一般社団法人 仏教宗学研究会・公式ブログ

「一般社団法人 仏教宗学研究会」とは任意団体として2005年から活動している会の名称。2018年5月に一般社団法人登記。当ブログ名を「仏教宗学研究会のブログ」から「一般社団法人 仏教宗学研究会・公式ブログ」に改名。 「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判・糾弾は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」が管轄。「一般社団法人 仏教宗学研究会・公式ブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。「仏教宗学研究会」と「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」は表裏一体の同体異名。日蓮正宗、創価学会・SGI・顕正会・正信会、さらに富士門流執着軍団…らを批判する主旨は同じ。 (背景写真は高野山真言宗総本山・高野山奥の院灯籠堂参道)

Category: 法華宗本門流(大)岡宮光長寺

■法華宗本門流大本山・光長寺10(秘蔵抄は後世の偽書)

 

日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨の著書「隠れたる左京日教師」で紹介している、岡宮・光長寺の学頭・大林日有氏から得たとする「本因妙抄、百六箇抄、本尊七箇相伝、産湯相承の合本」である「秘蔵抄」だが、これは本是院日叶(左京阿闍梨日教)が相伝を受けた文献ではなく、後世の偽書である。理由は以下の証拠による。

 

1京都・要法寺貫首・広蔵院日辰が『二論議』という著書の中で述べている「御正筆の血脈書を拝せざる間は謀実定め難し」(『二論議』5巻・日蓮宗宗学全書3p370)との矛盾

 

「秘蔵抄」と称している「本因妙抄、百六箇抄、本尊七箇相伝、産湯相承の合本」の奥書の記述は、明らかに広蔵院日辰が『二論議』で述べている見解と矛盾している。

もし本是院日叶が出雲の師匠・日耀から「秘蔵抄」を相伝していたとしたら、日辰よりはるか上代に「本因妙抄、百六箇抄、本尊七箇相伝、産湯相承」が日尊門流に存在していたことになり、要法寺貫首がこれを知らないはずがない。よって日辰が「御正筆の血脈書を拝せざる間は謀実定め難し」などと書くはずがない。この日辰の『二論議』で述べている見解は、本因妙抄、百六箇抄が明らかに他門流から日尊門流に流入してきた文書であることを物語っている。

 

2 同じく要法寺側の史料である「日宗年表」によると、1483(文明15)510日、左京阿闍梨日教(日叶)が、調御寺・日乗に宗義相伝書を授与したときの名前を、改名前の本是院日叶ではなく、左京阿闍梨日教としている。

 

1482(文明14)年の日有死去後、著書や文献においては、「左京阿闍梨日教」と名のっており、「本是院日叶」の名前は使っていない。したがって「秘蔵抄」の奥書に「本是院日叶」の名前が使われているのは、大きな不審点である。

「本是院日叶」とは、左京日教が日尊門流にいたときからの名前だが、日蓮正宗大石寺9世法主日有の門下に帰参して後は「左京阿闍梨日教」と改名している。しかし改名後も、京都・鳥辺山に碑を建てたときも「本是院日叶」の名前を使っているが、これは日教が元々は日尊門流出身であるから、京都では「本是院日叶」の名前をそのまま使っていたと思われる。

しかし一旦、改名した以上、対外的には「左京阿闍梨日教」と名のることが本筋であり、したがって「秘蔵抄」の奥書に「本是院日叶」の名前が使われているのは、どう考えても不審なのである。

 

3 「秘蔵抄」の奥書における「文明十七年巳十月十九日 八十六歳日乗在判」と「文明十五年卯五月十五日 日叶在判」の記述がアベコベになっている。

 

4 本是院日叶(左京阿闍梨日教)自身の著書に、この「本因妙抄、百六箇抄、本尊七箇相伝、産湯相承の合本」たる「秘蔵抄」は全く出てきていない。

 

5 堀日亨自身も、合本(秘蔵抄)の写本について、「筆者不明」であるとし、「原本は日叶師のものなりしや」と疑問符をつけて書いており、不審を呈している。

59世日亨2

 

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■法華宗本門流大本山・光長寺9(木くず・秘蔵抄は存在せず2)

 

私としては、沼津市ないしは沼津市教育委員会のほうで、光長寺の宝物等についてかなり詳しく学術調査をしているわけですから、直接、沼津市教育委員会に問い合わせました。

 

