一般社団法人 仏教宗学研究会・公式ブログ

「一般社団法人 仏教宗学研究会」とは任意団体として2005年から活動している会の名称。2018年5月に一般社団法人登記。当ブログ名を「仏教宗学研究会のブログ」から「一般社団法人 仏教宗学研究会・公式ブログ」に改名。 「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判・糾弾は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」が管轄。「一般社団法人 仏教宗学研究会・公式ブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。「仏教宗学研究会」と「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」は表裏一体の同体異名。日蓮正宗、創価学会・SGI・顕正会・正信会、さらに富士門流執着軍団…らを批判する主旨は同じ。 (背景写真は高野山真言宗総本山・高野山奥の院灯籠堂参道)

Category: 富士門流執着軍団(日蓮虚像執着軍団)

■大津・富士山蓮華寺14(日神氏の撮影による『謎の写真』2)

 

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■大津・富士山蓮華寺13(日神氏の撮影による『謎の写真』)

 

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■中山法華経寺4(なぜ中山法華経寺で荒行が行われているのか2)

 

□納得してしまった「衆生の苦を知らない僧は衆生を救うことが出来ない」という僧侶の言葉

 

中山法華経寺の塔頭・遠寿院の荒行堂の中をのぞいて見ると、約78人の荒行僧による参拝人の祈祷が行われていました。日蓮宗では、この中山法華経寺の百日荒行を満行した僧は、伝師(でんし)(加持祈祷の師範)から秘法を受け、宗務総長より修法師として任命されるという。

荒行堂は、遠寿院の荒行堂と中山法華経寺本院となりの荒行堂のふたつがある。荒行堂には日程表が掲げられていて、荒行僧と面会日と面会日でない日が決まっている。私が中山法華経寺に参拝に行った日は、ちょうど面会日。そういうことからか、中山法華経寺大荒行堂前も、遠寿院もたくさんの人が詰めかけてきている。

面会日とは、荒行僧と寺族、檀信徒との面会が許される日。そういうわけで参詣人のための祈祷が遠寿院で行われていたということか??

遠寿院前に掲示されていた荒行の日程を見ると、午前2時半に起床し、午後11時就寝。ということは睡眠時間が3時間半しかない。1日の食事は2食で、粥食。あとは水行と読経三昧の修行。

過酷な修行ですね。この荒行の中、死亡してしまう僧が出ることもあるという。その場合は荒行満願の日を待って、荒行満願僧といっしょに荒行堂を出ると聞きました。

まさに荒行堂に入るということは「死」を覚悟して入るということ。そこまで意を決しないと、とても過酷な修行を行う荒行堂には入れないでしょう。

では、なぜここまで過酷な修行をしなければならないのか。

ある人曰く「衆生の苦を知らない僧は衆生を救うことが出来ない」という意味のことを言った人がいた。過酷な修行・難行苦行に身を投じて苦を知るのだという。私は「なるほど」と納得してしまいました。

たしかに僧侶の厳しい修行・難行苦行の苦と、一般衆生の苦は違うという意見もあるかもしれない。が、自ら苦を知ろうと厳しい修行・難行苦行に身を投じる僧を衆生は心から崇拝するのではないだろうか。ということは、難行苦行に身を投じるということは大きな徳行だということでしょう。

中山法華経寺の荒行僧は、大半が若手の僧侶。こういう厳しい修行を満願した僧侶と話をすると「やはり、どこか違うな」と思うことが多々あります。難行苦行に身を投じたたけ、徳を積んでいるということなのでしょう。

荒行2 

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■川越・喜多院7(恵心流と本仏儀の関連付けを全面否定)

 

□大石寺9世日有は恵心流を知っていたとしても恵心流から日蓮本仏義を偽作したのではない

 

「天台宗の談義所に、日蓮宗の僧が入学して修学したかどうか」の話題について、これ以上、この僧侶と話してもムダだと思い、話題を恵心流法門と日蓮本仏義の関係に切り替えることにした。

