カテゴリ:仏教教学全般 > 仏教と日本文化・怨霊信仰・御霊信仰
#397 奈良・平安時代は朝廷公認の戒壇で授戒した僧侶のみが僧侶として公認された・一般庶民が仏教を信仰したのは鎌倉時代以降・日本古来からの怨霊信仰について
第一に、奈良・平安・鎌倉時代前期ぐらいまでは、朝廷公認の戒壇で受戒した僧侶のみが、僧侶として認められた。その他は全て私度僧(ニセ坊主)とされた。朝廷公認の戒壇とは、奈良時代は東大寺戒壇院、太宰府戒壇院(西戒壇)、下野国薬師寺戒壇の、いわゆる「天下の三戒壇」 ...
鎌倉妙本寺(2)~なぜ比企能員の乱で比企能本(大学三郎能本)だけが生き残ったのか
■鎌倉妙本寺2(なぜ比企能本だけが生き残ったのか) □なぜ比企能員の乱で比企能本(大学三郎能本)だけが比企能員の乱で生き残ったのか 鎌倉妙本寺の境内は実に広い。ここが鎌倉幕府の有力御家人・比企能員の屋敷跡ということだから、鎌倉時代初期のころの比企一族 ...
宇治平等院(4)~平等院鳳凰堂でひたすら極楽往生を願っていた摂関家・藤原氏
■宇治平等院4(摂関家・藤原氏) □藤原摂関家・平安貴族たちが「観想念仏」をするために建てられた平等院鳳凰堂 実際に、平等院鳳凰堂の見学に行って、平安時代の日本において、他に比類する者がいないくらい絶大な権勢をふるっていた摂関家・藤原氏においてすら ...