私は、沼津市教育委員会の文化財担当部署の担当者A氏に対して、岡宮・光長寺の宝蔵の中に、大石寺の「戒壇大本尊・彫刻の木くず」なるものや、大石寺僧・左京阿闍梨日教が出雲国の日尊門流寺院・安養寺から相伝したという「秘蔵抄」の写本が存在しているのかどうかを問い合わせました。

 

沼津市教育委員会の担当者A氏の話によれば、光長寺に蔵されている文化財の調査は行っており、古文書、曼荼羅をはじめとするその他の宝物について、国の文化財、静岡県の文化財、沼津市の文化財の指定を行っていること。

当然の如く、本物かニセモノかの鑑別も行っていて、ニセモノや贋作を文化財に指定するということはあり得ないこと。

そこで、「戒壇大本尊・彫刻の木くず」なるものや「秘蔵抄」の写本が、岡宮・光長寺宝蔵の中にあるかどうか、沼津市教育委員会で宝蔵を調査した時の資料を調べるので、1日だけ時間が欲しい、ということでした。

 

翌日、約束通り、沼津市教育委員会の担当者A氏から連絡が入って、正式な回答がありました。

その結果は、「戒壇の大本尊・彫刻の木くず」なるものや「秘蔵抄」の写本は、光長寺宝蔵の宝物の中には確認できない。国、県、市指定の文化財の中にも、そのようなものはない、ということでした。

つまり、沼津市教育委員会で光長寺宝蔵の中の宝物を調査した時に、「戒壇の大本尊・彫刻の木くず」や「秘蔵抄」の写本というものは、なかったということです。

岡宮・光長寺2・御宝蔵1

 

それから、宝物資料として、岡宮・光長寺が出版した正式文献としての冊子「日蓮大聖人の御伝教」「宗祖日蓮大聖人七百遠忌記念」「御法門御聞書」が三冊あるが、いずれの冊子の中にも、光長寺の宝物として、「戒壇の大本尊」の木くずや「秘蔵抄」の写本の記載はないとのこと。

つまり沼津市教育委員会に出した宝物に関する光長寺としての正式見解としても、「戒壇の大本尊」の木くずや「秘蔵抄」の写本があるという記載はないとのこと。

つまり岡宮・光長寺としても、光長寺の正式見解として「戒壇の大本尊」の木くずや「秘蔵抄」の写本があるとは言っていない、ということです。

沼津市教育委員会の担当者A氏が云く「こちらで確認できないものが、あると言われても、困りますねえ」とのこと。いずれにせよ、この調査により、光長寺の宝蔵には、「戒壇の大本尊」の木くずや「秘蔵抄」の写本も存在しないことが、はっきりしました。

 

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■法華宗本門流大本山・光長寺8(木くず・秘蔵抄は存在せず)

 

大石寺の「戒壇大本尊・彫刻の木くず」なるものや「秘蔵抄」という古文書が、本当に光長寺宝蔵の中に格蔵されているのか。まず確認する手段としては、光長寺に電話して僧侶に聞いたわけですが、その回答は「そういうものは、聞いたことがない」というものでした。

明治時代、日蓮正宗大石寺52世法主・鈴木日霑が「伝説」と称して言っている「大石寺は『戒壇の大本尊』を格蔵しているが、板本尊の墨で書いた文字を削り取ったので、宗祖日蓮の法魂は木屑のある岡宮・光長寺にあることになる。大石寺にあるのは、蝉(せみ)の蛻(ぬけがら)だけみたいなものだ」という話しについても、「そんな話しは聞いたことがない」「今の光長寺は、そういうことは言っていません」とのこと。

光長寺20本堂

 

光長寺の僧侶の回答は、かくなるものでしたが、「そういうものは、聞いたことがない」というのは、「本当は存在しているのに、その僧侶が知らない」という解釈も成り立たないわけではない。

そこで光長寺に行って、しかるべき役僧に質問してみたいと思ったわけですが、行って見ると塔中坊から僧侶があわただしく出てきて、車に乗ってどこかに行ったり、あるいは車に乗った僧侶が境内にすべり込んできて、車からあたふたと降りて、あわただしく塔中坊に駆け込んでいったり…。

あるいは塔中を歩いている僧侶に私があいさつすると、「どーも」とは言うのですが、鞄を片手にあたふたと急ぎ足で境内のどこかに消えていった僧侶もいました。

私の顔が見慣れない顔のせいなのか、どこか僧侶のほうが避けているように見えました。外で見かけた僧侶は一見して、年寄りの僧侶ではなく、若手の僧侶に見えましたが。

 