 

○「もうひとつ、お尋ねしたいことがあります。天台宗教学の中に恵心流本覚思想ないしは恵心流口伝法門とよばれているものがありますね。日蓮宗・富士門流関連の古文書の中に、鎌倉時代から室町時代のころにかけて、武州仙波の天台宗檀林で『恵心流』が教授されていた、とするものがあるのです」

僧「あー、恵心流ですか。はいはい、ありますね。恵心流とか檀那流とかいうものですよね」

 

恵心流とは恵心僧都源信を祖とする天台宗の一学派。檀那流とは、檀那僧都覚運を祖とする天台宗の一学派。恵心僧都源信(9421017)とは、貴族向けの仏教解説書である「往生要集」を著して、「観想念仏」を効果ある念仏の方法として勧めた僧として有名。浄土宗の僧と誤解されがちであるが、平安時代後期の天台宗の僧である。源信の教学としては「恵心流」よりもむしろ、「往生要集」のほうが有名。ただし1006年(寛弘3)には、一切衆生の成仏を説く『一乗要決』をまとめた。

『一乗要決』とは、法相宗において人の資質や能力に応じて声聞・縁覚・菩薩に固有の3種の悟りの道があるとする三乗説に反駁し,天台宗の立場から法華経に説く,悟りに導く教えはただ一つしかなく,いかなる衆生もすべて仏になれるとする一乗説を主張。一乗思想が真実の教えで,三乗思想が方便であることを立証した著書である。

 

○「実は、日蓮宗の中の富士門流、さらにその富士門流の中の日蓮正宗という宗派の教学に、日蓮が末法の本仏であるとする日蓮本仏義というものがあります。日蓮宗の学者の中に、日蓮本仏義は「恵心流」のパクリではないかという説を唱えている人がいるのです。

日蓮本仏義とは、簡単に言ってしまうと、日蓮を本因妙の教主・久遠元初自受用身如来とし、釈迦如来よりも上位の仏であるという思想です。天台宗の「恵心流」法門も、これとよく似た教学で、日蓮本仏義の元になっているという説を唱える人がいるのですが、これについてはどうですか」

僧「あー、それは違います。違いますね。「恵心流」とはそんな教学ではありません。私も僧侶の学校で「恵心流」というのを学びましたが、そんな思想ではありません。

たしかに「恵心流」の本覚思想というのは、ありますが、そんな本仏義に結びつけるというのは、ものすごく極端な解釈なのであって、それが「恵心流」の本筋・本論ということではありません。

まあ、「恵心流」の細部については、ものすごく専門的な教学で、私もついていけないような部分があります。しかし本仏とか日蓮本仏義とか、そういったものに結びつくような思想ではありません」

喜多院5 

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■川越・喜多院4(日蓮本仏義偽作の検証も含めて訪問)

 

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■川越・喜多院3(天台宗檀林と日蓮宗3)

 


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■川越・喜多院2(天台宗檀林と日蓮宗2)

 

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■川越・喜多院1(天台宗檀林と日蓮宗1)

 

喜多院とは、埼玉県川越市内にある天台宗の寺院で、ここと中院はかつて星野山無量寿寺という寺院の子院だった。かつては関東天台宗580余ヶ寺の本山として栄えていた寺院。喜多院の山号は今も「星野山」(せいやさん)といい、星野山無量寿寺の山号が名前に残っている。

そしてここに天台宗の談義所が置かれ、ここから多くの天台宗の僧侶を輩出したという。

無量寿寺には北院(喜多院・仏蔵院)と中院(仏地院)の他に南院、その他にも塔頭子院があったとのことだが、明治維新の廃仏毀釈等で廃絶になっており、残っているのは喜多院と中院のみになっている。ずいぶん前から、喜多院・中院の研究課題として取り組んだことがあり、それは

 

