仏教宗学研究会のブログ

「仏教宗学研究会」とは会の名称。「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判・糾弾は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」が管轄。「仏教宗学研究会のブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。「仏教宗学研究会」と「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」は表裏一体の同体異名。日蓮正宗、創価学会・SGI・顕正会・正信会、さらに富士門流執着軍団…らを批判する主旨は同じ。 (背景写真は高野山真言宗総本山・高野山奥の院灯籠堂参道)

「仏教宗学研究会」とは「アンチ日蓮正宗」管理人が設立した会の名称。この会の中で、「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄。
「仏教宗学研究会のブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。富士門流執着軍団批判は「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄だが、「日蓮正宗系」以外の富士門流寺院の調査・研究は「仏教宗学研究会のブログ」の管轄。
「仏教宗学研究会」への誹謗中傷に対する反撃・糾弾は「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄。
さらに正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗」の公式サイト「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」から、カルト宗教対策、カルト宗教取締特別立法、カルト宗教拡散防止条約制定の活動部分を独立させたものが「国際カルト宗教対策委員会(Icat-Cult)」

□正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗」(アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ)
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仏教寺院で行われている厳しい修行・難行苦行・荒行

中山法華経寺(5)~鬼子母神堂の御開帳に参詣人の長蛇の行列ができていた中山法華経寺本院(2013年初詣)

■中山法華経寺5(2013年初詣)

 

□鬼子母神堂の御開帳に参詣人の長蛇の行列ができていた中山法華経寺本院(2013年初詣)

 

2013年の初詣は、千葉県市川市にある日蓮宗大本山・中山法華経寺に参詣しています。

中山法華経寺に参詣すると、それこそたくさんの人が参詣しているのが目に入る。中山法華経寺本院には、総受付があり、ここでは鬼子母神堂の御開帳での祈祷受付を行っており、たくさんの人が祈祷の申し込みをしている。私も初詣で、鬼子母神堂御開帳で祈祷をしてもらってきました。

私もいろいろな仏教寺院に参詣したが、祈祷を行っている寺院、行っていない寺院、護摩を焚く寺院、護摩を焚かない寺院等々、様々である。日蓮宗の場合は、祈祷は行っていますが護摩は焚かないですね。仏教寺院でも、祈祷を行っている寺院、あるいは護摩を焚く寺院は、参詣が多いように思う。

人はだれしも家内安全、交通安全、心願満足、夫婦円満、身体健全、商売繁盛等々の、さまざまな願い事があり、これらの祈祷をしてもらうために寺院に参詣する人は多い。私の2013年・中山法華経寺初詣のときも、たくさんの人が参詣に来ていて、鬼子母神堂には長蛇の行列ができていたくらい。私は、中山法華経寺初詣の時、家内安全、夫婦円満、心願満足、身体健全、商売繁盛、厄除け等を願う人は、どういう寺院に祈祷を願い出るだろうか、ということを考えてみた。

もちろん、祈祷を願い出る人から見て、祈祷を叶えてくれそうな寺院、祈祷が叶うと思われる本尊が祀られている寺院、自分にとって開運招福の寺院、縁起のいい寺院に行こうとすると思う。わざわざ縁起の悪い寺社には参詣しないと思う。

中山法華経寺の場合、宗祖・日蓮の小松原法難のときに、出現して日蓮を守護したと伝承する鬼子母神が庶民の信仰を集め、鬼子母神像を祀っている。きわめて自然なことだと思う。そういう日蓮を守護した守護神にあやかりたいと思うのは、自然な庶民感情ではなかろうか。

それともうひとつ。祈祷を行う行者が、中山法華経寺の場合は、百日の大荒行を満願した修法師が行う。修法師が庶民から開運招福の行者として人々の信仰を集める。これも自然な庶民の信仰心ではないかと思う。

私は、中山法華経寺の初詣の時に「祈祷とは何なのか」「なぜ人は祈祷を願い出るのか」ということを、改めて問い直す機会を得た。中山法華経寺初詣の期間中、中山法華経寺と塔頭・遠寿院では、まさに大荒行が修されている真っ最中だった。

 

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比叡山延暦寺(8)~「千日回峰」2度の天台宗大阿闍梨、酒井雄哉師が遷化

■比叡山延暦寺8(「千日回峰」2度の酒井雄哉師が遷化)

 

□記録が残る織田信長の焼き打ち(1571年)以降で3人目だった「千日回峰」2度目の達成

 

