■福井・永平寺5(道元禅師の真廟がある永平寺承陽殿)

 

曹洞宗大本山永平寺には、日本曹洞宗宗祖で永平寺開祖である道元禅師の霊骨が格蔵・祀られている。道元禅師の霊骨が祀られている堂宇は承陽殿という名の堂宇。承陽殿の名は道元禅師が明治天皇より下賜された「承陽大師」号。そして明治天皇より下賜された「承陽」の勅額に由来する。「承陽」の勅額は承陽殿の拝殿に掲げられている。

承陽殿に隣接している孤雲閣は、道元禅師に給仕した永平寺2世孤雲懐弉禅師に由来する。孤雲懐弉禅師は、道元禅師の生前、滅後にわたって側に在って給仕孝順を尽くした。それにちなんで、孤雲閣は、道元禅師真廟に奉仕する修行僧の詰め所になっている。孤雲閣には僧侶が常勤し、未来永世にわたって道元禅師に給仕する姿をあらわしている。

そういえば身延山久遠寺に日蓮の真骨堂があるが、久遠寺法主をはじめ、日蓮宗僧俗が常に日蓮に給仕奉仕する意味があるという。

仏教各宗派の宗祖の真廟・正墓は、宗派にとって最も大切な所であり、各宗派とも宗祖に未来永世にわたって給仕奉仕する意味を持たせているのは、至極当然のことと思う。法然の真廟は京都知恩院の他、数十ヶ寺にあり、親鸞の真廟は西大谷、東大谷、浄興寺等にある。栄西の真廟は建仁寺にあり、日蓮の真廟は身延山久遠寺の他、鎌倉本覚寺、京都妙伝寺等にある。伝教大師最澄の真廟は比叡山延暦寺にあり、弘法大師空海の真廟は高野山にある。

それぞれの仏教各宗派の総本山、祖山といわれる寺院に真廟がある。

永平寺承陽殿は、宗祖・道元禅師の真骨を祀る真廟。明治14(1881)に改築された。

正面壇上奥に道元禅師、永平寺2世孤雲懐弉禅師の像と霊骨を奉安する。さらに永平寺3世、4世、5世ならびに宝山禅師の像を祀っている。承陽殿内には、本山歴代禅師、宗門寺院住職の位牌が祀られている。

 

さて承陽殿下段右側には「玄明首座」という位牌が祀られている。

1247(宝治1)83日、道元は鎌倉に下向し、北条時頼に菩薩戒を授け俗弟子のために説法した。北条時頼は寺院を建立して道元を招請したが、これを辞退。さらに北条時頼は、越前国に2000石の寺領を寄進したが、道元はこれも辞退した。道元に随行した玄明首座は、この寄進状の使いにあてられ、永平寺に帰って自分の売名を大衆僧俗に得意になって語ったという。

これを聞いた道元は、玄明首座の態度を罰し、堂内より擯出し、玄明首座の座禅をしていた僧堂の縁を切り取り、土台の土七尺も掘って捨てたという。

1902(明治35)5月、道元禅師650遠忌に明治天皇より「承陽」の勅額が下賜され、道元650遠忌大法要に出仕した高僧10名が発願して時の永平寺貫首・森田悟由禅師に玄明首座の恩赦を請願。森田悟由禅師が玄明首座に代わって道元禅師真前にて大展懺悔を行った。

これで何と650年ぶりに玄明首座の破門追放が赦免されることになった。

承陽殿に祀られている位牌の裏には、その由来が書かれているという。滅後650年において、後世の貫首によって破門が許されたというのも、珍しいケースであると同時に、注目に値すると思われる。この逸話から、道元禅師という人が、かなり厳格な人柄だったことが窺える。

永平寺52承陽殿 

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