私としては、何とかして光長寺の僧侶の話を面談にて聞こうと思い、庫裡・方丈に行き、方丈にあった受付の窓口らしき所にあったインターホンを鳴らしてみたのですが、誰も出てきません。

何度、インターホンを鳴らしても全く応答なしでした。

境内を僧侶が歩いている姿を見かけるので、方丈に誰もいないはずがないと思うのですが。どこかに防犯カメラでも設置されていて、見知らぬ顔の来訪者だと、出てこないのかなと勘ぐりたくもなります。

 

そこで私としては、別の方法をとることにしました。というのは、光長寺宝蔵の前には、沼津市教育委員会が建てた、下記の立て看板が立てられています。

 

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■法華宗本門流大本山・光長寺7(木くず・秘蔵抄の調査2)

 

「秘蔵抄」については、すでにmixi「アンチ日蓮正宗」コミュニティの

「『百六箇抄』(具騰本種正法実義本迹勝劣正伝)なる相伝書は日蓮真筆ではない。後世の石寺法主・9世日有の偽作だ」のトピック・検証39・検証40にて、先行して書いています。

「『百六箇抄』(具騰本種正法実義本迹勝劣正伝)なる相伝書は日蓮真筆ではない。後世の石寺法主・9世日有の偽作だ」

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=61970478&comm_id=406970

 

「本因妙抄、百六箇抄、本尊七箇相伝、産湯相承の合本」の「秘蔵抄」とか言っても、何の事やら、わからない方もいらっしゃるかもしれませんので、もう一度、概略を書いておこうと思います。

「本因妙抄、百六箇抄、本尊七箇相伝、産湯相承の合本」の「秘蔵抄」とは、日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨が著書「隠れたる左京日教師」の中で述べているもので、静岡県沼津市の岡宮・光長寺の学頭・大林日有氏から左京阿闍梨日教の前名・本是院日叶の史料を得たことを明かして、次のように書いている。

 

「岡宮にて得たる日叶師の史料とは、本因妙抄、百六箇抄、本尊七箇相伝、産湯相承の合本の奥書なり。この写本は筆者不明なりといえども、最奥に寂光寺(顕本法華宗)の貫首なる通義日鑑の直筆の記文あれば、ほぼその時代を得。また日鑑はこれを隣地の要山より得しものなるべし。

その奥書に云く

本云本是院日叶之(原本は日叶師のものなりしや)

本云、…以前、此の秘蔵抄を先師日耀より相伝有りと雖も当(雲州)乱馬来本堂院坊破壊畢ぬ。然る間本尊聖教皆々紛失…

文明十一年八月二十八日 日叶在判

唯我与我の大事、七面七重の大事並びに産湯の大事等に付き、相承云之り在り。然るに選略の分なり。但し去る文明九年、堺の乱に依り、諸聖教等を淡州岩屋に運び、而に彼の在所焼失、彼の所に於いて焼き畢ぬ。又、先年、有る人の方より七面七重の相伝を畢ぬ。此の本は広く悉く也と雖も、不審多多也。…然る処に本是院日叶上人より送り給うて、相伝の恩備に預かり畢ぬ。…

文明十七年巳十月十九日   八十六歳日乗在判

本云 調御寺日乗上人に授与し奉る

文明十五年卯五月十五日   日叶在判」

(日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨の著書「隠れたる左京日教師」p5860)

59世日亨2

 

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■法華宗本門流大本山・光長寺6(木くず・秘蔵抄の調査1)

 

光長寺の寺跡調査における重要なものの第二は、「戒壇の大本尊の木くず」と左京阿闍梨日教が出雲の師匠・日耀(日尊門流)から相伝したとされる「本因妙抄、百六箇抄、本尊七箇相伝、産湯相承の合本」の「秘蔵抄」というわれる文書の所在です。

 

まずは、大石寺の「戒壇の大本尊の木くず」についてですが、これは「日蓮正宗大石寺の『本門戒壇の大御本尊』なる板本尊は日蓮真筆ではない。後世の偽作だ」PART1の検証71にてすでに書いています。

大石寺の「戒壇の大本尊」の木くずとか言っても、何の事やら、わからない方もいらっしゃるかもしれませんので、もう一度、概略を書いておこうと思います。

 

