■諸宗山回向院3(善光寺出開帳3)

 

□明暦の大火・地震・飢饉・噴火の犠牲者慰霊塔の中に戦没者の慰霊塔だけがない回向院

 

回向院が創立された起源は、1657年(明暦3年)に江戸の町に起こった「明暦の大火」までさかのぼる。この明暦の大火では、10万人以上の人命が失われたのだったが、その犠牲者の多くは、身元や身寄りのわからない人々。江戸幕府四代将軍・徳川家綱は、このような無縁の人々の亡骸を手厚く葬るように、隅田川の東岸に土地を与えて「万人塚」という墳墓を設け、無縁仏の冥福を祈る大法要を行った。このときに、念仏を行じる御堂が建てられたのが、回向院の歴史のはじまりである。回向院は正式名を「諸宗山無縁寺回向院」といい、火事や地震の犠牲者、溺死者、遊女、水子、刑死者、諸動物など、ありとあらゆる生命が供養されている。

回向院の境内には、明暦の大火の他、安政二年の大地震、天明三年の浅間山噴火、天明三年の信州・上州大地震、天明の奥羽飢饉、関東大震災等の供養塔・慰霊碑が並んでいる。このように様々な供養塔・慰霊碑が並んでいるが、戦没者・戦死者の供養塔がない。1853年(嘉永6年)のペリー来航以降の日本国内外の事変・戦争等、国事に殉じた軍人、軍属等の戦没者を「英霊」と称して祀るのは靖国神社であり、第二次世界大戦の戦没者の遺骨のうち、遺族に引き渡すことができなかった遺骨を安置しているのが千鳥ケ淵戦没者墓苑である。

靖国神社や千鳥ケ淵戦没者墓苑があるから、回向院では戦没者の供養塔や慰霊碑がないということなのだろうか。回向院は、火事や地震の犠牲者、溺死者、遊女、水子、刑死者、諸動物など、ありとあらゆる生命を供養する寺院ということだが、戦没者の供養塔がないのは「?」と思う。

回向院は浄土宗の寺院であるが、善導の『観経正宗分散善義』巻第四の中の、

「一心に弥陀の名号を専念して、行住坐臥に、時節の久近を問はず、念々に捨てざる者は、是を正定の業と名づく、彼の仏願に順ずるが故に」という文に影響されて、日本で専修念仏を唱道したのが浄土宗宗祖・法然。専修念仏とは、仏の救いは念仏を唱える「称名念仏」によって得られるという思想。即ち、ただひたすらに念仏をを唱えることで、いつでも、どこでも、誰でもが平等に阿弥陀仏によって救われて極楽浄土に往生できるという教えは、日本の大衆の心をとらえて、日本全土に弘まった。浄土宗・浄土真宗の教線拡大により、日本全土に「称名念仏」が弘まり、ここから「死んだ人は皆、仏様」という日本人の生死観が生まれた、というのが定説になっている。

日本人の生死観は「死んだ人は皆、仏様」だから、どんな極悪人でも死刑が執行されたら、それ以上は追及しない。実質的にその時点で免罪されてしまう。日本人の生死観は、日本の伝統文化として大衆に深く定着している。源流を法然・浄土宗とすれば少なくとも800年以上の歴史がある。

回向院が、火事や地震の犠牲者、溺死者、遊女、水子、刑死者、諸動物など、ありとあらゆる生命を供養するのは、やはり浄土宗の「死んだ人は皆、仏様」という思想・教え・生死観が源流にあることは、疑いのないところであろう。

回向院12 











(回向院境内に並ぶ明暦大火、安政大地震、浅間山噴火、天明飢饉、関東大震災等の慰霊碑)

回向院10 
















(海難事故犠牲者供養塔の案内板)

 

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