1 室町時代から戦国時代にかけて天台宗檀林に日蓮宗僧が入学して修学していたのか

 

これがひとつあります。

もちろん安土桃山時代以降になると、関東、京都周辺に日蓮宗檀林が数多くできて、日蓮宗僧侶は、日蓮宗の檀林に入檀して、そちらで修学している。天台宗檀林に入檀していたかどうかは、日蓮宗の檀林ができる前の、室町時代から戦国時代にかけてのこと。

フリー百科事典・Wikipediaに、天台宗檀林に日蓮宗僧が入って修学していた、ということが出ている。この根拠になっているのは、おそらく富士門流の史書だと思われる。

中でも大石寺門流の史書である「家中抄」「下野阿闍梨聞書」「日有御物語抄」といった史書に、中世の大石寺法主である6世日時、8世日影、9世日有、13世日院が、武州仙波の天台寺院で修学したという文が出てくる。

日蓮正宗では、これらの史書に載っている文を、そのまま、何の検証もせずに史実として自宗の出版物に載せている。

これを史実としているのは、日蓮正宗だけではない。日蓮正宗を「棄教」したと自称する宗教法人無心庵責任役員をはじめ、彼らの取り巻きの者たちも、これについて何の検証もしないで、史実としている。

「本当に室町時代から戦国時代にかけて天台宗檀林に日蓮宗僧が入学して修学していたのか」

ということが、こうして研究課題となったわけです。

 

確かに日蓮宗の宗祖・日蓮は、比叡山延暦寺で長い間修学している他、園城寺などの京都、奈良の仏教大寺院で修学している。

比叡山延暦寺は、天皇の勅許によって建立された大乗戒壇であり、南都六宗の寺院も皆、官立の寺院。奈良、平安、鎌倉時代は、朝廷公認の官立寺院、ないしは戒壇で授戒した僧侶のみが、僧侶として認められていた時代。官立の寺院で得度するわけだから、僧侶の地位はほとんど国家公務員に等しかった。

喜多院2


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■池上本門寺28(誤った日蓮本尊説)

 

□日蓮宗寺院祖師堂に祀られている日蓮祖師像は本尊として祀られているのではない

 

池上本門寺は、お会式に約30万人もの人が参詣するなど、東京都民にとっては、わりと身近な寺院であると言えます。しかしその一方で、まことに奥深さがある寺院でもあります。

池上本門寺の総門をくぐって此経難事坂とよばれる長い石段を登り、三門をくく゜ると、日蓮祖師像を祀る大堂につきあたります。

池上本門寺のお会式等、大きな法要はこの大堂で営まれることが多く、池上本門寺の参拝客も大堂に参拝し、賽銭箱にお賽銭を入れて帰る人が多い。

日蓮宗の大きな寺院に行くと、中心堂宇が二堂建てられていて、一堂には一塔両尊四士(ないしは釈迦如来像・釈迦・多宝如来像等)が祀られていて、もう一堂には日蓮祖師像が祀られている。

これは池上本門寺も同じになっている。

総門、三門からの参道の突き当たりに建っている大堂には、正応元年六月造立の日蓮祖師像が、板曼荼羅を背にして祀られている。

もう一堂は、大堂の奥にある「本殿」で、こちらには久遠実成の釈迦如来像をはじめとする両尊四士と日蓮像が祀られている。

では、日蓮宗寺院の場合、一塔両尊四士が祀られている堂宇と、日蓮祖師像が祀られている堂宇のどちらが本堂に該当するのか、ということになりますが、本堂に該当するのは、一塔両尊四士が祀られている堂宇のほうである。つまり本尊として祀っているのは両尊四士のほうで、日蓮祖師像は本尊として祀っているということではない。

御会式22大堂 


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松本修明・岩立修盛問題で、書き込みが遅れてしまったが、再度、東佑介氏の問題を取り上げたい。

「仏教宗学研究会」で、東佑介氏の説について批判を加えたところ、東佑介氏はブログにて、反論を試みようとしているようである。

 