924日、天台宗大阿闍梨・酒井雄哉師遷化のニュースが流れた。読売新聞ニュースとmixiニュースから引用してみたい。

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「千日回峰」2度…大阿闍梨、酒井雄哉師が死去

天台宗総本山・比叡山延暦寺(大津市)に伝わる荒行「千日回峰(せんにちかいほう)」を2度達成した大阿闍梨(だいあじゃり)、酒井雄哉(さかい・ゆうさい)師が23日、歯肉がんで死去した。87歳。 延暦寺一山(いっさん)葬は27日午後0時30分、大津市坂本6の1の17生源寺(しょうげんじ)。喪主は弟子の藤波源信・大阿闍梨。自坊は同市坂本本町4239、延暦寺一山長寿院。

大阪市生まれ。39歳で得度した。54歳だった1980年には、地球1周にあたる約4万キロを7年かけて歩き、このうち9日間は不眠・断食で真言を唱え続ける荒行「千日回峰」を達成。記録の残る織田信長による比叡山焼き打ち(1571年)以降では、最高齢で「大阿闍梨」となった。60歳の87年には2度目も満行。3人目の快挙で、生き仏とたたえられた。

20139240309  読売新聞)

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<訃報>酒井雄哉さん87歳=大阿闍梨、千日回峰行2回

比叡山の荒行「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」を2度達成した天台宗大阿闍梨(だいあじゃり)の酒井雄哉(さかい・ゆうさい)さんが23日、心不全のため死去した。87歳だった。通夜は26日午後6時、葬儀は延暦寺一山葬として27日午後0時半、大津市坂本6の1の17の生源寺(しょうげんじ)。葬儀委員長は山本光賢(こうけん)延暦寺副執行(しぎょう)財務部長。自坊は大津市坂本本町4239の飯室不動堂長寿院。喪主は弟子の藤波源信(ふじなみ・げんしん)大阿闍梨。

1926年、大阪市生まれ。旧制中学を卒業後、鹿児島県で特攻隊員として終戦を迎えた。戦後は職を転々としたが、結婚2カ月の妻が自殺したことなどをきっかけに39歳で得度した。73年に90日間、堂にこもって念仏を唱えながら堂内を歩き続ける「常行三昧(じょうぎょうざんまい)」を達成した。80年10月には、比叡山中など計約4万キロのコースを7年かけて徒歩で順拝し、このうち9日間は不眠、断食などをする「千日回峰行」を達成。その半年後には2度目の挑戦を開始し、87年7月、60歳で満行した。千日回峰行は比叡山に伝わる修行で、これまで計50人が達成しているが、2度目の達成は、記録が残る織田信長の焼き打ち(1571年)以降で3人目だった。

90年に15年ぶりに下山し、講演活動などを通じて社会問題にも積極的に発言。自身が修行で体験した人間の極限状況を基に、教育問題や日本人の心のあり方を論じ、多くの人々の共感を呼んだ。 著書に「生き抜く力をもらう」(共著)「がんばらなくていいんだよ」などがある。

(20130924 13:20 毎日新聞・mixiニュース)

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中山法華経寺(3)~なぜ中山法華経寺で過酷な修行「荒行」が行われているのか1

■中山法華経寺3(なぜ中山法華経寺で荒行が行われているのか1)

 

□中山法華経寺塔頭遠寿院前にあった荒行堂ができた歴史的経緯を記す看板

 

中山法華経寺で有名なのは、荒行である。荒行堂は中山法華経寺本坊横と塔頭・遠寿院にある。「荒行」とは、過酷なほど厳しい修行ということだが、インターネットで調べると、中山法華経寺の荒行、比叡山延暦寺の千日参篭、インドのヨーガが世界三大荒行として出てくる。

中山法華経寺の荒行よりも比叡山延暦寺の千日参篭のほうが古いようで、源頼家の次男・公暁も千日参篭を行っていたということが1979(昭和54)年に放映されたNHK大河ドラマ「草燃える」に出てくる。岩下志麻演じる北条政子が「どうしてそんなに厳しい修行をしなければならないの」と言って公暁をいたわるシーンが出てくるのが印象に残る。

昨今、浄土真宗大谷派住職と懇談する機会があり、その中で仏教寺院の修行の話が出た。

大谷派住職は、日本仏教界で厳しい修行を行っている寺院として、福井・永平寺、比叡山延暦寺、そして中山法華経寺の荒行を挙げる。中山法華経寺の荒行が「最も厳しい修行だ」という。この住職が「最も厳しい修行だ」というのは、批判して言うのではなく、評価して言うのである。

そこで「浄土真宗はどうなんですか」と聞くと、真宗の場合は、宗門指定の学校、大学で数年間勉強するのが主であるという。「水行とか、滝に打たれるとか、厳しい修行はないのですか」と聞くと、「それはないねえ」との返答。