明治時代、日蓮正宗大石寺52世法主・鈴木日霑と北山本門寺34代貫首・玉野日志の「霑志問答」で「戒壇の大本尊」偽作を玉野日志からさんざんに追及された大石寺52世鈴木日霑が、こんなことを北山本門寺への公式回答として言っている。

 

「旧く伝聞す、岡の宮、光長寺に戒壇の本尊の刻屑を蔵し、彼の徒常に誇り言ふ、“宗祖曰く、日蓮が魂を墨に染め流すと。大石寺に戒壇の本尊を蔵すといえども、法魂は我にあり、彼は蝉蛻のみ”と。此の言、伝説にして未だ其の実を正さざれば微するに足らざれども取る所有るが如し」(日蓮正宗59世法主堀日亨編纂『富士宗学要集』第7巻問答部「両山問答」p102)

――――古くから伝聞するところによれば、静岡県沼津市岡宮の光長寺には、「本門戒壇の大御本尊」を、光長寺の開祖・日法が彫刻した時の木屑を格蔵していて、光長寺の僧俗は常に誇らしげに言うには『宗祖日蓮は遺文(御書)の中に“日蓮が魂を墨に染め流す”と言っておられるが、それから言うと、大石寺は「本門戒壇の大御本尊」を格蔵しているが、板本尊の墨で書いた文字を削り取ったので、宗祖日蓮の法魂は木屑のある岡宮・光長寺にあることになる。大石寺にあるのは、蝉(せみ)の蛻(ぬけがら)だけみたいなものだ』。これは伝説で、真偽を確認していないので、取るに足らない話しかもしれないが、いくらか見るところのある話しなのではないか。---------

52世日霑

 

鈴木日霑は「これは伝説であり、真偽を確かめていない」と言っているが、代が下って大石寺66・細井日達になると、これが断定的な証拠となってしまっている。

 

「日法上人の系流(法華宗・光長寺)においては、昔から、大石寺の板御本尊は日法上人が彫刻をしてその墨を彫り取った、大聖人の御魂はその墨にあるから、すでに御本尊には魂はない、と悪口をいっているというが、その魂の有無は別問題として、日法上人の彫刻は認めているところである」(細井日達の著書『悪書板本尊偽作論を粉砕す』より)

 

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■法華宗本門流大本山・光長寺5(火災後に植えられた楠木)

 

光長寺の楠が、いつからここに生育しているのか、ということが問題になってくる、というのは。具体的には、どういうことなのか。

つまり、光長寺の楠木が鎌倉時代から生育している巨木なら、少しは関連があるのかもしれないが、そうではないのである。

光長寺の歴史については、法華宗本門流ウエブサイトや光長寺ウエブサイトには、詳しく載っていないのですが、これが何と沼津市公式ウエブサイトに載っている。

「沼津市ウエブサイト・沼津市>市政情報>沼津市の文化財>沼津の寺院>光長寺」

http://www.city.numazu.shizuoka.jp/shisei/profile/bunkazai/jiinn/kouchou.htm

 

「本堂は延慶4年(1311)日春の時に建立され、その後いくたびかの修理を経て大伽藍となったが、慶長年間(15961615)に火災にあい堂宇は焼失してしまった。その後、江戸時代を通して再建が続けられたが、明治23年に再び火災にあい、山門と本堂を残したのみで、他のほとんどが焼失してしまった。この本堂は茅葺・入母屋造り、柱はすべて棒丸柱で一部の柱には漆が塗られ、天井の一部は格天井で彩色が施されていた。外観の素朴さの中に荘重さがみられ、桃山様式の影響を受けたもので、木造建築としては市内最古の建造物の一つだったが、昭和38年に解体され、昭和40年に現在の鉄筋コンクリート造りの本堂となった。」

「光長寺には、長い歴史の中で多数の文化財が所蔵され、寺宝の多くは火災で失われてしまったが、今なお貴重な文化財を所蔵している。」

光長寺30

 

以上のことが書いてあります。つまり沼津市の公式ウエブサイトによると、江戸時代の慶長年間(15961615)に火災にあい、本堂をはじめ光長寺の堂宇がことごとく焼失している。

そしてさらに1890(明治23)年には、再び火災に遇い、山門と本堂を残したのみで、他はことごとく焼失してしまったという。したがって岡宮・光長寺の楠木も、少なくとも江戸時代の大火災以降、植樹された楠木であることが明らかである、ということである。

