一般社団法人 仏教宗学研究会・公式ブログ

「一般社団法人 仏教宗学研究会」とは任意団体として2005年から活動している会の名称。2018年5月に一般社団法人登記。当ブログ名を「仏教宗学研究会のブログ」から「一般社団法人 仏教宗学研究会・公式ブログ」に改名。 「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判・糾弾は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」が管轄。「一般社団法人 仏教宗学研究会・公式ブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。「仏教宗学研究会」と「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」は表裏一体の同体異名。日蓮正宗、創価学会・SGI・顕正会・正信会、さらに富士門流執着軍団…らを批判する主旨は同じ。 (背景写真は高野山真言宗総本山・高野山奥の院灯籠堂参道)

Category: 奈良・東大寺

■奈良東大寺7(勧学院)

 

東大寺の、隠れた有名な建物として、「勧学院」という堂宇がある。勧学院は、東大寺真言院の境内にある。真言院は、東大寺・別当も務めた弘法大師空海が、弘仁13年(821年)、勅許を受けて開設した灌頂道場が始まりであり、南都における真言教学の拠点となった所。

東大寺30勧学院

 

フリー百科事典・Wikipediaによれば、勧学院とは元々は、弘仁12年(821年)、藤原冬嗣によって創建され、貞観14年(872年)以前に大学別曹として公認された。大学別曹とは有力氏族の学生のためにつくられた寄宿舎のこと。

本来は大学寮内に寄宿しなければならないが、大学別曹として公認されると寮内に寄宿する学生と同等の資格で授業・試験に出ることが出来た。のちには任官試験を経ずに地方官に任命される特権(年挙)を朝廷から認められた。また、優秀者には学問料が払われて後の文章生への登用に有利に働いた。また、藤原氏の公卿に慶事があると職員・学生達が挙って祝辞を述べに参上し、その答礼として彼らを饗宴でもてなすという「勧学院歩(かんがくいんのあゆみ)」という恒例行事があった。

維持管理は藤氏長者の職務とされ、藤原氏一門の大納言級から任じられる公卿別当、弁官から任じられる弁別当以下の職員の任免を行った。財政は一族からの荘園寄付によって賄われており他の大学別曹に比べ、非常に豊かであった。

また、寄宿舎としての機能の他にも一族に関係する事務を行う氏院(うじのいん)としての機能を行うための政所も設置されていた。具体的には藤原氏の氏寺である興福寺や氏神である春日大社などの祭祀に関する事務である。また延命院の管理も行った。藤氏長者は長者宣を出す際に実際の事務文書にあたる下文が勧学院で作成されて添付された。

貴族社会の衰微とともに鎌倉時代には勧学院は消滅したと言われているが、興福寺などの有力寺院が寺内に設けた僧侶育成機関に「勧学院」の名が用いられたのは、ここに由来していると言われている。

 

勧学院の名前は、けっこういろいろな宗派にあり、東大寺の他、園城寺、成田山新勝寺、高野山等にある。

現在の東大寺勧学院は、聴講無料の講演会や講義が行われている案内が建てられていた。

東大寺31勧学院
 

 

 

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■奈良東大寺6(東大寺戒壇堂)

 

□大石寺9世日有が独自に発明した「事の戒壇」は東大寺戒壇堂のパクリか

 

東大寺の調査・取材のポイントは、大仏殿もそうだが、むしろ戒壇堂のほうである。

東大寺の戒壇は、出家者が正規の僧となるための戒律を授けられる儀式・受戒するための施設として、天平勝宝7歳(755年)に鑑真を招いて創建された。現在の建物は享保18年(1733年)の再建であるが、内部は創建当時のものが再現されている。

近代になる以前の日本では、今とはちがって僧の地位は国家資格であり、国家公認の僧となるための儀式を行う「戒壇」で授戒されない僧侶は、僧侶としてすら認められなかった。 当時の日本では、国家公認の僧となるための儀式を行う「戒壇」は日本には、比叡山延暦寺の他、奈良・東大寺、唐招提寺、筑紫・観世音寺、下野・薬師寺等の官寺にしか存在しなかった。