浄土真宗の場合は、葬儀、法事、命日の月参りで住職が来て読経する「檀家寺」が主であるようで、寺院の法要に参拝する熱心な門徒(信者)は、そんなには聞かない。私の祖母は熱心に真宗寺院の法要や行事に行っていたが、父母の代になると、葬儀、法事や命日の月参りに住職が来るだけになった。

祖母は熱心だったとは言っても、昔からの菩提寺の住職を嫌っていて、祖母の代でも父母の代でも菩提寺住職とトラブルがあった。父母の代になると、菩提寺住職とケンカをして離檀を宣言。その後、葬儀、法事や月参りには、他寺の住職が来ている。

私は特にどこの寺院に帰依するとか、どこの宗派に帰依するという気は全くないので、父親が他界した後は、葬儀にはどこかの寺院住職が来るようにはなると思うが、従前からの住職との繋がりも終焉になると思われる。

僧侶の修行という観点からすると、真宗住職も認めているように、浄土真宗で厳しい修行を行っているなどとは聞いたことがない。もっとも浄土宗、浄土真宗の宗旨は、南無阿弥陀仏を唱えれば極楽往生するという教え。難行苦行を積み重ねて成仏するという宗旨ではないから、そういう厳しい修行は行われていなかったのだと思われる。

それでも真宗大谷派住職の話しに依れば「昔はそれ(南無阿弥陀仏と唱える修行)でよかったんだけども、今はそれだけではダメなんですよ」ということで、いろいろな人生相談に応じたりという活動を行っているという。

遠寿院11荒行堂 

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中山法華経寺(1)~中山の鬼子母神、日蓮真蹟の格蔵、大荒行で有名な中山法華経寺

■中山法華経寺1(鬼子母神、日蓮真蹟の格蔵、大荒行で有名な中山法華経寺)

 

富木常忍(日常)開基・日蓮百日百座の説法・本化菩薩の初転法輪の霊跡の中山法華経寺

 

中山・法華経寺は、千葉県市川市中山二丁目にある日蓮宗七大本山の寺院で、正式な名前は正中山法華経寺。中山という地にあることから、通称・中山法華経寺と言われている。鎌倉時代の文応元年(1260年)創立とされている。開基檀那は富木常忍。日蓮・松葉ヶ谷法難の後、富木常忍邸に滞在して百日百座の説法を行ったことから、本化菩薩の初転法輪の霊跡という。

布教活動の中で幾度と無く迫害を受けた日蓮を、下総国千葉氏の家臣であった富木常忍と太田乗明は自分達の所領のある八幡荘に暖かく迎えた。富木は日蓮のために所領の若宮に寺を造営したが、法華寺と名付けられた。又、隣の中山の領主であった太田も自家の持仏堂を寄進し、これは本妙寺と名付けられた。天文14年(1545年)古河公方足利晴氏より「諸法華宗之頂上」という称号が贈られ、この時に法華寺・本妙寺を合わせた「法華経寺」という寺名が誕生。以後、両寺は事実上統合され、「法華経寺」という一つの寺院として認識されるようになっていった。

中山の鬼子母神として、古くから多くの参詣があり、立正安国論や観心本尊抄などの日蓮真蹟を多数所蔵する寺院として、あまりにも有名である。かつて中山法華経寺では、これらの国宝、重要文化財のものを含めた日蓮真筆は、113日、文化の日に年一度だけの「お風入れ」の儀が行われていたが、ここ数年、お風入れの儀は行われていない。まことに残念なことである。

境内地には、「中山大仏」と呼ばれる巨大な釈迦牟尼の仏像や富木常忍(日常)の像がある。フリー百科事典・Wikipediaによると、ここの本尊は祖師堂の日蓮像と鬼子母神堂の鬼子母神ということになっている。

 

富木常忍は千葉氏の文吏としても活動していたために日蓮に紙筆を提供し、その執筆を助けた。日蓮の遺文が同寺に多く遺されているのはその縁であると言われている。中山法華経寺では、百数十にものぼる日蓮真筆の遺文(御書)を格蔵していて、そのうち、重要文化財に指定されているものが61点。中でも観心本尊抄(日蓮真筆)と立正安国論(日蓮真筆)は国宝に指定されている。これらの日蓮真筆は、境内地の聖教殿と呼ばれる堂宇に格蔵されている