「仏教宗学研究会に対する反論」

http://blog.livedoor.jp/naohito_blog/archives/51952340.html

「仏教宗学研究会への再度の反論」

http://blog.livedoor.jp/naohito_blog/archives/51955465.html#more

 

東佑介氏は、『大石寺教学の研究』『二箇相承の真偽論』『法華本門宗要抄の真偽論』『本尊三度相伝の真偽論』『産湯相承事の真偽論』『日興門流文書とその真偽論』『富士大石寺における本仏論の形成と展開』『西山本門寺の沿革と展開』『京都要法寺の沿革と展開』『初期日興門下に関する一考察』等々、著書の数だけは多いのであるが、その内容については、実に誤った説が多いのである。

大石寺教学の研究1


東佑介氏は、富士門流研究を自認しているようで、日蓮正宗大石寺の教学に関することについても、著述を残している。

それらの中で東佑介氏の誤った教説の代表的なものが、『大石寺教学の研究』なる本と、京都要法寺に関する説であり、「百六箇抄」は京都要法寺が偽作したとする要法寺偽作説である。

では、東佑介氏の何に関する説が誤っているのか、というと、

「本是院日叶(左京阿闍梨日教)」「百五十箇条」「秘蔵抄」「百六箇抄の後加文」「開迹顕本法華二論議得意抄・祖師伝をはじめとする要法寺13世貫首・日辰の著述の読み方」「上行院の文」「院号について」「百六箇抄本文と末文の読み方」「本門寺戒壇」「日興嫡嫡相承の曼荼羅の解釈」「要法寺・称徳符法本尊の偽作説の内容について」「仏教の戒壇について」「日蓮本仏義について」…

等々、実に多岐にわたっている。

こういうところから、東佑介氏は、偽作説等について誤った結論を導き出し、著書やブログで発表していることは、日蓮正宗大石寺教学への誤った批判を誘発することになる。そういう意味で、東佑介氏の誤った説は、正常な日蓮正宗批判を展開していく上で障害になっている、という言い方もできよう。

 

ところが反面、この東佑介氏の説は、「法華仏教研究」等の仲間を除いては、ほとんど誰からも相手にされていないのである。「東佑介氏の本を読んで日蓮正宗から離檀した」などという話しは聞いたことがないし、ましてや日蓮正宗からの反論は全くなし。それどころか、ちょっとでも日蓮正宗批判を見つけると過剰なまでに反応する、龍神ひろしをはじめとする日蓮正宗カルト信者のサイトやブログも、全く東佑介氏の説を無視し、相手にしていないのである。

 

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■法華宗本門流大本山・光長寺10(秘蔵抄は後世の偽書)

 

日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨の著書「隠れたる左京日教師」で紹介している、岡宮・光長寺の学頭・大林日有氏から得たとする「本因妙抄、百六箇抄、本尊七箇相伝、産湯相承の合本」である「秘蔵抄」だが、これは本是院日叶(左京阿闍梨日教)が相伝を受けた文献ではなく、後世の偽書である。理由は以下の証拠による。

 

1京都・要法寺貫首・広蔵院日辰が『二論議』という著書の中で述べている「御正筆の血脈書を拝せざる間は謀実定め難し」(『二論議』5巻・日蓮宗宗学全書3p370)との矛盾

 

「秘蔵抄」と称している「本因妙抄、百六箇抄、本尊七箇相伝、産湯相承の合本」の奥書の記述は、明らかに広蔵院日辰が『二論議』で述べている見解と矛盾している。

もし本是院日叶が出雲の師匠・日耀から「秘蔵抄」を相伝していたとしたら、日辰よりはるか上代に「本因妙抄、百六箇抄、本尊七箇相伝、産湯相承」が日尊門流に存在していたことになり、要法寺貫首がこれを知らないはずがない。よって日辰が「御正筆の血脈書を拝せざる間は謀実定め難し」などと書くはずがない。この日辰の『二論議』で述べている見解は、本因妙抄、百六箇抄が明らかに他門流から日尊門流に流入してきた文書であることを物語っている。