よって光長寺の楠木は、大石寺の「戒壇の大本尊」「最初仏」なるものとは全くの無関係ということになる。

光長寺3楠



このことは「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」の「戒壇大本尊は後世の偽作だ(26)~小泉久遠寺・岡宮光長寺の楠木は江戸・明治の大火以降に植樹されたことが明白」の他、mixi「アンチ日蓮正宗」コミュニティの「日蓮正宗大石寺の『本門戒壇の大御本尊』なる板本尊は日蓮真筆ではない。後世の偽作だ」PART1の検証26に書きました。

「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/

「大石寺の『戒壇大本尊』は後世の偽作だ」

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_161867.html

「戒壇大本尊は後世の偽作だ(26)~小泉久遠寺・岡宮光長寺の楠木は江戸・明治の大火以降に植樹されたことが明白」

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/3665093.html

「日蓮正宗大石寺の『本門戒壇の大御本尊』なる板本尊は日蓮真筆ではない。後世の偽作だ」

PART1(検証185)

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=66503912&comm_id=406970

 

 (以下、次回)

 

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■法華宗本門流大本山・光長寺4(巨大な楠木の調査)

 

光長寺の寺跡調査で、私が大きな関心を寄せた調査が何点かあり、1・光長寺の楠木、2・大石寺の「戒壇大本尊」の木くずの真偽、3・「秘蔵抄」なる古文書の真偽の三点です。私としては、法華宗本門流の本尊・教義云々よりも、こちらのほうへの関心が高い。

 

その第一が、仁王門前の「楠木」の調査です。

光長寺26楠


日蓮宗、法華宗、富士門流から日蓮正宗の本山・寺院には、寺伝として「日法彫刻」が伝承される日蓮祖師像・御影像がいくつもあります。

日法彫刻が伝承されている主な日蓮祖師像を挙げても、鎌倉・妙本寺、片瀬・龍口寺、伊豆・本立寺、北山本門寺、保田妙本寺の日蓮祖師像があり、日蓮正宗においても、大石寺の「戒壇の大本尊」は日法彫刻であると自称しているし、最初仏なる名前の日蓮御影像も、日法彫刻であると自称している。

がしかし、学術的見地から千葉大学大学院教授・佐藤博信氏は著書「中世東国政治史論」の中で

「そもそも日蓮の在世中の御影像の造立はありえず、また日法説もごく一般論の当てはめにすぎない。後述の池上本門寺の御影像も、台座銘発見以前はやはり日法作説であったことを想起すべきである」(p423)

と書いて、日蓮在世中の御影像造立はあり得ない、として日法彫刻説そのものを否定している。

又、日蓮宗の僧侶も、佐藤博信氏の見解と同様に、「日蓮在世中の御影像造立はあり得ない」と、日法彫刻説を否定している。

池上本門寺の祖師像(説法像)は、かつて池上本門寺の日蓮祖師像も日法彫刻と言われていたが、学術調査の結果、台座銘の発見により日蓮七回忌の1288(正応元年)68日に造立されたものと判明している。

よって学術的裏付けのない日法彫刻を伝承する日蓮祖師像は、後世の偽作と言うことになるが、その真偽検証は別の機会に譲るとして、ここはその日法彫刻説と関連が深い、光長寺・仁王門前の楠木の話を進めたい。

 

楠木というのは、大石寺の「戒壇の大本尊」や「最初仏」が楠木の彫刻を自称しており、私もずいぶん、楠木について調査しました。それらの詳細は、「アンチ日蓮正宗」の「日蓮正宗大石寺の『本門戒壇の大御本尊』なる板本尊は日蓮真筆ではない。後世の偽作だ」PART1に載せています。

「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/

「大石寺の『戒壇大本尊』は後世の偽作だ」

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_161867.html

「戒壇大本尊は後世の偽作だ(26)~小泉久遠寺・岡宮光長寺の楠木は江戸・明治の大火以降に植樹されたことが明白」

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/3665093.html

「日蓮正宗大石寺の『本門戒壇の大御本尊』なる板本尊は日蓮真筆ではない。後世の偽作だ」PART1

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=66503912&comm_id=406970

 

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■法華宗本門流大本山・光長寺3(富士門流との共通点)

 

