仏教宗学研究会のブログ

「仏教宗学研究会」とは会の名称。「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判・糾弾は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」が管轄。「仏教宗学研究会のブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。「仏教宗学研究会」と「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」は表裏一体の同体異名。日蓮正宗、創価学会・SGI・顕正会・正信会、さらに富士門流執着軍団…らを批判する主旨は同じ。 (背景写真は高野山真言宗総本山・高野山奥の院灯籠堂参道)

「仏教宗学研究会」とは「アンチ日蓮正宗」管理人が設立した会の名称。この会の中で、「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄。
「仏教宗学研究会のブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。富士門流執着軍団批判は「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄だが、「日蓮正宗系」以外の富士門流寺院の調査・研究は「仏教宗学研究会のブログ」の管轄。
「仏教宗学研究会」への誹謗中傷に対する反撃・糾弾は「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄。
さらに正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗」の公式サイト「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」から、カルト宗教対策、カルト宗教取締特別立法、カルト宗教拡散防止条約制定の活動部分を独立させたものが「国際カルト宗教対策委員会(Icat-Cult)」

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富士門流紛争地・上井出の御穴

上井出・御穴(3)~大石寺52世鈴木日霑と北山本門寺34代玉野日志の霑志問答に出てくる御穴調査3

■上井出・御穴3・大石寺52世鈴木日霑と北山本門寺34代玉野日志の霑志問答に出てくる御穴調査3

 

私は、車で人穴から富士宮市役所に行き、市役所の駐車場にすべり込んで車を停め、市庁舎の中に入っていきました。入っていったのはいいのですが、さて、どの係の、誰に聞いたらいいのかさっぱりわからない。そこで、まずは玄関先にあった市庁舎の総合案内に行き、係の女性に事情を説明。

「実は、私は、人穴の調査で東京から来たのですが、実際に人穴に行ってみたところ、狭い穴らしきものはありましたが、中には入れませんでした。人穴の入り口には、富士宮市の看板が立てられていて、源頼家の富士の巻狩や富士講の千日行について、簡単に触れられていただけでした。

富士宮市の看板が立てられていたので、富士宮市の係の人に、人穴の詳しい話を聞きたいのですが…」

 

こう話すと、総合案内の女性から「少々お待ち下さい」と言われ、富士宮市役所玄関の片隅にあった椅子に座らされ、延々と2030分くらい、待たされました。

「いつまで待たされるんだろうか」と待ちくたびれはじめてきたところ、そこに何と富士宮市教育委員会に勤務する男性2名が現れ、この二人に、いろいろと話を聞くことができた。

富士宮市教育委員会に勤務する二人の男性の説明は、概略、以下のようなものでした。

「人穴とは、江戸時代に冨士信仰の修行の場になった聖地で、1558(永禄1)年ころ、富士講の開祖・長谷川角行がここに来て修行をした」

「人穴の洞窟の中には、その時代にできたとされる石仏が祀られている」

私も二人の男性にいろいろと質問をし、二人の男性も私の質問に対して、かなり懇切丁寧に回答してくれましたが、人穴とは、あくまでも富士講の修行の場であった、というもので、日蓮正宗大石寺の御穴伝説なるものとは、全くの無関係である、というのが結論。

富士宮市教育委員会では、富士講の関連史跡であるとして、人穴を「史跡人穴」と呼んでいるということである。

そうすると日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨が「冨士日興上人詳伝」で書いているように、御穴伝説そのものが、デタラメ極まりない伝説だった、ということになります。堀日亨の師匠で、堀日亨より先代の大石寺52世法主鈴木日霑は、霑志問答で、「御穴は明治時代まであった」などと述べているが、その信憑性は極めて低いと言える。まあ、大石寺の伝説なるものの正体とは、所詮、そんなものなのかもしれませんが。

 人穴1

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上井出・御穴(2)~大石寺52世鈴木日霑と北山本門寺34代玉野日志の霑志問答に出てくる御穴調査2

■上井出・御穴2・大石寺52世鈴木日霑と北山本門寺34代玉野日志の霑志問答に出てくる御穴調査2

 

日蓮正宗大石寺が「戒壇の大本尊」偽作を秘匿・隠蔽するためにデッチ上げた「御身代わり板本尊」の「御穴伝説」を、日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨が、否定しているから面白い。

「御穴伝説」を認めた鈴木日霑の見解を載せた「霑志問答」を収録している「富士宗学要集」を編纂した堀日亨は、自らの著書「富士日興上人詳伝」の中で、こんなことを言っている。

 

「ここに加上した伝説が、いまから二百年くらい前に、家中抄以後百年後ぐらいに出来しておる。駿河国駿東郡井出の御穴(伝説)がそれである。身延山が波木井一家を総動員して、大石寺の戒壇本尊を略奪に来る風聞で、大石では南条一家総がかりで、これを防ぎ止めた云々との文献があるといえる御僧があったから、その書を請求したが見せてくれずに死亡した。…

日有上人御時代には、身延の波木井家本家が八戸に移りし後が衰微し、上野の南条家もまたふるわず、たがいに百、二百の軍勢を繰り出すほどの力はない。…

井出某の屋敷内に御穴といって信徒が詣る時代があった明治年中まで--。その御穴に隠匿して盗難を防ぐこと長かりしかば、本山では御身代わりと称して、日有上人代御彫刻の紫宸殿本尊を安置したともいうが、御写の年代も異にして、大聖の授与書もなく、有師(日有)より日伝に授与したもので、また、だいぶ小形のものである。

