおそろしく急な階段・菩提梯
■身延山久遠寺9(287段もある菩提梯) 身延山久遠寺の表玄関は「総門」。バスで久遠寺に行くと、この総門をくぐって行きます。 これは28世日奠(にちでん)の代である寛文五年(1665)に建立された門で、門に掲げられている「開会関」の扁額は、36世日潮の筆によるもの。 ...
身延山久遠寺(8)~身延山西谷の日蓮草庵跡に隣接している日蓮祖廟
■身延山久遠寺8(西谷の日蓮祖廟) この草庵跡からすこし歩を進めると、日蓮の「祖廟」(そびょう)、いわゆるここが日蓮の正墓である。塔内には日蓮の死去時に建立された五輪の墓を収め、地下の龕室に日蓮の霊骨を安置しているのだという。 日蓮宗では、ここを「御廟所 ...
身延山久遠寺(7)~身延山西谷の山林の中にあった日蓮草庵跡4
■身延山久遠寺7(西谷の日蓮草庵跡4) 日蓮の説法の折りには、百人を超える参詣者で賑わったという身延山の日蓮の草庵は、1277(建治3)年に一度、修理を加えているものの、常時四十人から百人近い日蓮の門弟たちが修行研鑽する道場としては、あまりにも手狭であっただろ ...
身延山久遠寺(6)~身延山西谷の山林の中にあった日蓮草庵跡3
■身延山久遠寺6(西谷の日蓮草庵跡3) 現在、身延山久遠寺の山中に残されている日蓮草庵跡は、かなり木々が生い茂った山中にある。富士川のたもとにあるJR身延駅から身延山久遠寺の三門まではかなりの距離があるが、その三門から日蓮草庵跡まで、ちょっと歩かなければ ...
身延山久遠寺(5)~身延山西谷の山林の中にあった日蓮草庵跡2
■身延山久遠寺5(西谷の日蓮草庵跡2) 身延山久遠寺において現地調査をしていくと、さまざまなことがわかってくる。 身延山久遠寺のはじまりは、日蓮が住んだ草庵だが、日蓮が身延山中に自ら結んだ草庵は、驚くほど質素な造りだったということを、日蓮自身が遺文 ...
身延山久遠寺(4)~身延山西谷の山林の中にあった日蓮草庵跡1
■身延山久遠寺4(西谷の日蓮草庵跡1) 身延山久遠寺の山門をくぐらず、麓の山道を歩いていくと、「西谷」と言われている山林の中に、鎌倉時代の昔、日蓮が住んだ草庵跡が残っている。 まさにここが、日蓮が起居していた草庵の跡であり、久遠寺発祥の地である。 日蓮 ...
身延山久遠寺(3)~年間で約180万人以上の参拝人が登山する身延山久遠寺
■身延山久遠寺3(約180万人以上の参拝人) 身延町という町自体が、身延山久遠寺の門前町であるわけですが、特に久遠寺の総門から三門まで、約1キロにわたってつづいている門前町のことを、「身延山門前街」というふうに呼ぶそうです。 民家もけっこう密集しているので ...
身延山久遠寺(2)~身延山久遠寺の麓に広がっている古式ゆかしい門前町
■身延山久遠寺2(古式ゆかしい門前町) はじめて身延山久遠寺に寺跡調査をしようと行ったのは、今から10年以上前のことですが、わざわざ冬の2月を選んで、久遠寺を訪ねたことを憶えています。 あの当時はまだ、東京—静岡の間に、東海道線を走る特急・東海号が運行さ ...
身延山久遠寺(1)~日蓮が9ヶ年の生活を送った祖山・身延山久遠寺
■身延山久遠寺1(日蓮が9ヶ年の生活を送った祖山) 身延山久遠寺とは、山梨県身延町にある、あの日蓮宗総本山の大寺院である。 ここは、文永11年(1274年)、甲斐国波木井(はきい)郷の地頭・南部六郎実長(波木井実長)が佐渡での流刑を終えて鎌倉に戻った日蓮を招 ...