 

2 同じく要法寺側の史料である「日宗年表」によると、1483(文明15)510日、左京阿闍梨日教(日叶)が、調御寺・日乗に宗義相伝書を授与したときの名前を、改名前の本是院日叶ではなく、左京阿闍梨日教としている。

 

1482(文明14)年の日有死去後、著書や文献においては、「左京阿闍梨日教」と名のっており、「本是院日叶」の名前は使っていない。したがって「秘蔵抄」の奥書に「本是院日叶」の名前が使われているのは、大きな不審点である。

「本是院日叶」とは、左京日教が日尊門流にいたときからの名前だが、日蓮正宗大石寺9世法主日有の門下に帰参して後は「左京阿闍梨日教」と改名している。しかし改名後も、京都・鳥辺山に碑を建てたときも「本是院日叶」の名前を使っているが、これは日教が元々は日尊門流出身であるから、京都では「本是院日叶」の名前をそのまま使っていたと思われる。

しかし一旦、改名した以上、対外的には「左京阿闍梨日教」と名のることが本筋であり、したがって「秘蔵抄」の奥書に「本是院日叶」の名前が使われているのは、どう考えても不審なのである。

 

3 「秘蔵抄」の奥書における「文明十七年巳十月十九日 八十六歳日乗在判」と「文明十五年卯五月十五日 日叶在判」の記述がアベコベになっている。

 

4 本是院日叶(左京阿闍梨日教)自身の著書に、この「本因妙抄、百六箇抄、本尊七箇相伝、産湯相承の合本」たる「秘蔵抄」は全く出てきていない。

 

5 堀日亨自身も、合本(秘蔵抄)の写本について、「筆者不明」であるとし、「原本は日叶師のものなりしや」と疑問符をつけて書いており、不審を呈している。

59世日亨2

 

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■法華宗本門流大本山・光長寺9(木くず・秘蔵抄は存在せず2)

 

私としては、沼津市ないしは沼津市教育委員会のほうで、光長寺の宝物等についてかなり詳しく学術調査をしているわけですから、直接、沼津市教育委員会に問い合わせました。

 

私は、沼津市教育委員会の文化財担当部署の担当者A氏に対して、岡宮・光長寺の宝蔵の中に、大石寺の「戒壇大本尊・彫刻の木くず」なるものや、大石寺僧・左京阿闍梨日教が出雲国の日尊門流寺院・安養寺から相伝したという「秘蔵抄」の写本が存在しているのかどうかを問い合わせました。

 

沼津市教育委員会の担当者A氏の話によれば、光長寺に蔵されている文化財の調査は行っており、古文書、曼荼羅をはじめとするその他の宝物について、国の文化財、静岡県の文化財、沼津市の文化財の指定を行っていること。

当然の如く、本物かニセモノかの鑑別も行っていて、ニセモノや贋作を文化財に指定するということはあり得ないこと。

そこで、「戒壇大本尊・彫刻の木くず」なるものや「秘蔵抄」の写本が、岡宮・光長寺宝蔵の中にあるかどうか、沼津市教育委員会で宝蔵を調査した時の資料を調べるので、1日だけ時間が欲しい、ということでした。

 

翌日、約束通り、沼津市教育委員会の担当者A氏から連絡が入って、正式な回答がありました。

その結果は、「戒壇の大本尊・彫刻の木くず」なるものや「秘蔵抄」の写本は、光長寺宝蔵の宝物の中には確認できない。国、県、市指定の文化財の中にも、そのようなものはない、ということでした。

つまり、沼津市教育委員会で光長寺宝蔵の中の宝物を調査した時に、「戒壇の大本尊・彫刻の木くず」や「秘蔵抄」の写本というものは、なかったということです。

岡宮・光長寺2・御宝蔵1

 

