仏教宗学研究会のブログ

「仏教宗学研究会」とは会の名称。「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判・糾弾は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」が管轄。「仏教宗学研究会のブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。「仏教宗学研究会」と「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」は表裏一体の同体異名。日蓮正宗、創価学会・SGI・顕正会・正信会、さらに富士門流執着軍団…らを批判する主旨は同じ。 (背景写真は高野山真言宗総本山・高野山奥の院灯籠堂参道)

「仏教宗学研究会」とは「アンチ日蓮正宗」管理人が設立した会の名称。この会の中で、「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄。
「仏教宗学研究会のブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。富士門流執着軍団批判は「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄だが、「日蓮正宗系」以外の富士門流寺院の調査・研究は「仏教宗学研究会のブログ」の管轄。
「仏教宗学研究会」への誹謗中傷に対する反撃・糾弾は「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄。
さらに正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗」の公式サイト「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」から、カルト宗教対策、カルト宗教取締特別立法、カルト宗教拡散防止条約制定の活動部分を独立させたものが「国際カルト宗教対策委員会(Icat-Cult)」

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日蓮宗・伊豆仏現寺

伊東仏現寺(5)~伊豆流罪の大曼荼羅を追求されてブチ切れた仏現寺僧侶

■日蓮宗本山・仏現寺5(ブチ切れた仏現寺僧侶)

 

僧侶が本堂の中を指さしたので、私も本堂の中を覗いてみました。

すると中央須弥壇に向かって右側の外陣が、応接間のようになっていて、そこに大漫荼羅が祀られているのが見えました。

 

「それでは、中に入って拝観させていただけませんか」

 

僧侶「今はダメです」

 

「どうしてですか」

 

僧侶「今、来客中だから…」

 

来客中?と思って、再び本堂の中を覗いてみると、先程の大漫荼羅の前でテーブルをはさんで、僧侶と信者らしき人が話しているのが見えました。

ひょっとして、今、座敷で信者の人と話している僧侶が貫首か?

 

「残念ですねえ。では何かの法要の折りに参詣させて頂くとしましょう。その時に拝観させていただけませんか」

 

僧侶「…」

 

「こちらのお寺の年中行事は、どんな日程なのでしょうか」

 

こういうやりとりがつづいたのでしたが、「伊豆流罪の大漫荼羅というのは、おかしい」という話になったところから、この僧侶の表情がだんだん険しくなってきました。そして「拝観させて欲しい」「いやだめだ」の話しのあたりから、次第にキレそうになり、そしてついにこの僧侶、ブチ切れてしまいました。その表情たるや、能役者がかぶる「しかみの面」のような表情でした。

しかみの面1

 

僧侶「ウチは年中行事はやっていません。法要もやっていません」

 

「えーっ、そんなはずはないでしょう」

 

僧侶「やっていません。ですから、大漫荼羅はお見せできません」

 

こんな感じです。さあー、帰った帰った、という感じ。そうこうしているうちに、私は本堂入り口の階段を踏み外しそうになり、危うく転げ落ちるところでした。

 

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伊東仏現寺(4)~伊豆流罪図顕の曼荼羅が祀られていると言った仏現寺僧侶2

■日蓮宗本山・仏現寺4(伊豆流罪図顕の曼荼羅2)

 

日蓮宗本山・伊東仏現寺の僧侶が、「仏現寺の本尊は、日蓮・伊豆流罪のときに図顕した大漫荼羅である」と言ったのに驚いた私は、その僧侶に重ねて質問しました。

 

「伊豆流罪の時に図顕なされた大漫荼羅ですか?。それは初耳ですね。日蓮聖人の大漫荼羅本尊の図顕は、佐渡流罪以降ですよ。立正安国会の日蓮大聖人御本尊集に載っている大漫荼羅は、全て佐渡流罪以降ですよ。それなのに、どうしてこちらのお寺に伊豆流罪の時に図顕した大漫荼羅が存在しているのですか」

仏現寺3

 

私の言葉に、僧侶はハッとした表情を浮かべましたが、こう言い張ってきました。

 

僧侶「いや、日蓮大聖人様は、伊豆流罪の時に大漫荼羅を顕しておられるのです。その大漫荼羅がここの御本尊なのです」

 

こんな感じで、あくまでも日蓮が伊豆流罪の時に大漫荼羅を図顕したと言い張る僧侶。それはおかしい、と言う私と、本堂の玄関先で、ちょっとした問答になりました。

 

「では、その大漫荼羅の図顕年月日はいつになっているのですか」

 