鑑真は754年、東大寺に戒壇を築き、同年4月に聖武天皇をはじめ430人に授戒を行なった。これが最初の戒壇である。その後、東大寺に戒壇院を建立し、筑紫の大宰府の観世音寺、下野国(現在の栃木県)の薬師寺に戒壇を築いた。これ以降、僧になるためには、いずれかの戒壇で授戒して戒牒を受けることが必須となり、国(国分寺)が僧を管理することになった。

大和国の東大寺、法華寺は総国分寺、総国分尼寺とされ、全国の国分寺、国分尼寺の総本山と位置づけられたが、822年、伝教大師最澄の死後、比叡山延暦寺に戒壇の勅許が下され、大乗戒壇が建立された。

当時は、中国の仏教界は比叡山延暦寺の大乗戒壇を、戒壇としては認めておらず、ここで受戒した僧は、中国では僧侶として認められなかった。また、官立寺院(官寺)ではない比叡山延暦寺に戒壇設置を認められたことに東大寺をはじめとする南都(奈良)の寺院の反発を招いた。東大寺は、日有が生きていた時代でも、日本三大戒壇のひとつであり、総国分寺であった。

 

東大寺は、京都から南に下ること約40キロの所にある奈良、つまり旧平城京があった所から東へ約4キロぐらいの所にある。

私が、日蓮正宗大石寺9世法主・日有が独自に発明した「事の戒壇」と似ていると言っているのは、東大寺大仏殿のことではなく、東大寺の戒壇堂のこと。ここは、出家者が受戒(正規の僧となるための戒律を授けられる)するための施設として、天平勝宝7歳(755年)に鑑真和上を招いて創建された。現在の建物は享保18年(1733年)の再建である。

東大寺10戒壇
 

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■奈良東大寺5(東大寺大仏殿)

 

□写真撮影が禁止されていななかった東大寺大仏殿

 

今年の10月に東大寺に行ったときは、「光明皇后千二百五十年遠忌法要」の準備のため、正面から大仏殿には入れず、回廊を歩いて正面左側から入っていった。

資料に依れば、大仏殿は高さ46.8メートル、間口57メートル、奥行50.5メートルで、2,850平方メートル(約862坪)。

それに対し、奈良、鎌倉時代の大仏殿は、高さは約50メートルと同じですが、広さは間口約86メートル×奥行約50メートル=4,300平方メートル(約1,300坪)はあったという。

現在の大仏殿は、高さと奥行は創建時とほぼ変わりないが、東西の幅は奈良・鎌倉時代の大仏殿の約3分の2に縮小されているということになる。

この巨大な大仏殿の中に、巨大な大仏が座っている。

国宝指定名称は「銅造盧舎那仏坐像(金堂安置)1躯」。像高は14.7メートル。大仏は『華厳経』に説く盧舎那仏という名の仏という意味らしい。

東大寺17大仏

 

もちろん、この大仏は、東大寺の本堂である「金堂」すなわち大仏殿の中心本尊であることは言うまでもないが、面白いことに、この大仏殿の中は写真撮影が禁止されておらず、参拝客・観光客のほぼ全員と言っていいくらい、大仏の写真をパチパチと撮りまくっている。

かく言う私も、大仏の写真を何枚も撮影してきている。

 

だいたいどこの宗派の寺院の本堂も、中では撮影禁止というのが一般的で、本堂の中の本尊を撮影するなど、もってのほか。参拝者による本尊の写真撮影など厳禁というのが仏教界の常識みたいなものになっている。

実際、あっちこっちの大伽藍・大寺院を訪れると、「撮影禁止」の看板・立て札をよく目にする。

 

