■中山法華経寺4(なぜ中山法華経寺で荒行が行われているのか2)

 

□納得してしまった「衆生の苦を知らない僧は衆生を救うことが出来ない」という僧侶の言葉

 

中山法華経寺の塔頭・遠寿院の荒行堂の中をのぞいて見ると、約78人の荒行僧による参拝人の祈祷が行われていました。日蓮宗では、この中山法華経寺の百日荒行を満行した僧は、伝師(でんし)(加持祈祷の師範)から秘法を受け、宗務総長より修法師として任命されるという。

荒行堂は、遠寿院の荒行堂と中山法華経寺本院となりの荒行堂のふたつがある。荒行堂には日程表が掲げられていて、荒行僧と面会日と面会日でない日が決まっている。私が中山法華経寺に参拝に行った日は、ちょうど面会日。そういうことからか、中山法華経寺大荒行堂前も、遠寿院もたくさんの人が詰めかけてきている。

面会日とは、荒行僧と寺族、檀信徒との面会が許される日。そういうわけで参詣人のための祈祷が遠寿院で行われていたということか??

遠寿院前に掲示されていた荒行の日程を見ると、午前2時半に起床し、午後11時就寝。ということは睡眠時間が3時間半しかない。1日の食事は2食で、粥食。あとは水行と読経三昧の修行。

過酷な修行ですね。この荒行の中、死亡してしまう僧が出ることもあるという。その場合は荒行満願の日を待って、荒行満願僧といっしょに荒行堂を出ると聞きました。

まさに荒行堂に入るということは「死」を覚悟して入るということ。そこまで意を決しないと、とても過酷な修行を行う荒行堂には入れないでしょう。

では、なぜここまで過酷な修行をしなければならないのか。

ある人曰く「衆生の苦を知らない僧は衆生を救うことが出来ない」という意味のことを言った人がいた。過酷な修行・難行苦行に身を投じて苦を知るのだという。私は「なるほど」と納得してしまいました。

たしかに僧侶の厳しい修行・難行苦行の苦と、一般衆生の苦は違うという意見もあるかもしれない。が、自ら苦を知ろうと厳しい修行・難行苦行に身を投じる僧を衆生は心から崇拝するのではないだろうか。ということは、難行苦行に身を投じるということは大きな徳行だということでしょう。

中山法華経寺の荒行僧は、大半が若手の僧侶。こういう厳しい修行を満願した僧侶と話をすると「やはり、どこか違うな」と思うことが多々あります。難行苦行に身を投じたたけ、徳を積んでいるということなのでしょう。

荒行2 

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