僧侶「年月日はわからない」

 

「年月日がわからないというのは、おかしいですね。あなたはこの仏現寺さんの御僧侶でいらっしゃるわけでしょう。御自分のお寺にお祀りしている大漫荼羅本尊が顕された年月日をご存じないというのは、どう考えてもおかしいですよ」

 

僧侶「そう言われても、わからない」

 

「ならば、せっかくこの仏現寺さんまで来たわけですから、その大漫荼羅御本尊を拝観させて下さい。このお寺の本堂に祀られているのですよね」

 

僧侶「そうです。あそこに奉掲しております」

 

と言って、僧侶が本堂の中を指さしたので、私も本堂の中を覗いてみました。

すると中央須弥壇に向かって右側の外陣が、応接間のようになっていて、そこに大漫荼羅が祀られているのが見えました。

 

 

 

伊東仏現寺(3)~伊豆流罪図顕の曼荼羅が祀られていると言った仏現寺僧侶

■日蓮宗本山・仏現寺3(伊豆流罪図顕の曼荼羅)

 

私は、伊東仏現寺本堂入り口付近で慌ただしく作業をしていた中年僧侶に声をかけて、いろいろと質問をしてみました。その僧侶は、「何だ、作業中に」という感じで、めんどくさそうな顔つきで、作業の途中、手を休めて、私の質問に答え始めました。

仏現寺3

 

私としてはまず、この寺院の歴史、縁起について詳しく聞こうとしたのでしたが、その僧侶の答えは、日蓮宗新聞社発行の「日蓮宗本山めぐり」という本やJTBのガイドブックにも載っているような内容のものでした。

 

私は、次いでこの寺に祀られている本尊について質問。というのは、日蓮宗新聞社発行の「日蓮宗本山めぐり」という本を開いても、この寺の本堂には何が祀られているのか、はっきりとは書いてないわけです。

日蓮が、伊豆流罪の時に海中出現の釈迦立像を、生涯随身したというのは有名ですが、この仏現寺に、日蓮の生涯随身仏が什宝になっているとは書いてあるのですが、本尊かどうかについいては書いてありません。そこで、この僧侶に質問。

 

「こちらの本堂の御本尊様は、なにがお祀りされているのですか」

 

私としては、その日蓮の生涯随身仏なのか、日蓮木像なのか、あるいは大漫荼羅なのか、そこを聞きたかったわけです。

するとその僧侶の答えは

 

僧侶「大漫荼羅ですよ」

 

大漫荼羅とは初耳です。そこでつづけて私も質問。

 

「その大漫荼羅は、日蓮聖人がいつ図顕なされた大漫荼羅なのですか」

 

この質問に対して、僧侶の答えは、驚くべきものでした。

 

僧侶「伊豆流罪の時に御図顕なされた大漫荼羅です」

 

この返答には、驚きましたね。日蓮の大漫荼羅図顕は、佐渡流罪以降のはずで、それ以前には、日蓮の真筆本尊は存在していない。

立正安国会発行の「日蓮大聖人御真蹟御本尊集」に載っている、日蓮真筆本尊の最古のものは、文永八年十月九日図顕の楊子本尊である。

私も「そんなおかしな話しがあるもんか」と思ったわけです。

 

 

伊東仏現寺(2)~日蓮宗本山なのに非常に資料が少ない伊東仏現寺

■日蓮宗本山・仏現寺2(本山なのに非常に資料が少ない)

 

日蓮宗霊跡本山・仏現寺については、第一回目の訪問の後、インターネットや日蓮宗関連の本や資料を色々と調べましたが、詳しい情報がなかなか出てきませんでした。

唯一、めぼしい情報だな、と思ったのは、日蓮宗全国本山会が企画・監修し、日蓮宗新聞社発行の「日蓮宗本山めぐり」という本です。この本の中に、仏現寺が日蓮宗本山のひとつとして紹介されているのですが、ここでも日蓮と仏現寺の関わりの歴史・縁起と、日蓮が生涯随身したという随身仏の由来について述べているだけ。

それどころか、仏現寺の貫首が「10世・板垣日祐」となっていること。七百年以上歴史がある本山寺院のはずなのに、貫首が10世とは、どういうことか? 日蓮以降から現代に至る歴史については、一言も触れていません。

さらにこの仏現寺貫首・板垣日祐氏は日蓮宗全国本山会の副会長、「本山めぐり」出版編集委員にも名を連ねているほどの人物。

「それなのに、なんでこんなにも情報が少ないのか」と不思議に思ってしまうほどです。

年中行事を見ると、216日の毘沙門天祭り、512日の伊豆法難千部会、816日の霊宝風入れ、1013日の御会式となっていましたが、行事のある時の前に、もう一度下調べを、と思い、行事のない日に、二度目の訪問をしました。今から2年くらい前のことです。