それから、宝物資料として、岡宮・光長寺が出版した正式文献としての冊子「日蓮大聖人の御伝教」「宗祖日蓮大聖人七百遠忌記念」「御法門御聞書」が三冊あるが、いずれの冊子の中にも、光長寺の宝物として、「戒壇の大本尊」の木くずや「秘蔵抄」の写本の記載はないとのこと。

つまり沼津市教育委員会に出した宝物に関する光長寺としての正式見解としても、「戒壇の大本尊」の木くずや「秘蔵抄」の写本があるという記載はないとのこと。

つまり岡宮・光長寺としても、光長寺の正式見解として「戒壇の大本尊」の木くずや「秘蔵抄」の写本があるとは言っていない、ということです。

沼津市教育委員会の担当者A氏が云く「こちらで確認できないものが、あると言われても、困りますねえ」とのこと。いずれにせよ、この調査により、光長寺の宝蔵には、「戒壇の大本尊」の木くずや「秘蔵抄」の写本も存在しないことが、はっきりしました。

 

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■法華宗本門流大本山・光長寺8(木くず・秘蔵抄は存在せず)

 

大石寺の「戒壇大本尊・彫刻の木くず」なるものや「秘蔵抄」という古文書が、本当に光長寺宝蔵の中に格蔵されているのか。まず確認する手段としては、光長寺に電話して僧侶に聞いたわけですが、その回答は「そういうものは、聞いたことがない」というものでした。

明治時代、日蓮正宗大石寺52世法主・鈴木日霑が「伝説」と称して言っている「大石寺は『戒壇の大本尊』を格蔵しているが、板本尊の墨で書いた文字を削り取ったので、宗祖日蓮の法魂は木屑のある岡宮・光長寺にあることになる。大石寺にあるのは、蝉(せみ)の蛻(ぬけがら)だけみたいなものだ」という話しについても、「そんな話しは聞いたことがない」「今の光長寺は、そういうことは言っていません」とのこと。

光長寺20本堂

 

光長寺の僧侶の回答は、かくなるものでしたが、「そういうものは、聞いたことがない」というのは、「本当は存在しているのに、その僧侶が知らない」という解釈も成り立たないわけではない。

そこで光長寺に行って、しかるべき役僧に質問してみたいと思ったわけですが、行って見ると塔中坊から僧侶があわただしく出てきて、車に乗ってどこかに行ったり、あるいは車に乗った僧侶が境内にすべり込んできて、車からあたふたと降りて、あわただしく塔中坊に駆け込んでいったり…。

あるいは塔中を歩いている僧侶に私があいさつすると、「どーも」とは言うのですが、鞄を片手にあたふたと急ぎ足で境内のどこかに消えていった僧侶もいました。

私の顔が見慣れない顔のせいなのか、どこか僧侶のほうが避けているように見えました。外で見かけた僧侶は一見して、年寄りの僧侶ではなく、若手の僧侶に見えましたが。

 

私としては、何とかして光長寺の僧侶の話を面談にて聞こうと思い、庫裡・方丈に行き、方丈にあった受付の窓口らしき所にあったインターホンを鳴らしてみたのですが、誰も出てきません。

何度、インターホンを鳴らしても全く応答なしでした。

境内を僧侶が歩いている姿を見かけるので、方丈に誰もいないはずがないと思うのですが。どこかに防犯カメラでも設置されていて、見知らぬ顔の来訪者だと、出てこないのかなと勘ぐりたくもなります。

 

そこで私としては、別の方法をとることにしました。というのは、光長寺宝蔵の前には、沼津市教育委員会が建てた、下記の立て看板が立てられています。

 

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■法華宗本門流大本山・光長寺7(木くず・秘蔵抄の調査2)

 