岡宮・光長寺の境内を歩いていて、非常に目立つのが、鶴丸の紋。これは日蓮正宗や富士門流の本山、日蓮本宗等で使われている鶴丸と全くといっていいほど同じものです。

塔中の門前や本堂、蓮鉢など、けっこうあっちこっちに鶴丸のマークがあるので、一瞬、日蓮正宗や富士門流の寺院にいるような錯覚になってしまいます。

光長寺18本堂


これについては、法華宗のご信者の方から「鶴丸の紋は、勝劣派の紋です」という指摘を受けました。鶴丸の紋については、いくつか説があるのですが、勝劣派の紋だという説は、初耳でした。

 

岡宮・光長寺は法華宗本門流の大本山ですが、境内をいろいろ見学して歩いていると、日蓮正宗や富士門流の本山に実によく似ていると思います。塔中が全て坊号になっていることや、境内の各所に鶴丸が見られるというだけではありません。

光長寺の墓苑に行ってみると、中央に三師塔が建っており、これも大石寺との共通点です。ただし大石寺の言う三師塔の三師とは、日蓮、日興、日目ですが、光長寺の三師とは、日蓮と、同時二祖の日法、日春ということでしょうか。

御廟所には、日法の正墓が、ひっそりと建てられています。墓苑の三師塔は立派ですが、同時二祖の日法の正墓は、なんとなく、みずぼらしく見えました。

 

本堂前には、毎月13日に御講が営まれている旨の立て札が出ていました。毎月13日の御講というのも、日蓮正宗との共通点です。今は、日蓮正宗では毎月13日に限らず、第二日曜日とかに御講を行っているようですが、日蓮正宗と創価学会の和合路線時代の1990年までは、日蓮正宗のどの末寺も、毎月13日に御講を営んでいました。

日蓮正宗に言わせると、「毎月13日の御講は、創価学会の願い出によるもの」ということだが、1991年の創価学会破門以降は、これにとらわれずに、月1回以上の御講を営んでいるのだとか。

しかし、今でも毎月13日に御講を営んでいる日蓮正宗末寺は、けっこうたくさんあります。

 

こういうふうに、岡宮・光長寺と日蓮正宗・富士門流との共通点が何点かあると、こういうものが生まれた元は、何だったのかな、と思うわけですが、そのひとつは、江戸時代、大石寺をはじめとする富士門流と、岡宮・光長寺らの日隆門流が、今の千葉県大網白里町にあった細草檀林を共同経営していたことが挙げられるのではないかと思います。

これだけが原因ではないと思いますが、少なくとも細草檀林では、富士門流と日隆門流の学僧が、机を並べて修学していたわけですから、共通点が生まれる素地はあったと思われます。

 

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■法華宗本門流大本山・光長寺2(光長寺の塔中坊名)

 

法華宗本門流大本山・岡宮・光長寺は、JR東海道線・沼津駅が最寄り駅になるのですが、沼津駅からは、かなり離れた所にあります。

沼津駅前から、光長寺方面にバスが運行されているのですが、本数があまりにも少なく、不便であるため、車で行った方がいいと思います。私はレンタカーで行ったときが一度、駅前からタクシーで行ったときもありました。ここに行く交通の便は、あまりいいとは言えないですねえ。

 

光長寺の門前には、境内図があり、おおよその堂宇・伽藍がわかるようになっています。

光長寺1


光長寺の伽藍・堂宇は

□昭和大本堂 □客殿 □御宝蔵 □寺務所 □日蓮の銅像 □方丈 □新書院

□仁王門 □霊園 □御廟所 □三光堂 □鐘楼堂

塔中坊は

□東之坊 □辻之坊 □山本坊 □西之坊 □南之坊

の五坊があります。

 

御廟所には、三師塔の他、日法の正墓があります。

 

塔中の名前は全て「○○坊」という坊号になっており、これは身延山久遠寺、日蓮正宗大石寺、富士妙蓮寺、北山本門寺、西山本門寺、小泉久遠寺、讃岐本門寺等と同じ。

これが京都に行くと、京都・要法寺、妙顕寺、本圀寺、妙伝寺、本能寺、頂妙寺、本満寺、本善寺、妙覚寺、本法寺、妙蓮寺、本隆寺等の本山は全て塔頭が「○○院」の院号になっています。