仏現寺7

 

二回目の訪問は、JR伊東駅からバスに乗り、バス停から歩いて行きました。

行ってみると、山門が新装になっていて「伊豆法難七百五十年法要」との看板が立てられていました。日蓮の伊豆法難とは1261(弘長元年)ですから、750年というと2010年になりますが、どういうわけかこの看板が出ていました。

境内の中は広々とはしていますが、木々や中庭、本堂は実に手入れや清掃が行き届いているように見えました。

 

さて、本堂の出入り口の所で、一人の中年僧侶と、一人の中年女性が、何やら慌ただしく何かの準備をしている様子が見えました。

私としては、前回の訪問の時に誰とも会うことが出来なかったため、ここは僧侶に話を聞く絶好のチャンスととらえ、思い切って、そこにいた中年僧侶に声をかけてみた。

 

その僧侶は、年齢的に私よりも年上の僧侶には見えましたが、ここの寺の貫首かどうかは、わかりませんでした。まがりなりにも本山の貫首が、あっちこっちかけずり回って、何かの支度や準備をしているなどというのは、僧侶社会の常識からして、とても考えにくいことです。

もっともその寺に住職一人しかいない、というのであれば別ですが、この寺は日蓮宗の霊跡本山であり、住職一人の寺とは考えられない。

おそらく、本山在勤の僧侶か、行事があるから他の寺から手伝いに来ていた僧侶ではないかと思われます。

とにもかくにも、急遽、この僧侶に単独取材することに成功しました。

 

伊東仏現寺(1)~日蓮・伊豆流罪の謫居跡と伝承する伊東・仏現寺

■日蓮宗本山・仏現寺1(伊豆流罪の謫居跡)

 

仏現寺という寺は、日蓮宗の霊跡本山であり、正式名は海光山仏現寺という。何が日蓮霊跡かというと、ここは日蓮・伊豆流罪のときの日蓮謫居(たっきょ)の地ということになっている。

謫居(たっきょ)とは、デジタル大辞泉によれば

「罪によって、自宅に引きこもったり、遠くの土地へ流されたりしていること。また、その地の住居。」

となっている。

つまり、日蓮が伊豆流罪の時、この仏現寺のある地に住んでいた、ということのようである。

今まで、この仏現寺には二度、寺跡調査に行っておりまして、そのときのことを、まとめて書きたいと思います。

仏現寺7

 

仏現寺は、場所で言うと、JR伊東駅からは、かなり離れた所にあり、駅からはバスなどの交通機関を使わないと、とても歩いては行けない距離にあります。地形的には、伊東市内の小高い丘の上にあるというえ感じの寺です。

冒頭に書いたように、この仏現寺は日蓮・伊豆流罪ゆかりの地ということであるが、一般への知名度はあまり高くないのではないだろうか。

はじめて私が仏現寺に行ったのは、今から15年以上も前のことです。

仏現寺という寺は、今でもインターネット等で検索しても、なかなか正確で詳しい情報が出てこない寺のひとつであり、ましてや今から15年以上前というと、ネットはまだなかった時代であり(携帯電話はありましたが)、仏現寺に関する本も皆無。

私もこの寺の存在を知ったのは、JTBの観光ガイドブックをいろいろと紐解いていたときに、はじめて知ったくらいでした。しかしJTBの観光ガイドブックでは、この寺の歴史とか、年中行事がいつ行われているのか、ということは、さっぱりわからないし、ましてや住職の名前もわからない。

そういうわけで、「とりあえず行ってみよう」と思い立って行ったのが、最初の訪問でした。このときは車で行ったのですが、寺を見つけるのに四苦八苦した記憶があります。あの当時は、車にナビも付いていませんでしたから。

地図とにらめっこしながら、ようやく探し出して、たどり着いたという感じでした。

 

さてたどり着いたのはいいのですが、この寺のどこが庫裡の入り口で、どこが受付なのか、さっぱりわからない。

本堂らしき堂宇の扉は固く閉められていて、境内は全く人気がない。

「しょうがないな」と思って、JTB観光ガイドブックに載っていた仏現寺の電話番号に、携帯電話から電話をしてみたのですが、誰も出てこない。

「どうなってんだ、ここは。なかなかガードの堅い寺だな」

という印象を強く持った記憶があります。

 

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