■園城寺(三井寺)4(閼伽井屋)

 

園城寺(三井寺)の起源についての通説は、概ね次の通りである。

大津京を造営した天智天皇は、念持仏の弥勒菩薩像を本尊とする寺を建立しようとしていたが、生前にはその志を果たせなかった。天皇の子の大友皇子(弘文天皇)も壬申の乱のため、25歳の若さで没している。弘文天皇陵はこの園城寺にほど近い所にある。

大友皇子の子である大友与多王は、父の菩提のため、天智天皇所持の弥勒像を本尊とする寺の建立を発願した。壬申の乱で大友皇子と敵対していた天武天皇は、朱鳥元年(686年)この寺の建立を許可し、「園城寺」の寺号を与えた。「園城」という寺号は、大友与多王が自分の「荘園城邑」(「田畑屋敷」)を投げ打って一寺を建立しようとする志に感じて名付けたものという。

「三井寺」の通称は、この寺に涌く霊泉が天智・天武・持統の3代の天皇の産湯として使われたことから「御井」(みい)の寺と言われていたものが転じて三井寺となったという。

「御井」(みい)の寺の由来になった井戸が「閼伽井屋」(あかいや)とよばれる井戸で、現在、国の重要文化財に指定されている。後に智証大師が園城寺の厳儀・三部灌頂の法水に用いたという。

これは、金堂の西に接して建つ小堂で、慶長5年(1600年)、金堂と同じく北政所によって建立された。堂内には三井寺の名の起こりとなった霊泉が湧出している。

もちろんこの霊泉が天智・天武・持統の3代の天皇の産湯として使われたということからして、小堂そのものは北政所によって建立されたものだが、霊泉は天智・天武・持統天皇の御代からあったと考えられる。

閼伽井屋1

 

この園城寺・閼伽井屋以外で、「閼伽」の文字が使われている所は

□閼伽井嶽薬師

福島県いわき市平赤井にある水晶山玉蔵院常福寺(真言宗智山派)。「大師堂・弘法水」という堂宇は、弘法大師を祀り、堂は一大老楓の巨木を擁し放生池にい臨み、その下厳石の凹所より清泉を湧出している。昔弘法大師独鈷を以て岩石を穿ち湧出せしめた霊泉、如何なる大旱にも涸るることなく、毎晨朝本尊薬師如来に供する閼伽水となしているという。

□閼伽井坊塔婆

山口県下松市の八幡宮日本十六塔のひとつで、高さ13m、柿葺屋根の閼伽井坊塔婆(多宝塔)がある。、閼伽井坊は、花岡八幡宮の社坊九か寺の一つで現在は真言宗御室派の寺院。「閼伽」は仏に供える清浄な水をいい、閼伽井とはこれを汲む井戸のことをさす「閼伽」だが、実際に井戸があるのかどうかは定かではない。

□東大寺二月堂 閼伽井屋

鎌倉時代に建立された切妻造の建物で、国の重要文化財に指定されています。霊水の湧く「若狭井」の覆屋である。

□光明寺・閼伽井の水

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