しかし東大寺大仏殿は、写真撮影が禁止されていない。

もっとも、元々はここも撮影禁止だったのかもしれないが、大仏殿に入った途端、大仏の威容に圧倒されて参拝客が写真を撮り始めてしまうため、大仏殿の中を撮影禁止にしても有名無実であり、意味がないのかも知れない。

ただ、大仏殿には行っていきなり撮影するのではなく、「大仏に手を合わせて参拝してから撮影して欲しい」旨の東大寺のコメントを見たが。

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■奈良東大寺4(東大寺大仏殿)

 

□仏教各宗派によって使い方がまちまちの本堂・金堂・仏殿・本殿・客殿・御影堂の使い分け

 

東大寺「大仏殿」の「大仏殿」という名前は、いわば通称名であって、正式には「金堂」(こんどう)という。「金堂」というのは、金でできた堂宇という意味ではなく、「本堂」と同じ意味である。

東大寺26大仏殿


本堂(ほんどう)とは、仏教寺院において、本尊仏、本尊を安置する堂宇・建物の名前。

日本では一山の本尊を安置する、寺院の中心的な堂を指して「本堂」あるいは「金堂」ということが多い。

つまり「本堂」のことを、法相宗、華厳宗や真言宗あたりでは「金堂」というが、「金堂」という言葉そのものは飛鳥時代から平安時代前半にかけての古代創建の寺院で多く使われている。

なお、奈良時代創建の寺院でも、新薬師寺、西大寺のように現在は「本堂」という名称を使用しているところもある。また、室生寺、当麻寺のように「金堂」と「本堂」が別個に存在する寺院もある。

奈良法隆寺の場合は、伽藍が西院伽藍、東院伽藍、大宝蔵院に分かれていて西院伽藍の中心が釈迦如来像、薬師如来像、阿弥陀如来像を祀る金堂。東院伽藍の中心が有名な救世観音像を祀る夢殿である。

比叡山延暦寺など天台宗では本堂に該当する堂宇のことを「根本中堂」ないしは「中堂」といい、禅宗では「仏殿」という。

伝教大師最澄造立の薬師如来像を秘仏として祀る比叡山延暦寺の根本中堂は、東塔、西塔、横川に分かれる延暦寺伽藍の総本堂である。天台宗では比叡山延暦寺のみならず寛永寺や深大寺など本山・末寺でも本堂を「根本中堂」ないしは「中堂」と呼ぶ寺院が多い。

ただ天台宗でも、天台寺門宗総本山・園城寺(三井寺)は、「金堂」という言葉を使っている。

禅宗にあっても特に方丈形式の中心堂宇を指して「本堂」と称する場合もある。石川県能登の総持寺祖院では、客殿に該当する堂宇を「仏殿」と称している。

 

浄土真宗の寺院では、阿弥陀堂と御影堂の二堂が中心堂宇として建っているのが一般的で、阿弥陀堂は、本尊である阿弥陀如来像を祀る堂宇。御影堂とは、宗祖・親鸞の木像(御影像)を祀る堂宇。寺院の本尊は阿弥陀如来像なので、阿弥陀堂が本堂に該当することになる。

これは浄土真宗の各本山である東本願寺、西本願寺、高田専修寺、仏光寺、興正寺、錦織寺、豪摂寺、誠照寺、専照寺等に共通している。

浄土宗総本山知恩院では、本堂(御影堂)には法然像を祀り、阿弥陀堂には阿弥陀如来像を祀る。東京・芝の大本山増上寺は、大殿に阿弥陀如来像を祀り、この堂宇が本堂に該当すると称している。この他に安国殿があり、秘仏・黒本尊を祀っているが、黒本尊も阿弥陀如来立像である。

 

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■奈良東大寺3(東大寺大仏殿)

 

□日蓮正宗大石寺奉安堂の外観・設計は東大寺大仏殿のパクリか

 