その幾年かの間に、穴中の湿気のために四隅が朽欠したるを、雲形をもって巧みに隠してありともいっており、裏に種々の縁起が彫刻されてあると、真実(まこと)しやかに密告する役僧があったので、自分(堀日亨)が貫首(法主)代に役僧を立ち会わせて密査したのに、以上の伝説は真っ赤な虚説(うそ)であり、全面堅石のごとき楠板で、少しの瑕瑾(きず)もない。

これをもって房州(保田妙本寺)系の古記に、建武初年の争いに、大石寺の正御影を持ち出す時、戒壇本尊に手を掛けたが、大石の大衆、鎹(かすがい)を打っていたから持ち出せなかったと書いておる。…これも拝見の序に虚説(うそ)が顕れた。以上の馬鹿気(ばかげ)た伝説は一掃しておいて…」(堀日亨の著書「富士日興上人詳伝・上」p287289)

 

堀日亨は、「御穴伝説」並びに「御穴伝説」に付随して起こったさまざまな伝説を全て「真っ赤な虚説(うそ)」「馬鹿気(ばかげ)た伝説」と言って、全面否定しているのである。

そもそも「御身代わり本尊」も「御穴伝説」も、日蓮正宗大石寺9世法主日有が「戒壇の大本尊」偽作の事実を秘匿・隠蔽するためにデッチ上げたもの。

日蓮正宗史、富士門流史をくまなく精査していけば、どこをどうつついても、日蓮正宗大石寺のデッチ上げは明らかになる。日蓮正宗・富士門流の古文書等々を綿密に調査した堀日亨と雖も、「御穴伝説」は否定せざるを得ない。

しかし、そういう立場にある堀日亨が「御穴伝説」を否定したということは、暗に「戒壇の大本尊」なる板本尊が後世の偽作であることを実質的に認めたようなものだ。そういう意味で、この堀日亨の「御穴伝説」否定は、とても重みがあるものである。

59世日亨2 

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上井出・御穴(1)~大石寺52世鈴木日霑と北山本門寺34代玉野日志の霑志問答に出てくる御穴調査1

■上井出・御穴1・大石寺52世鈴木日霑と北山本門寺34代玉野日志の霑志問答に出てくる御穴調査1

 

富士宮市の「人穴」と言うと、「何ですか、それは」と言われてしまいそうですが、この人穴は、日蓮正宗大石寺の「戒壇の大本尊」偽作問題に関連する調査活動の一環として、「戒壇の大本尊」の「御穴伝説」の調査として、ここを訪れたものです。

「御穴伝説」というのは、明治時代初期のころ、日蓮正宗大石寺52世鈴木日霑法主と北山本門寺34代玉野日志貫首の間で行われた「霑志問答」の中に出てくる。

「蓋し日有の彫刻せる本尊とは、宗祖の御真筆・紫宸殿の本尊と称する者之れを模写して彫刻せし事あり。伝え言ふ、其の時乱離の世に乗じ身延の群徒来りて戒壇の本尊及び其の他の諸霊宝を占掠せんとの説あるによって、日有計って真の本尊及び諸霊宝をば駿東郡東井出村井出某氏の窖(あなぐら)に蔵し、---此の家の子孫今に連綿し村内一之旧家で今の家主は弥平治と号す。此の窖今に存し御穴と称し常に香花を供すと云々---日有彫刻の本尊を仮立して且らく戒壇の本尊に擬せしとなり。事鎮静の後、日有自判を加え是れを鳥窪の住僧日伝に授与するの文字あり。是れ則方今天王堂に安置せる板本尊是れなり。惟ふに後世之れを訛伝して、日有、真の戒壇の本尊を彫刻するの説あるか知るべからず」(日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨編纂『富士宗学要集』第7巻問答部「両山問答」p101102より)

------ただし、日有が彫刻した板本尊というのは別に存在している。それは宗祖日蓮大聖人の御真筆の本尊である「紫宸殿の本尊」と称する本尊を板に模写して彫刻した板本尊がそれである。

日蓮正宗大石寺には、古来からの言い伝えとして、次のような話しがある。

日有の時代、戦乱の世に乗じて身延山久遠寺の群徒が大石寺に押し寄せて「本門戒壇の大御本尊」の他、大石寺の霊宝を強奪しようとしているとの説が流れたので、日有が「本門戒壇の大御本尊」とその他の霊宝を一時的に駿東郡東井出村井出某氏の穴蔵に隠した。---この井出家の子孫は現在まで大石寺の根檀家として連綿していて、大石寺のある上野村では随一の旧家である。今の井出家の当主は弥平治と言い、その時の穴蔵は今でもあり、常日頃から線香とシキミの花を供えている---そして大石寺には日有が彫刻した板本尊を仮に立てて、しばらくの間、「本門戒壇の大御本尊」に擬していたのである。身延の群徒たちの動きが鎮静化した後、この板本尊に日有が自らの判形を加えて、鳥窪の寺の住職日伝に授与したとの日有がその板本尊に書いた文字が残っている。この板本尊とは、今の大石寺の天王堂に安置している板本尊のことである。私が思うに、後世の者がこの話しを誤って伝えて日有が「本門戒壇の大御本尊」を彫刻したとの説が出たのではないか----

戒壇本尊1 

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