■京都知恩院3(法然御廟)

 

□法然の弟子・源智が大谷廟堂を修理し法然の真骨を納めて建立した知恩院の法然御廟

 

知恩院には、法然御影像を祀る御影堂の他に、本尊である阿弥陀仏像を祀る阿弥陀堂がある。浄土真宗本山に行くと阿弥陀仏を祀る阿弥陀堂と親鸞御影像を祀る御影堂の二堂が中心堂宇として並んで建っているが、知恩院も阿弥陀堂と御影堂の二堂が中心堂宇として建っている。

御影堂のちょうど向かい側に泰平亭という名の売店・休息所がある。ここにたくさんの参拝人が入っている。売店で知恩院のグラビア写真集を買ったら、売店の女性が何と私に合掌礼。これには、びっくりしてしまいました。

さて「平成の大修理」工事中の御影堂の東側から経蔵を通って法然御廟へと足を運んだ。御廟に行くには、長い石段を登って行かなくてはならない。長い石段を登った突き当たりを左に曲がると、知恩院最古の堂宇・勢至堂がある。ここは法然終焉の地である大谷禅房の旧跡で、1530(享禄3)年の再建。御影堂ができる前は、この勢至堂が知恩院の中心堂宇だった。法然の幼名・勢至丸ゆかりの勢至菩薩像を祀る。この勢至堂がある所からさらに石段を登って、もう一段上の地に行くと、そこに法然御廟がある。ここに浄土宗元祖・法然の遺骨が納められている。

参詣人が立ち入ることが出来るのは法然御廟の手前に建てられている拝殿まで。拝殿でお賽銭を入れて参拝。御廟も拝殿も実に質素な造りになっている。

曹洞宗大本山永平寺にある道元禅師御廟の拝殿は「承陽殿」という大きな堂宇になっているし、日蓮宗総本山・身延山久遠寺の日蓮御真骨堂の拝殿も大きな堂宇である。大谷本廟(西大谷)の親鸞廟の拝殿も大きな堂宇。それに比べたら知恩院法然御廟の拝殿はまことに質素である。

さて泰平亭で買った知恩院グラビア「浄土宗総本山知恩院」には、法然の生涯とその亡骸がどうなったのか、遺骨がどこに納められたのかについて、知恩院の公式見解が載っている。それによれば、1212(建暦2)125日、法然は80才で入寂。門弟たちは、今の知恩院勢至堂がある場所、大谷禅房の傍らに法然の墳墓をつくった。その15年後の1227(嘉禄3)年に比叡山の宗徒が大谷禅房にあった法然の大谷廟堂を破脚。そこで弟子たちは、法然の亡骸を西山栗生野に移して荼毘に付した。ということは、当初、法然の亡骸は大谷廟堂に土葬にされていたということで、法然入寂の15年後に火葬にされたということになる。

そして1234(文暦元)年、法然の弟子・源智が大谷廟堂の荒れ果てた墓所を修理し、法然の真骨を納め、仏殿、御影堂、総門を建てて、知恩院大谷寺と号し、法然を開山第一世とした。つまり知恩院の御廟にある法然真骨は、源智によって当地に納められ、現在に至っているということである。

法然御廟5


 


















(法然御廟入り口門前)

法然御廟2


 


















(法然御廟に登っていく長い石段)

法然御廟14


 

































(法然御廟門)

法然御廟11 



















(法然御廟拝殿)

 

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