東大寺南大門をくぐって、大仏殿に向かって一路歩いて行くと、中門に突き当たる。

これは東大寺金堂(大仏殿)の手前にある入母屋造の2階建ての門。これも江戸時代、享保元年(1716年)頃の再建という。

中門の正面からは中には入れず、向かって左側に歩いて行くと、入り口があり、そこから大仏殿に入っていくことになる。もちろん、中門から入ると拝観料を取られる。中門の両脇から「コ」の字形に回廊が伸び、大仏殿の左右に至るという構造になっている。

私が今年10月に行ったときは、「光明皇后 千二百五十年御遠忌法要」の準備のため、大仏殿正面からは入れず、回廊を通って大仏殿の脇から入って行かなくてはならなかった。

 

ところでちょうど中門から大仏殿を見ると、「あれえ、やっぱりそっくりだな」と思うことがある。

そう。東大寺大仏殿は、外観が日蓮正宗大石寺の奉安堂とそっくりなのである。

もちろん先にできたのは東大寺大仏殿だから、大石寺の奉安堂のほうが大仏殿を模して建立されたと言うことになる。早い話、大石寺の奉安堂の外観・設計は、東大寺大仏殿のパクリということになる。

大石寺奉安堂が、東大寺大仏殿を模して設計されたことは、奉安堂の設計を担当した建築研究所アーキヴィジョンの広谷純弘氏自身が認めていることである。

「奉安堂の規模とそれを支える技術・工法」

http://www2s.biglobe.ne.jp/~shibuken/ETC/Hoando/rep3.html

 

設計を担当したのは、建築研究所アーキヴィジョンかもしれないが、こういった東大寺大仏殿を模した外観にすることなど、一切は日蓮正宗の承認の元で行われていることである。設計事務所が、勝手に設計したわけではない。

つまりは、東大寺大仏殿を模した奉安堂の外観は、日蓮正宗の承認の元で設計されたのは当然のことと言うより、むしろ日蓮正宗の指示で、東大寺大仏殿を模した設計が為されたと見るべきではないか。

いくらなんでも、設計事務所側から日蓮正宗に対して、東大寺大仏殿をそっくり模した設計図を提案するなど、考えにくいことだからだ。

東大寺26大仏殿
 

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■奈良東大寺2(六宗兼学・八宗兼学)

 

では日本最初の戒壇、日本三大戒壇の一つとしての東大寺と、華厳宗総本山としての東大寺が、どうして両立するのか、という疑問にぶち当たる。

奈良時代のいわゆる南都六宗(華厳宗、法相宗、律宗、三論宗、成実宗、倶舎宗)は、「宗派」というよりは「学派」に近いもので、日本仏教で「宗派」という概念が確立したのは中世以後のことである。鎌倉時代に「鎌倉仏教」と呼ばれる浄土宗、浄土真宗、日蓮宗、臨済宗、曹洞宗といった新興宗派が起こってきたころが、今で言う「宗派」の起こりとする説がある。

完全に固定化されたのは、近世初期の1664年(寛文4年)に江戸幕府がキリスト教や不受不施派を禁制として、信徒に対し改宗を強制することを目的として制定された檀家制度、寺檀制度ということになる。

これは仏教の檀信徒であることの証明を寺院から請ける制度である。寺請制度の確立によって民衆は、いずれかの寺院を菩提寺と定め、その檀家となる事を義務付けられた。つまりどこかの宗派の寺院の信徒として固定化されたわけである。

寺請け制度ができる前は、けっこうあいまいな所があり、日蓮宗一門で言えば、ある信者は、日蓮正宗大石寺にも参詣すれば、北山本門寺にも参詣し、身延山久遠寺にも参詣するといった具合である。

 

寺院では、寺請制度の成立によって、現在の戸籍に当たる宗門人別帳が作成され、旅行や住居の移動の際にはその証文(寺請証文)が必要とされた。各家、各家庭には仏壇が置かれ、法要の際には僧侶を招くという慣習が定まり、寺院に一定の信徒と収入を保証される形となったというわけである。