これは、日蓮宗、日蓮本宗(富士門流)、法華宗本門流、法華宗真門流、顕本法華宗、本門法華宗、法華宗陣門流の宗派の区別はなく、共通して全て「○○院」の院号です。

否、日蓮宗、法華宗関連のみならず、比叡山延暦寺(院号・寺号の混合)、東大寺、園城寺、法隆寺(院号・寺号の混合)、平等院、建仁寺(院号・庵号の混合)、大徳寺(院号・庵号の混合)、天龍寺(院号、庵号等の混合)等々、塔頭は「○○院」の院号になっています。

 

これが関東に来ると、日蓮宗大本山・池上本門寺の塔中は「○○院」の院号と「○○寺」の寺号の混在。大本山・中山法華経寺も、同じく「○○院」の院号と「○○寺」の寺号の混在になっています。塔中坊の名前は、宗派の区別ではなく、地域によって名前が違っているようです。

 

この「塔頭の寺号、院号、坊号については格の段階がある」というご指摘をいただいたことがありました。確かに格付けはあるとは思いますが、それだけではないと思われます。寺号、院号、坊号の格付けによって命名されているのなら、全国各地の寺院の塔頭は、寺号、院号、坊号が混在しているはず。ところがそうはなっていないわけですから、この説には説得力がありません。

 

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■法華宗本門流大本山・光長寺1(和泉阿闍梨日法で有名)

 

光長寺(こうちょうじ)とは、静岡県沼津市岡宮1055にある法華宗本門流の大本山。創建は1276(建治2)年とされていて、日蓮を開山、日春、日法を「同時二祖」としている。

一般的には、和泉阿闍梨日法が開いた寺院として有名で、同時二祖・日法とは、大石寺の「本門戒壇の大御本尊」「最初仏」日法彫刻説や、北山本門寺の「生御影」日法彫刻説で知られている、あの日法である。

しかし大石寺の「本門戒壇の大御本尊」「最初仏」なるものは、後世の偽作であり、日法とは全くの無関係のものであるが、この詳細については他の場所に譲ることとして、ここでは岡宮光長寺の話しを進めて行きたい。

光長寺26楠

 

この他にも、日法彫刻が「寺伝」として昔から伝承されている日蓮祖師像が、各地の日蓮宗系寺院に見られることなどから、日蓮宗関連の古文書や歴史史書などに、この光長寺の名前がよく登場し、通称名として、岡宮・光長寺の名前で知られています。正式名は、徳永山光長寺という。

この光長寺は、千葉県茂原市の鷲山寺、京都・本能寺、尼崎・本興寺とともに、法華宗本門流の四大本山のひとつになっている。

 

「法華宗」という名前がつく宗派も多数あるので、光長寺が所属している「法華宗」とは、どの法華宗なのか、わけがわからなくなりますが、法華宗本門流とは、通称「八品正意論」を唱える八品派と言われている宗派です。ただし八品派の中には、本門法華宗等もあり、八品派=法華宗本門流ではない。

八品とは、法華経涌出品から嘱累品までの八品のことで、八品派の開祖・日隆の八品正意論から来ている。

 

日隆(13851464)とは、八品派とよばれている本門法華宗、法華宗本門流の開祖。

当初は、四条門流(日像門流)の妙顕寺で修学していたが、法華経について教義論争が起こり、八品正意論を提唱。妙顕寺を退出して本能寺を建立し、日隆門流を興した人物。八品派の門祖であり、京都・本能寺、尼崎・本興寺の開祖になっている。

 

又、この日隆は、日蓮正宗大石寺9世法主・日有と交流があったことが、南条日住の筆記と伝承される古文書・日有御物語抄に出てきます。

 

そうすると、光長寺のほうが歴史が古いのに、なぜ後から出てきた日隆が開祖なのか、という疑問が出てくるわけですが、法華宗本門流の見解によれば

「室町時代の中頃、(光長寺)大学頭・本果院日朝聖人は、本能寺、本興寺の御開山・日隆聖人と一味法水(いちみほっすい)の約を結ばれ、法華宗を再興されました」

ということです。つまり歴史は光長寺のほうが古いのだが、教義的には、八品派・日隆門流と同一ということになる。

 

さらに資料によると、この法華宗本門流という宗派は、法華宗を再興した日隆を門祖とはしているが、四大本山のそれぞれが末寺を持っていて、総本山制度や一宗一山制度をとらず、それぞれの四大本山が独立しつつ、連合して宗派をつくっているという、ユニークな体制になっているという。こういう宗派は、あまり例がないのではないかと思われます。

 

 

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