「秘蔵抄」については、すでにmixi「アンチ日蓮正宗」コミュニティの

「『百六箇抄』(具騰本種正法実義本迹勝劣正伝)なる相伝書は日蓮真筆ではない。後世の石寺法主・9世日有の偽作だ」のトピック・検証39・検証40にて、先行して書いています。

「『百六箇抄』(具騰本種正法実義本迹勝劣正伝)なる相伝書は日蓮真筆ではない。後世の石寺法主・9世日有の偽作だ」

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=61970478&comm_id=406970

 

「本因妙抄、百六箇抄、本尊七箇相伝、産湯相承の合本」の「秘蔵抄」とか言っても、何の事やら、わからない方もいらっしゃるかもしれませんので、もう一度、概略を書いておこうと思います。

「本因妙抄、百六箇抄、本尊七箇相伝、産湯相承の合本」の「秘蔵抄」とは、日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨が著書「隠れたる左京日教師」の中で述べているもので、静岡県沼津市の岡宮・光長寺の学頭・大林日有氏から左京阿闍梨日教の前名・本是院日叶の史料を得たことを明かして、次のように書いている。

 

「岡宮にて得たる日叶師の史料とは、本因妙抄、百六箇抄、本尊七箇相伝、産湯相承の合本の奥書なり。この写本は筆者不明なりといえども、最奥に寂光寺(顕本法華宗)の貫首なる通義日鑑の直筆の記文あれば、ほぼその時代を得。また日鑑はこれを隣地の要山より得しものなるべし。

その奥書に云く

本云本是院日叶之(原本は日叶師のものなりしや)

本云、…以前、此の秘蔵抄を先師日耀より相伝有りと雖も当(雲州)乱馬来本堂院坊破壊畢ぬ。然る間本尊聖教皆々紛失…

文明十一年八月二十八日 日叶在判

唯我与我の大事、七面七重の大事並びに産湯の大事等に付き、相承云之り在り。然るに選略の分なり。但し去る文明九年、堺の乱に依り、諸聖教等を淡州岩屋に運び、而に彼の在所焼失、彼の所に於いて焼き畢ぬ。又、先年、有る人の方より七面七重の相伝を畢ぬ。此の本は広く悉く也と雖も、不審多多也。…然る処に本是院日叶上人より送り給うて、相伝の恩備に預かり畢ぬ。…

文明十七年巳十月十九日   八十六歳日乗在判

本云 調御寺日乗上人に授与し奉る

文明十五年卯五月十五日   日叶在判」

(日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨の著書「隠れたる左京日教師」p5860)

59世日亨2

 

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日蓮本宗本山・要法寺20(謎の本尊・附法の曼荼羅)

 

京都要法寺には、「称徳符法の曼荼羅」の他にも、「附法の曼荼羅」「付法第一の本尊」「大日本国護衛の本尊」といった、謎めいた本尊が格蔵されている。

中でも「建治二年(1276)正月元日」の日付がある「附法の曼荼羅」は、要法寺では日蓮から日興への「血脈付法の真印」と位置付けられている本尊ということである。これについては、富谷日震の著書『日興上人正伝』において、

「(三)付法の曼荼羅

建治二年(一二七六)正月元日、本尊を図し重ねて師に賜う。脇書に云く、付法沙門日興授与之 称徳付法の曼荼羅と共に両幅三元の本尊と称し奉る、これ血脈付法の真印として日尊上人相伝し、これまた京都・要法寺に蔵す。」(『日興上人正伝』p31

と書いている。「血脈付法の真印」という位置づけは、ここから来るようである。

 

「附法の曼荼羅」の曼荼羅の相については、かつて要法寺機関紙『要法』406号の2面に載ったという「附法の曼荼羅」の写真を、東佑介氏がブログに載せている。

附法漫荼羅1


「京都要法寺所蔵『附法漫荼羅』について」

http://blog.livedoor.jp/naohito_blog/search?q=%C9%ED%CB%A1%A4%CE%D2%D8%E8%B8%CD%E5

 