中山法華経寺は日蓮筆遺文 56巻を格蔵しているという。

ここに格蔵されている日蓮真筆の遺文の中には、日蓮正宗や創価学会の信者が「戒壇の大本尊」なる板本尊の文証として、金科玉条のように引っ張りだしてくるあの「聖人御難事」も含まれている。それにしても大石寺は、「聖人御難事」という日蓮の遺文が、日蓮の出世の本懐を説き表わすほど重大な遺文なら、どうして日興をはじめ歴代法主は、大石寺のもとに留めようとしなかったのか。「富士一跡門徒存知事」という文書によれば、日興は日蓮の重要な遺文を結集しようとし、それらの存在している場所を書き記しているが、この中に「聖人御難事」は入っていない。「聖人御難事」という遺文は、日興の眼中にはなかったのである。「聖人御難事」が中山法華経寺に格蔵されていること自体、大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊とは、何の関係もないということを物語っているではないか。

中山法華経寺39聖教殿

中山法華経寺37聖教殿 

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福井・永平寺(4)~「なぜ仏教寺院で厳しい修行・難行苦行が行われているのか」について

■福井・永平寺4(なぜ仏教寺院で厳しい修行が行われているのか)

 

仏教界の厳しい修行と言うと、永平寺の修行、比叡山延暦寺の千日参篭、中山法華経寺の百日大荒行とかが話題に上る。この他にも厳しい修行を行っている宗派や寺院があると思う。

私は子どもの頃から、僧侶が身近にいて、「僧侶は厳しい修行をしている」と聞かされた。だから、私は、「僧侶は厳しい修行をしているものなのだ」と、当たり前のように思っていた。

ただし、私の身近にいたのは、永平寺の僧侶ではなく、浄土真宗大谷派(東本願寺)の僧侶。

私は小学生の頃、習字を習っていたが、その習字の先生が真宗大谷派の地元寺院A寺住職。私の祖父の通夜・葬儀が行われたのが、真宗大谷派の地元寺院B寺。葬儀の導師を勤めたのが、金沢市内にある真宗大谷派の寺院C寺住職。さらに毎月1回、実家には真宗大谷派の地元寺院D寺住職がお経をあげに来ていた。そのD寺住職は、私が通っていた中学校の社会科担任教師で教頭だった。高校の社会科教師にも、真宗大谷派の寺院住職がいた。

ただし、永平寺や中山法華経寺と真宗大谷派を比較すると、修行の厳しさが全然違うことを、大谷派住職自らが認めている。真宗大谷派も僧侶は本山に登り、数年間、宗門指定の大学に通って教師になるが、千日の参篭も百日の荒行もない。

北陸地方には真宗大谷派門徒が圧倒的に多く、寺院も無数にたくさんあるが、ほとんどが檀家寺。寺院行事とは言っても、7月のお説教会と11月の報恩講ぐらい。住職も学校の先生兼業で行っている人がかなりいる。私の父ですら「あれじゃあ、門徒は減る一方だろうなあ」と言っているほど。

大谷派住職自身が「昔は南無阿弥陀仏だけでよかったんですが、今はそれだけじゃダメなんですよ」と言っており、いろいろな人の心の悩み事相談に応じる活動等を行っているという。

しかし永平寺や中山法華経寺の厳しい修行・苦行はない。もともと法然・親鸞の教えは「南無阿弥陀仏を唱えれば、どんな悪人でも極楽往生できる」という易行の宗旨だからではないだろうか。

だから私が子どもの頃に聞いた、僧侶の厳しい修行とは、永平寺の修行のことを指していたと思われる。

 

そうすると厳しい仏道修行・難行苦行とは縁遠い世間一般人から見ると

「なぜこんなに厳しい修行をしなければならないのか」「なぜここまで、しなければならないのか」

という疑問が沸く。

永平寺吉祥閣で放映されていたビデオ「永平寺の日々」を観ていたら、永平寺の修行を卒業して下山する若い僧侶が口々に「自分を見つめ直すことができた」「○○ができる人間になった」と言っていた。確かに現代社会では、「自分を見つめ直す」とか「人格を鍛え直す」機会は皆無でしょうね。世間のへそ曲がりな人たちや独善的で心根の曲がった人たちの人格を鍛え直すことができるなら、こういう永平寺の厳しい修行の場に入れてしまうのも一策ではなかろうかと思う。あの「富士門流執着軍団」のへそ曲がりな人たちも、永平寺の厳しい修行によって、少しはまともな人に蘇生できるのではないだろうか。

だから私は、仏教寺院で厳しい修行・難行苦行を行うこと自体、不要とは思わないし、ムダな事とも思わない。心根のねじ曲がった人が、マイナス6度の厳寒の中で、蘇生できたら、こんな結構な話はないではないかと思う。

永平寺21勅使門 

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