そのため、仏教界では、長い間、寺院の僧侶は、複数の宗派を兼学することが普通であった。

東大寺の場合、近代以降は所属宗派を明示する必要から華厳宗を名乗るが、奈良時代には「六宗兼学の寺」とされ、大仏殿内には各宗の経論を納めた「六宗厨子」があった。

しかし華厳宗は、六宗の中でも開山・良弁ゆかりの宗派として重要視され、近代以前においても日本における華厳宗研究の中心地として、多数の優れた学僧を輩出していた。

平安時代には空海によって寺内に真言院が開かれ、弘法大師空海が伝えた真言宗、伝教大師最澄が伝えた天台宗をも加えて「八宗兼学の寺」とされた。

ここではないが、法隆寺に行ったとき、案内役員から

「法隆寺は、今で言うと大学のような部分があって、多くの学僧が学びに来ていた」

との説明を受けた。もっとも、東大寺が日本最初の戒壇であるとの地位を考えれば、法隆寺に限らず、「八宗兼学の寺」としての東大寺も、今でいう大学としての機能を持っていたと考えられる。

東大寺10戒壇
 


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■奈良東大寺1(日本最初の戒壇)

 

□ゆっくり見て回ると丸1日はかかるほど広大な東大寺の境内

 

奈良でいろいろ有名なものはたくさんあるが、中でも最大級に有名なのが、やはり「奈良の大仏」で有名な東大寺であろう。東大寺は、正式には華厳宗大本山の寺。

難工事の末、大仏の鋳造が終了し、天竺(インド)出身の僧・菩提僊那を導師として大仏開眼会が挙行されたのは天平勝宝4年(752年)のこと。大仏鋳造が終わって、大仏殿の建設工事が始められ、大仏殿が竣工したのは天平宝字2年(758年)。ここから数えても1250年以上の歴史がある。

そういう長い歴史から、現・別当(法主)は、開山(初代別当)の良弁僧正から数えて220世・北河原公敬氏である。

東大寺は、聖武天皇より、奈良時代の日本の60余か国に建立させた国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置づけられている。

 

東大寺は、奈良公園の中にあるのだが、東大寺だけでも、ものすごい広さの敷地である。いろいろと資料を調べたのだが、東大寺の敷地面積の正確なデーターは、見つからなかった。

資料によれば、東大寺の境内は平城京の外京の東端を区切る東七坊大路(現国道169号)を西端とし、西南部は興福寺の境内と接していたという。

又、かつては現存の堂宇以外にも多くの堂塔が存在しており、大仏殿の北には講堂と僧坊。東には食堂(じきどう)があった。僧坊は講堂の北・東・西の3面にコの字形に設けられたので「三面僧坊」と称していたという。

大仏殿の手前の東西には東塔・西塔(いずれも七重塔)があった。これらは、周囲を回廊で囲まれ、回廊の東西南北4か所に門を設けた「塔院」を形成しており、他寺に例をみない規模のものであったという。ということは、今の東大寺の敷地は、昔からは縮小されているものなのか。

それでも東大寺の境内は、広すぎるくらい広い。

これだけ広い敷地に、大仏殿、戒壇堂、二月堂、法華堂、南大門等々といった堂宇が立ち並んでいるため、これらの堂宇をくまなく見て回ると、およそ1日かかってしまう。

JTBの「るるぶ情報板」によれば、「じっくり拝観すれば、半日はかかる」と書いてあるが、半日では無理でしょう。丸1日は優にかかると思います。

 

私が東大寺に行った第一の目的は、日本最初の「戒壇」を調査するため。

東大寺の戒壇とは、出家者が正規の僧となるための戒律を授けられる儀式である「受戒」をするための施設として、天平勝宝7歳(755年)に鑑真和上を招いて創建された建物である。現在の「戒壇」の建物は江戸時代・享保18年(1733年)の再建。

東大寺4戒壇


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