この写真を見る限り、曼荼羅の相はあまりにも不鮮明で、判読は不可能に近い。そういう不鮮明な曼荼羅の相から、東佑介氏は、強引に曼荼羅の相を判定して偽筆説を導き出そうとしているが、これはあまり説得力がない。

「仏教宗学研究会」も「建治二年(1276)正月元日」の日付がある「附法の曼荼羅」は偽筆であるという説には賛意を表するが、東佑介氏の偽筆説の組み立て方は、誤りであるという見解である。

「仏教宗学研究会」の「附法の曼荼羅」偽筆説は、以下の通りである。

 

1 日蓮は弘安5(1282)10月、死去の直前に六老僧を決め、その序列を「不次第」としている。少なくとも、日蓮は日興一人に附属しておらず、日蓮の死後を六老僧に託している。

この史実からすれば、建治二年(1276)の段階で、日興一人を日蓮が法を附属するなどということをするばずがない。

2康永3(1344)68日、日尊が日印に授与した付弟状、要法寺14世日賙、15世日性、16世日恩、18世日陽の要法寺相承目録の中に、称徳符法の本尊も附法の曼荼羅も出てこない。

附法の曼荼羅が「血脈付法の真印」であるならば、康永3年の付弟状、要法寺相承目録の中に、称徳符法の本尊も附法の曼荼羅も出てこないというのは、明らかな矛盾である。

3 要法寺中興の祖・13世広蔵院日辰の著書「祖師伝」の日蓮伝、日興伝をはじめ、いずれの僧の伝記にも、称徳符法の本尊も附法の曼荼羅も全く出てこない。もし本当に「血脈付法の真印」という重大な曼荼羅が実在していたならば、日辰が書き残さないはずがない。

 

この三点において、要法寺の附法の曼荼羅が、13世日辰、14世日賙、15世日性、16世日恩、18世日陽より後の時代、江戸時代に入ってからの偽筆曼荼羅であることが明らかである。

 

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■法華本門寺根源(北山本門寺)13(日蓮銅像がある北山)

 

日蓮正宗を含む富士門流と、富士門流以外の日蓮宗の間における、伽藍・堂宇・化儀について、大きな違いについて、もうひとつ特徴的なことというのは、日蓮の銅像です。

日蓮の銅像というのは、日蓮宗の寺院に行くと、あっちこっちの寺にあります。例えば…

千葉・清澄寺、鎌倉・妙本寺、池上・本門寺、佐渡・根本寺、京都・本能寺、鎌倉・霊光寺、鎌倉・長勝寺、岡宮・光長寺、等々、といった具合で、日蓮宗や法華宗の寺院では、それこそあっちこっちでよく見かける日蓮の銅像なのですが、これがどういうわけか、富士門流の本山・寺院に来ると、日蓮の銅像というものがないわけです。

 

日蓮正宗大石寺やその末寺、下条・妙蓮寺、讃岐本門寺、日向定善寺、さらに西山本門寺、保田妙本寺、京都要法寺等々にも、日蓮の銅像というものを見たことがありませんでした。

つまり、富士門流の本山・寺院には、日蓮の銅像がないのですが、ところが、例外的に、この北山本門寺には、日蓮の銅像が雄々しくそびえ立っているわけです。

北山本門寺27日蓮銅像


 

この日蓮の銅像の謎というのも、なかなか面白いものがあります。日蓮正宗では、大石寺にも末寺にも、日蓮の銅像というものが、ひとつもありません。これは、大石寺にないわけですから、末寺も造らないのだと思われます。

では、富士門流では、なぜ日蓮の銅像を閉てないのか。これは別に、建てた方がいいと言っているわけではありません。

 

まあ、教義上、日蓮本仏論を立てている日蓮正宗や富士門流に、日蓮の銅像が無く、日蓮本仏論を立てていない日蓮宗の寺院に、日蓮の銅像が立っているのを見ると、なんとなく面白く見えます。

 


 

 

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